† 心のデボーション 02281
「されば、はや二人にはあらず、一體なり。この故に神の合せ給ひし者は、人これを離すべからず』」 マタイ19:6 大正文語訳聖書
「したがって、彼らはもはや二人ではなく、一体である。それ故、神が合わせたものを、人間が離してはならない」 フランシスコ会訳聖書
「一つの肉」
結婚は「ふたりの者が一心同体になる」ことです。二人は「一つの肉」となるといわれている。「一心同体」は必ずしも似た者夫婦を意味しない。異なるところの目立つ「一つの肉」もある。そこから生じるすれ違いを恐れることはない。二人で、「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」に「アーメン」と答えてから、対決したらよいのではないだろうか。異なるからこそ愛おしさというもがわかることもある。
(†心のデボーション02281)
† 心のデボーション 02282
「ヱホバわれらの義をあらはしたまふ來れシオンに於て我らの神ヱホバの作爲をのべん」 エレミヤ51:10 明治元訳聖書
「主はわれわれの正しいことを明らかにされた。さあ、われわれはシオンで、われわれの神、主のみわざを告げ示そう」 口語訳聖書
「フェイクニュース」
大掛かりな「フェイクニュース fake news」が世界を動かすことも少なくない時代になった。次々に繰り出されるフェイクニュースには、ファクトチェック fact check も追きそうもない。預言者エレミヤは神御自身が真実を明らかにされると語る。しかし、「神の言葉」にもファクトチェックがなされなければ偽預言者の思うがままである。偽預言者も自らの言葉を「神の言葉」として語り、世界に拡散されるからである。
(†心のデボーション02282)
† 心のデボーション 02283
「萬の物は勞苦す 人これを言つくすことあたはず 目は見に飽ことなく耳は聞に充ること無し」 伝道1:8 明治元訳聖書
「すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。」 口語訳聖書
「見ることと聞くことと」
伝道者は「すべてのものごとがものうく流れる」ことに「目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。」という。「見ることに飽きることがない」は「目は見ても飽き足りず」(フランシスコ会訳聖書)の意味である。神から離れては自然世界の営みも無意味な繰り返しにすぎないと言うのである。神は、目は見るために、耳は聞くためにつくられたのである。
(†心のデボーション02283)
† 心のデボーション 02284
「我臥ば乃はち言ふ何時夜あけて我おきいでんかと 曙まで頻に輾轉ぶ」 ヨブ7:4 明治元訳聖書
「わたしは寝るときに言う、『いつ起きるだろうか』と。しかし夜は長く、暁までころびまわる。」 口語訳聖書
「眠れない夜」
ヨブは「眠れない夜」を経験する。「夜は長く、暁まで寝返りをうち続ける」のである。ヨブの眠りをさまたげたのは苦悩であった。しかし、ヨブほどの苦悩がなくても、「眠れない夜」はやってくる。眠れないと明日がつらい、しかし、眠ろうとすればするほど、眠りは遠のく。これもまた辛いものだ。治そうとすると治らず、治すことを忘れると、いつの間にか治るのが不眠であるという。深く静かに息をして、眠りをほっておけば眠りが近づいてくるかもしれない。
(†心のデボーション02284)
† 心のデボーション 02285
「彼いひけるは往て外より鄰の人々より器を借よ空たる器を借るべし少許を借るなかれ 」 Ⅱ列王4:3 明治元訳聖書
「彼は言った、『ほかへ行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。』」 口語訳聖書
「空の器」
夫が亡くなり生活に困窮を究める預言者の妻に預言者エリシャは「隣の人々から、できるかぎりの数の空の器を借り集めなさい」と告げる。集めた空の器に油を注ぐと、すべての器に油が満ち、空の器がなくなると油も止まった。(Ⅱ列王4:1~7) 主が「行って空の器を集めよ」と言われる時がある。そのすべてに主は油を満たしてくださる。どれほどの数の「空の器」を集められるだろうか?
(†心のデボーション02285)
† 心のデボーション 02286
「イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』」 マタイ4:7 大正文語訳聖書
「イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」とも書いてある』と言われた」 新共同訳聖書
「イエスの奇跡」
イエスの最大の奇跡は、このときイエスが奇跡をなさらなかったことである。それによって老大審問の支配する人間とは「別の人間」が誕生した。
(†心のデボーション02286)
† 心のデボーション 02287
「惡き使者は災禍に陷る されど忠信なる使者は良薬の如し」 箴言13:17 明治元訳聖書
「神に逆らう使者は災いに遭い/忠実な使いは癒す」 新共同訳聖書
「良薬」
悪しき使者は、その言葉によって自ら災いを招き、善き使者のもたらす言葉は「人を癒す良薬」である。
「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」 ロマ15:15 口語訳聖書
(†心のデボーション02287)
† 心のデボーション 02288
「されば凡ての惡意、すべての詭計・僞善・嫉妬および凡ての謗を棄てて、」 Ⅰペテロ2:1 大正文語訳聖書
「だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、」 口語訳聖書
「悪口」
悪口は、自分でいう分には結構楽しいのに、人から聞かせられるのは苦痛なものである。そこでつい、「人の悪口を言うものではない」などと矛盾したことを言ったりする。悪口を止めさせたかったら悪口を聞くことである。悪口は出し切ってしまえば、もう止めてもいいと思えるものだからである。しかし、それには悪口を言う人の気持ちを傷つけないように真剣に聞く必要がある。悪口に加担するのでなく、そう言わざるを得ない心に添えれば良いと思う。
(†心のデボーション02288)
† 心のデボーション 02289
「エフライムよ我なんぢに何をなさんやユダよ我なんぢに何をなさんやなんぢの愛情はあしたの雲のごとくまたただちにきゆる露のごとし」 ホセア6:4 明治元訳聖書
「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、また、たちまち消える露のようなものである。」 口語訳聖書
「あしたの雲」
「あしたの雲のごとく、また、たちまち消える露のような」愛もある。愛が浅いのではなく、愛が向き合っていないのだ。神はそのような愛を「あしたの雲、朝日に消える露」と表現されて悲しまれるのである。
(†心のデボーション02289)
† 心のデボーション 02290
「我また身を轉らして智慧と狂妄と愚癡とを觀たり 抑王に嗣ぐところの人は如何なる事を爲うるや その旣になせしところの事に過ざるべし」 伝道2:12 明治元訳聖書
「また、私は顧みて/知恵と、無知と愚かさを見極めた。/王を継ぐ人が/すでになされたことを繰り返すだけなら/何になろうか。」 聖書協会共同訳聖書
「自己を見極める」
「朝ある事は、晩にある」というのは、良いことでも、悪いことでも、一度あったことは二度、三度あるという意味だそうである。人生には朝ある事は、晩にある繰り返される経験というものがある。人生に繰り返されるものを知ることは自己を知るために重要な意味を持っている。
(†心のデボーション02290)
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