心のデボーション217

デボーション1
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† 心のデボーション 02161

「愛はすべての愆を掩ふ」 箴言10:12 明治元訳聖書

「愛はすべてのとがをおおう」 口語訳聖書

 「夫婦げんか」

夫婦だからといって、いつも意見が一致するとは限らない。むしろ、右といえば左、西といえば東の答が返ってくる。しかし、意見の対立には、お互いの欠けをおぎなおうとする力が働いている。対立することで、夫婦としてのバランスが保たれる側面もある。そのところがあれば夫婦げんかにも意味はある。盛大にやってさしつかえない。しかし、互いが相手を無視するようになると、対立は憎しみに変わる。

(†心のデボーション02161)

† 心のデボーション 02162

「ヱホバを畏るることは智慧の根本なり 聖者を知るは聰明なり」 箴言9:10 明治元訳聖書

「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることが分別。」 聖書協会共同訳聖書

 「知恵の始まり」

ラテン語格言に「Initium sapientiae cognitio sui ipsius. 知恵の始まりは自己を知るにある」という。箴言は「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることが分別」と教える。(箴言9:10 聖書協会共同訳聖書) どちらを優先すべきかで迷うことはない。神を畏れることは自己を知ることだからである。そこに始まる知恵を得たいのである。

(†心のデボーション02162)

† 心のデボーション 02163

「是人々は我等と睦し彼等をして此地に住て此に貿易をなさしめよ地は廣くして彼らを容るにたるなり我ら彼らの女を妻にめとり我らの女をかれらに與へん」 創世記34:21 明治元訳聖書

「あの人たちは、私たちに友好的なので、この地に住んでもらって、そこで自由に取り引きしてもらいましょう。見てください。土地は十分に広いのです。あの人たちの娘を私たちが妻にもらい、私たちの娘は彼らに与えましょう。」 聖書協会共同訳聖書

 「悪意ある握手」

韓国では握手は反対側の手を袖口に添えて行う。それには、いくつかの説明があるが、その一つは、両手を相手に見せることで相手に敵意をもたないことを明らかにする友好のあかしなのだという。

ヤコブの息子たちはヤコブの娘ディナがヒビ人に辱められたことへの報復として、いかにも友好的なことばを送り、相手を油断させて報復を実行し、地元の民の憎しみを買うことになり、ヤコブを追い詰めた。(創世記34章) 「悪意ある握手」は強い憎しみを生む。

(†心のデボーション02163)

† 心のデボーション 02164

「われはわが愆をしる わが罪はつねにわが前にあり」 詩篇51:3 明治元訳聖書

「まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。」 新改訳聖書

 「過ち」

60年も前の「過ち」を悔いる人もいる。この長い年月に、どのような苦しい内的な対話が繰り返されてきたのだろうか。「過ち」の内容が重大さにかかわらず、人はそれを目の前に置き、自らを罪と知るのである。神は、「私の罪を除いて、きよめてください」という祈りを聞かれる。神は、60年前の「過ち」だけでなく、その罪を負って生きた60年をも受け取って下さる。その年月を「雪よりも白く」してくださる。

(†心のデボーション02164)

† 心のデボーション 02165

「怨をかくす者には虚偽のくちびるあり 誹謗をいだす者は愚かなる者なり」 箴言10:18 明治元訳聖書

「偽りの唇は憎しみを隠し持ち/愚かな者は悪口を吐き出す。」 聖書協会共同訳聖書

 「汚いことば」

スポーツ選手が競技の最中に大声で「汚いことば」を発することがある。英国キール大学の精神生物学研究者リチャード・スティーブンスが2017年に発表した研究結果によれば、汚いことばで相手を罵ると肉体的なパフォーマンスが最大8%向上し、加えて痛みへの耐性も高まったという。「汚いことば」は言う側には有利でも、見ていて気持ちの良いものではない。箴言の「悪口」には「うわさ、つぶやき」の意味もある。「汚いことば」は大声とは限らない。

(†心のデボーション02165)

† 心のデボーション 02166

「四十日四十夜斷食して、後に飢ゑたまふ」 マタイ4:2 大正文語訳聖書

「そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた」 新改訳聖書

 「空腹」

「空腹 πεινάω  ペイナオー」は「飢える、食を求める、飢え求める、切望する、渇望する、熱望する、欲求する、空腹である、欠けている、足りない」である。「孤独」の中で人は「魂」の「空腹 πεινάω  ペイナオー」を知る。神への「空腹 πεινάω  ペイナオー」である。空腹を知らない信仰者を見たことはない。

(†心のデボーション02166)

† 心のデボーション 02167

「われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず、」 Ⅱコリント4:8 大正文語訳聖書

「私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、」 聖書協会共同訳聖書

 「途方に暮れても」

「途方に暮れる ἀπορέω」は「ἀ 否定+πόρος 道」で、道を失うことから「途方にくれる、どうしたらよいかわからなくなる」の意味である。「失望しない ἐξαπορέομαι」は「完全に行き詰まる、行き詰まりっぱなしになる」の意味。四方から苦難を受けて、すっかり道を失って、どうしてよいかわからず途方にくれても、神に信頼する者は完全には行き詰まらない。行き詰まりっぱなしにはならない。

(†心のデボーション02167)

† 心のデボーション 02168

「この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり」 マタイ6:34 大正文語訳聖書

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」 新共同訳聖書

 「いやなこと」

生活を整えるには、いやなことを一日延ばしにしないことだ。だからといって、いきなりいやなことから一日をはじめることはない。まずは自分を楽しませ、その勢いでいやなことを片付けたらよいと思う。いやなことのしまわれた引き出しをもち出して、中身を全部ぶちまけ、どうでもよいものはこの際くず籠に投げこんでしまうと、気分はスッキリするかもしれない。いやなことは終えてしまえばなんでもない。

(†心のデボーション02168)

† 心のデボーション 02169

「なんぢら愼みをののきて罪ををかすなかれ 臥床にておのが心にかたりて默せ」 詩篇4:4 明治元訳聖書 

「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ」 新改訳聖書

 「以心伝心」

日本には「以心伝心」というコミュニケーションがある。「以心伝心」は「心を以って心を伝える」の意味だそうである。師の心から弟子の心に伝えることの意味に使われる。伝える心と受け取る心の双方が整えられなければ、直ちに行き違いが発生する。

(†心のデボーション02169)

† 心のデボーション 02170

「相議ることあらざれば謀計やぶる 議者おほければ謀計かならず成る」 箴言15:22 明治元訳聖書

「相はかることがなければ、計画は破れる、はかる者が多ければ、それは必ず成る。」 口語訳聖書

 「相はかる」

計画を成功させるには、「相はかること」を密にしなけれならない。多くの者と「相はかる」なら、計画は「必ず成功する」と箴言は教える。「相はかる סוֹד」というヘブライ語は「仲間」の意味もある。相はかることのできる仲間のあることが成功を約束する。

(†心のデボーション02170)

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