心のデボーション209

デボーション1
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† 心のデボーション 02081

「父たる者よ、汝らの子供を怒らすな、ただ主の薫陶と訓戒とをもて育てよ。」 エペソ6:4 大正文語訳聖

「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」 口語訳聖書

 「無視」

一歳半になるトシは、目につくものは何でも手にもってみたい。今朝もハサミをつかもうとして、母親にとり上げられた。自尊心を傷つけられたトシは床にひっくり返り、大声でわあわあとさわいだ。こんな時「ごめんね」などとお母さんが謝ることはない。無視すればよい。そのうちトシはお母さんが恋しくなって捜しはじめる。そうしたら「おいで」と手を出せば一件落着である。

(†心のデボーション02081)

† 心のデボーション 02082

「我等この寶を土の器に有てり、これ優れて大なる能力の我等より出でずして、神より出づることの顯れんためなり」 Ⅱコリント4:7

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」 新共同訳聖書

 「無用の用」

老子は「埴を挺して以つて器を為る。其の無に当たりて、器の用有り。」と「無用の用」を説く。土をこねて器をつくる。器に何もない空洞があることによって器としての働きが生まれる。「無」があって有に意味が生じるのである。聖書はその器に盛るものに注目する。無用にしか見えるものが実は尊い神の宝であると知る。

(†心のデボーション02082)

† 心のデボーション 02083

「其名をノアと名けて言けるは此子はヱホバの詛ひたまひし地に由れる我操作と我勞苦とに就て我らを慰めん」 創世記5:29 明治元訳聖書

「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。 口語訳聖書

 「慰め」

レメクはひとりの男の子を得て、その名をノアと呼んだ。ノアは呪われた地にあって苦労して働くレメクに「慰め」となった。英語「慰め comfort」は心を強くさせてくれるもののことで、ノアはレメクに生きる力を与える慰めとなったのである。Gen 5:29 And he called his name Noah, saying, “This one will comfort us concerning our work and the toil of our hands, because of the ground which the Lord has cursed.”  King James Version

(†心のデボーション02083)

† 心のデボーション 02084

「時にイスラエルこの歌を歌へり云く井の水よ湧あがれ汝等これがために歌へよ」 民数21:17 明治元訳聖書

「その時イスラエルはこの歌をうたった。「井戸の水よ、わきあがれ、人々よ、この井戸のために歌え、」 口語訳聖書

 「呼び水」

しばらく使っていない井戸は、ポンプを押しても水がでない。その時には、ポンプに少しの水を入れてやる。「呼び水」である。人は、決して枯れることのない深い井戸である。水が出ないのは、枯れたからではなく、汲み方が悪いからで、「呼び水」を注げば、水は上がってくる。「呼び水」は、他の井戸から汲む必要がある。

(†心のデボーション02084)

† 心のデボーション 02085

「さらば長き十八年の間サタンに縛られたるアブラハムの娘なる此の女は、安息日にその繋より解かるべきならずや』」 ルカ13:16 大正文語訳聖書

「それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。 口語訳聖書

 「アブラハムの娘」

イエスが会堂で教えておられると18年間病の霊につかれ、腰が曲がって伸ばすことができない女がいた。するとイエスは女の病気を癒された。その日は安息日であった。安息日は悪しき霊に束縛されている人々が解放される日である。「束縛 δέω」は鎖につなぐ、枷にかける、括る」の意味である。女は18年もの間、病という牢獄に監禁されていた。しかし、イエスは彼女を「アブラハムの娘」と呼ばれる。

(†心のデボーション02085)

† 心のデボーション 02086

「我觀るに日の下に一件の患あり是は人の間に恒なる者なり」 伝道6:1 明治元訳聖書

「太陽の下、私はある災いを見た。それは人間に重くのしかかる。」 聖書協会共同訳聖書

 「静菌」

新型コロナウイルスが発生してから、除菌グッズのお世話にならない日はない。一口に除菌と言ってもさまざまな概念がある。「滅菌」は無菌を達成するもので、微生物が生存する確率が100万分の 1以下になることをいう。「殺菌」は滅菌より厳しく微生物が生存しない状態を指す。これに対して「静菌」というのは菌を静めることで、菌は殺さないが増殖しない状態にすることであるという。人類はウイルスと共生する時代に入ったのだろうか。

(†心のデボーション02086)

† 心のデボーション 02087

「ヱホバ地の極にまで告てのたまはく 汝等シオンの女にいへ 視よなんぢらの救きたる 視よ主の手にその恩賜あり はたらきの價はその前にあり」 イザヤ62:11 明治元訳聖書

「見よ、主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」 新改訳聖書

 「シオンの娘」

旧約聖書外典ベン=シラの知恵には娘を思う父親の切ない思いが記されている。「娘は父親にとって、人知れぬ不眠の種。/娘に対する心配が眠りを奪う。/若い時は、婚期を逸するのではないか/嫁いでからは、夫に嫌われるのではないか」(ベン=シラの知恵42:9) 娘を思う父親の思いは昔から少しも変わっていないことに驚く。

(†心のデボーション02087)

† 心のデボーション 02088

「心の安穩なるは身のいのちなり 娼嫉は骨の腐なり」 箴言14:30 明治元訳聖書

「穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。」 新改訳聖書

 「穏やかな心」

人の考えていることがわからなくて不安になることがある。そこで相手の心を想像することになるが、想像は現実よりもはるかに悪いシナリオを描くことが多い。行き過ぎた妄想に、いのちを縮めるほど苦しめられることもある。恐れないで、相手に近づいてみることだ。親しみにくいと思っていた人が意外に心の優しい人であったりする。「穏やかな心」で接すれば、相手も穏やかさをあなたに向ける。

(†心のデボーション02088)

† 心のデボーション 02089

「近寄りて油と葡萄酒とを注ぎ、傷を包みて己が畜にのせ、旅舍に連れゆきて介抱し」 ルカ10:34 大正文語訳聖書

「近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」 口語訳聖書

 「トラウマ」

善きサマリヤ人は強盗に襲われた人に近づいて油と葡萄酒を注いて「その傷」を布で包んだ。「傷」と訳されたギリシャ語は「τραῦμα トラウマ」である。ベトナム戦争の帰還兵やレイプなどの犠牲者が似たような心の後遺症から悪夢や幻覚などの形で再体験することを「トラウマ(傷)」と呼んで注目されている。善きサマリヤ人は強盗に襲われた身体の傷ばかりでなく、心の傷をも布で包んだのだろうか。

(†心のデボーション02089)

† 心のデボーション 02090

「また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』」 マタイ3:17 大正文語訳聖書

「そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした」 フランシスコ会訳聖書

 「私の存在」

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の聲はイエスにとどまることなく、イエスを通って「私」に向けられる。神は「私」という存在を喜び、楽しまれる。おお、その楽しみの深さよ!

(†心のデボーション02090)

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