† 心のデボーション 02061
「汝は風の道の如何なるを知ず また孕める婦の胎にて骨の如何に生長つを知ず 斯汝は萬事を爲たまふ神の作爲を知ことなし」 伝道11:5 明治元訳聖書
「あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。」 新改訳聖書
「風の道」
風の強い日に落ち葉を掃除するにはちょっとしたコツがある。庭には風が落ち葉を集める場所がある。そこに向けて落ち葉を集めれば、庭はあらかたきれいになる。問題がめちゃめちゃにからまってしまったら、風が集めてくるものをまとめるのもよいかもしれない。ただし、この方法は風の道を見抜けないと悲惨な結果になる。風の強い日には、落ち葉を一枚残らず集めようとしないこと。
(†心のデボーション02061)
† 心のデボーション 02062
「惡者の途は幽冥のごとし 彼らはその蹟くもののなになるを知ざるなり」 箴言4:19 明治元訳聖書
「悪しき者の道は闇のようだ。/何につまずくのか、知ることさえできない。」 聖書協会共同訳聖書
「躓き」
人の中には自分でも驚くような頑固で固い岩が埋まっている。自分の中にそれに気づいたら、相手の内にも同じくらいの岩が埋まっていると認めよう。自分の岩に躓かない方法が見つけられる人は相手の内にある岩にも躓かないだろう。人が躓くのは「暗闇」を歩いているからだと箴言は教えている。
(†心のデボーション02062)
† 心のデボーション 02063
「わが兄弟のためわが侶のために われ今なんぢのなかに平安あれといはん」 詩篇122:8 明治元訳聖書
「私の兄弟、友たちのために、さあ、私は言おう/「あなたの内に平和があるように。」 聖書協会共同訳聖書
「共存」
共存を意味する英語 coexistence は coexist(同じところに同時に存在する)から来ている。一緒にいても、同じところにいない人はいる。共存には相手が今どこにいるのかを互いに知る必要がある。
旧約聖書外典ベン=シラの知恵13:17 聖書協会共同訳聖書
どうして、狼が小羊と共存できようか。/罪人と敬虔な人もこれと同じだ。
(†心のデボーション02063)
† 心のデボーション 02064
「日々、心を一つにして弛みなく宮に居り、家にてパンをさき、勸喜と眞心とをもて食事をなし、」 使徒2:46 大正文語訳聖書
「そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし」 口語訳聖書
「岩を含まない心」
初代教会の交わりには「喜びと真心」が見られた。「真心」とは「岩を含まない心」を意味する。人の前につまずきになるものを置かない注意深さである。人は大きな岩にはつまずかないものである。地面に深く埋まっていて少しだけ顔をのぞかせているような岩につまずく。つまずきの岩は掘りおこし、除く必要があるが、やっかいなことに、この岩は次々と発生し、成長することである。注意をおこたってはならない。
(†心のデボーション02064)
† 心のデボーション 02065
「彼所にてかれは弓の火矢ををり盾と劍と戰陣とをやぶりたまひきセラ」 詩篇76:3 明治元訳聖書
「そこで、神は弓の火矢を砕き/盾と剣と戦いを砕かれた。〔セラ〕」 詩篇76:4 聖書協会共同訳聖書
「冒頓単于」
モンゴルの英雄冒頓単于(ぼくとつ ぜんう)は、いつ自分を殺害するかわからない父に反乱を起こす。行動にでる前に冒頓は私兵に「自分が鏑矢を放ったら、即座に同じ方向に矢を放て」と命じ、まず、野の獣を射て、獣を射なかった部下を切り殺した。次に自分の愛妾に矢を放ち、愛妾を射なかった部下を切り殺した。さらに父の愛馬に矢を放ち、父の愛馬を射なかった部下を切り殺した。こうして、ためらわずに主に従う部下を得て、反乱を成功させることができたという。しかし、よき兵士とはよき主を見出す者のことである。
(†心のデボーション02065)
† 心のデボーション 02066
「心より世の人をなやましかつ苦しめ給ふにはあらざるなり」 哀歌3:33 明治元訳聖書
「 主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない」 新改訳聖書
「悩みの意味」
よいことも悪いことも自分に引き受ける人は、人を恨まない。人を恨むのは、不都合なことの責任を他人に押し付けるところから来ている。他人を恨むことで自分を守ろうとするのだが、守り切れなくなると次々と恨みの対象を見つけることになってしまう。自分の責任を認めると、よい事と悪い事は密接につながっていることが分かるようだ。すべてのことに意味があることが分かってくる。
(†心のデボーション02066)
† 心のデボーション 02067
「惡者はおのれの愆にとらへられ その罪の繩に繋る」 箴言5:22 明治元訳聖書
「悪しき者は自らの過ちの罠にかかり/その罪の綱につながれる。」 聖書協会共同訳聖書
「誤った生き方」
旧約聖書外典知恵の書には「誤った生き方によって死を求めず/自らの手の業で滅びを引き寄せるな。」と言われている。(知恵の書1:12 聖書協会共同訳聖書)人が破滅的な死によって道を踏み外すのは不運な出来事によるのではなく、「誤った生活、生活の乱れ」による。人は自らの「手の業」によって死(滅び)を招き寄せる。「手の業」とは「自らの仕事、働き、労働、職務、行為、企て、結果、事態」の意味である。
(†心のデボーション02067)
† 心のデボーション 02068
「ひるは雲をもてかれらをみちびき夜はよもすがら火の光をもてこれを導きたまへり」 詩篇78:14 明治元訳聖書
「昼は雲をもって彼らを導き、夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた。」口語訳聖書
「壁」
ネズミはいきなり広いところに置かれると逃げることもできずにうずくまってしまう。壁に沿って走ることしかしていないので壁がないと動けない。人生には、それまで見えていた標的が一瞬消えることがある。そして、方向を見失って立ちつくす。いつの間にか壁がないと走れなくなっていたのかもしれない。そんな時には無理に壁を探さないことだ。不安なのは壁がないからではなく、人生の導きを失ったからではないだろうか。
(†心のデボーション02068)
† 心のデボーション 02069
「智慧と權能(ちから)は神に在り 智謀(ちぼう)と穎悟(さとり)も彼に屬す」 ヨブ記12:13 明治元訳聖書
「知恵と力は神と共にあり/思慮と英知も神のものである。」 聖書協会共同訳聖書
「知恵と力」
知恵は力と、思慮は英知と結びついていて一体である。力を欠く知恵は、英知を欠く思慮であり、役に立たない。知恵と力、思慮と英知は共に神に属する。
(†心のデボーション02069)
† 心のデボーション 02070
「イエス答へて言ひたまふ『今は許せ、われら斯く正しき事をことごとく爲遂ぐるは、當然なり』」 マタイ3:15 大正文語訳聖書
「しかし、イエズスはこれに答えて、「今は、止めないでください。このように、なすべきことをすべて果たす
のは、わたしたちにとって正しいことです」と仰せになった。そこで、ヨハネは譲ってお言葉どおりにした」 フランシスコ会訳聖書
「今は、そのまま」
「今は、止めないでほしい ἀφίημι アふィエーミ」は「今は、そのままにまかせよ」。「無為」とは、何もしないことではなく「神のなすままにまかせる」ことである。「正しいこと」については常にその正しさを問う必要がある。しかし、それが正しいか否かを「かまわず」に行う「正しきこと」もある。
(†心のデボーション02070)
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