心のデボーション233

デボーション1
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† 心のデボーション 02321

「ヱホバかくいひたまふ智慧ある者はその智慧に誇る勿れ力ある者は其力に誇るなかれ富者はその富に誇ること勿れ」 エレミヤ9:23 明治元訳聖書

「むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい、目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる」 新共同訳聖書

 「サーベルタイガー」

サーベルタイガーは上顎の犬歯が異常に発達し、二本の長い牙をもつ地上最強の動物だった。その二本の牙を突き刺し、血管を切り裂いてマンモスをも倒す。約一万年前に地球に気候の変動があり、大型の草食動物が絶滅するとサーベルタイガーも姿を消す。長い牙は大型の動物を倒せても、小型の動物には長すぎて全く役に立たなかったのである。大は必ずしも小をかねない。

(†心のデボーション02321)

† 心のデボーション 02322

「人多くの年生ながらへてその中凡て幸福なるもなほ幽暗の日を憶ふべきなり 其はその數も多かるべければなり 凡て來らんところの事は皆空なり」 伝道11:8 明治元訳聖書

「人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である。」 口語訳聖書

 「無駄にしない」

遠藤周作さんは「ひとつだって無駄にしちゃいけないんですよ。今のぼくにとって無駄にしてはいけないのは、ぼくが経験した苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみだった。」と書いている。(遠藤周作『生きる勇気が湧いてくる』) 苦しみを忘れないだけではなく、その経験を何一つ無駄にしないことが肝要なのだという。自分の苦しみだけでなく、他人に与えた苦しみも何一つ無駄にしてはいけない。

(†心のデボーション02322)

† 心のデボーション 02323

「温柔(やさし)き舌は生命の樹なり 悖れる舌は霊魂を傷ましむ」 箴言15:4 

「優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける」 口語訳聖書

 「優しくありなさい」

「優しくありなさい。あなたの出会う人々は皆、困難な戦いに挑んでいるのだから Be kind, for everyone you meet is fighting a harder battle.」(プラトン) だが、人が抱えている戦いは、外からでは分かりにくい。その人の戦いが分かるような「出会い」をするまでは、本当の優しさが分からない。

(†心のデボーション02323)

† 心のデボーション 02324

「われは光をつくり又くらきを創造す われは平和をつくりまた禍害をさうざうす 我はヱホバなり 我すべてこれらの事をなすなり」 イザヤ45:7 明治元訳聖書

「光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである」 新共同訳聖書

 「繁栄への誘惑」

平家物語の冒頭に「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」とある。だが、それが教訓になったことはない。「驕り」のない「繁栄」はなく、永続する「繁栄」もない。しかし、人の心から繁栄への誘惑が消えることはない。

(†心のデボーション02324)

† 心のデボーション 02325

「光は暗黒に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。」 ヨハネ1:2 大正文語訳聖書

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」 口語訳聖書

 「闇の意志」

「闇」は常に「光」を己が手に捕らえ、光に代わろうと試みるが、闇は光に打ち勝つことはない。どれほど霊的暗黒が濃くても、暗黒は光を手に入れることはできない。それでも、闇が光に代わろうとする意志のあることを忘れることはできない。

(†心のデボーション02325)

† 心のデボーション 02326

「我らは皆しばしば躓(つまづ)く者なり、人もし言に蹉跌(つまづき)なくば、これ全き人にして全身に(くつわ)を著(つ)け得るなり」 ヤコブ3:2 大正文語訳聖書

「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」 新改訳聖書

 「意味ある失敗」

失敗する人は、少なくとも何かをした人です。何もしないかわりに失敗もしない人より、ずっとましです。ある目的に向かう中でおこる失敗は意味あるものです。それは失敗というよりも、成功への階段なのです。意味のない失敗が続くようでしたら、二度と同じ失敗をしないようにと反省するよりも、人生の目的について考えてみるとよいかもしれません。

(†心のデボーション02326)

† 心のデボーション 02327

「我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり。」 ピリピ4:13 大正文語訳聖書

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」 口語訳聖書

 「何事でも」

私は「わたしを強くして下さるかた(イエスキリスト)によって、何事でもすることができる。」という告白は、「何事でも」というかぎり、何事もできない。「何事でも」に具体的なことばを挿入してはじめて、御言葉の力が働きはじめる。

(†心のデボーション02327)

† 心のデボーション 02328

「われを愛する者は我これを愛す 我を切に求むるものは我に遇ん」 箴言8:17 明治元訳聖書

「私を愛する人を私も愛し/私を探し求める人を私も見いだす。」 聖書協会共同訳聖書

 「一期一会」

「一期一会」は、千利休の弟子、山上宗二の『山上宗二記』にある、「一期に一度の会」から生まれた言葉だそうである。茶道では、何度同じ主客で茶の湯を催そうと、今日という日は一生に一度であり、その出会いも一生に一度のこととして、茶をたてる。日本人の好きなことばの一つだが、よほどの覚悟がないと出来ない。

(†心のデボーション02328)

† 心のデボーション 02329

「かれら教會の前にて汝の愛につきて證せり。なんぢ神の御意に適ふやうに彼らを見送らば、その行ふところ善からん。」 Ⅲヨハネ1:6 大正文語訳聖書

「彼らは、諸教会で、あなたの愛についてあかしをした。それらの人々を、神のみこころにかなうように送り出してくれたら、それは願わしいことである。」 口語訳聖書

 「神にふさわしいしかた」

聖書の時代には、旅に必要なものを備え、ある地点まで、その人と一緒に歩くのが、旅人を見送る「神にふさわしいしかた」であった。

両親は子どもの旅立ちに備えるだけでなく、ある地点まで一緒に歩いていくことが大切である。ただ、ある人はその地点を通り過ぎても、そのまま子どもと旅を続けようとする。やり過ぎるのは、しないのと同じか、それ以上の弊害がある。その地点に来たら、祝福を祈り、「神にふさわしいしかた」で別れなければならない。

(†心のデボーション02329)

† 心のデボーション 02330

「サムエルいひけるはヱホバはその言にしたがふ事を善したまふごとく燔祭と犠牲を善したまふや夫れ順ふ事は犠牲にまさり聽く事は牡羔の脂にまさるなり」 Ⅰサムエル15:22 明治元訳聖書

「するとサムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる』」 新改訳聖書」

 「学ぶ姿勢」

「Docendo discimus.  教えることは学ぶことである。(To teach is to learn.)」。どちらが大切かといえば、学ぶことであろう。相手から学びとる能力は、相手を教える最高の能力である。教えることの出来ない人は、相手から学ぶ姿勢がないからである。

(†心のデボーション02330)

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