† 心のデボーション 02001
「キシオンの河之を押し流しぬ是彼の古への河キシオンの河なりわが靈魂よ汝ますます勇みて進め」 士師5:21 明治元訳聖書
「キション川は彼らを押し流した/太古の川、キション川が。わが魂よ、力強く進め。」 新共同訳聖書
「ムカデ」
「百足」と書いてムカデと読む。日本のムカデは百本もなく普通四十二本くらいだという。フィジーには382本の足をもつ強者もいるそうであるから驚く。ムカデは歩くとき体をくねらせ、そのリズムによって足を動かす。そこで、ムカデを棒のように固定してくねることができなくすれば、足はもつれてうまく走れないかもしれない。時々、私たちの足がもつれるのは、体が記憶している魂のリズムが弱くなったためだろうか。
(†心のデボーション02001)
† 心のデボーション 02002
「かれらは劍のごとくおのが舌をとぎ その弓をはり矢をつがへるごとく苦言をはなち」 詩篇64:3 明治元訳聖書
「彼らは その舌を剣のように研ぎ澄まし 苦いことばの矢を放っています。」 新共同訳聖書
「悔し涙」
悔し涙は塩辛い味がするという。涙は交感神経と副交感神経が涙腺を刺激して出る。怒りの涙には主に交感神経が優位になり、涙のナトリウム濃度が上がって塩辛くなる。逆に嬉しいときに出る涙は副交感神経が優位になり水っぽい涙になる。悔し涙は「苦いことばの矢」を放たれたためかもしれない。
(†心のデボーション02002)
† 心のデボーション 02003
「これに別れて過ゆき間もなくわが心の愛する者の遇たれば 之をひきとめて放さず 遂にわが母の家にともなひゆき 我を產し者の室にいりぬ」 雅歌3:4 明治元訳聖書
「私は彼らのところを通り過ぎると間もなく、私のたましいの恋い慕う方を見つけました。私はこの方をしっかり捕まえて放さず、ついには私の母の家に、私を身ごもった人の奥の間に、お連れしました。」 新共同訳聖書、
「アネモネ」
「アネモネ」の花ことばは「あなたを愛します」である。この「愛」は花の色によって違う。白いアネモネは「真実、期待」。紫のアネモネは「あなたを信じて待っています」。赤のアネモネは「あなたを愛しています」である。
アネモネはの英語 anemone の anemo は「風」で、風が吹くと蕾が開くことから来ている。
吹く風によって「色」が変わるのだろうか?神との出会いは愛する男女の出会いのごとく切ない。
(†心のデボーション02003)
† 心のデボーション 02004
「人にもし放肆にして背悖る子ありその父の言にも母の言にも順はず父母これを責るも聽ことをせざる時は」申命記21:18 明治元訳聖書
「ある人にかたくなで反抗する息子があり、父の言うことも母の言うことも聞かず、父母が懲らしめても聞かない場合、」 聖書協会共同訳聖書
「逆らう子」
韓国の民話に親に逆らうことしかしないカエルのお話がある。母ガエルは年をとり自分が死んだら山に埋められたいと思った。しかし、逆らうことしかしない息子のことを考えて「私が死んだら山ではなく、川岸に埋めておくれ」と頼む。母親が死ぬと息子は、逆らってばかりいた人生を悔いて、せめて遺言は守ろうと母親を川岸に葬る。親に逆らう子は、親の死後も親に逆らう。親の死後の親孝行は親を喜ばせない。
(†心のデボーション02004)
† 心のデボーション 02005
「もろもろの天はヱホバのみことばによりて成り てんの萬軍はヱホバの口の氣によりてつくられたり」 詩篇33:6 明治元訳聖書
「天は主の言葉によって/天の万象は主の口の息によって造られた。」 聖書協会共同訳聖書
「戦いに猛き兵士」
天と天の万軍は主の口の息によって造られた。「天の万軍」は「夜空に煌めく無数の星は、主のために戦う兵士とみなされる」(フランシスコ会訳聖書 注釈)、「天の万象」の意味である。「天の無数の星」は天と地を守る「戦いに猛き兵士」である。
(†心のデボーション02005)
† 心のデボーション 02006
「是においてネブカデネザル怒氣を充しシヤデラク、メシヤクおよびアベデネゴにむかひてその面の容を變へ即ち爐を常に熱くするよりも七倍熱くせよと命じ」 ダニエル3:19 明治元訳聖書
「ネブカドネツァルは怒りに満ち、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を通常の七倍熱くするように命じた。」 聖書協会共同訳聖書
「顔つき」
人の顔は左から撮ると感情豊かな写真ができるという。感情表現は右脳でおこなうので、それが左顔に現れるからだというのがその理由である。女優さんのブロマイドが左顔を撮ったものが多いのはそのためかもしれない。
右顔にはその人の思考が現れるとすれば、左顔ばかりでなく右顔を見るとよいだろう。
(†心のデボーション02006)
† 心のデボーション 02007
「愚なる者はただちに怒をあらはし 智きものは恥をつつむ」 箴言25:15 明治元訳聖書
「無知な者の怒りはその日のうちにあらわになる。/賢い人は屈辱を受けても覆い隠す。」 聖書協会共同訳聖書
「愚かなる者の怒り」
ベン=シラの知恵には次のようなことばがある。
「蛇の毒にまさる毒はなく/女の癇癪にまさる癇癪はない。」 ベン=シラの知恵25:15 聖書協会共同訳聖書
「癇癪」は女性だけのものではく、すべての人に宿る「蛇の毒にまさる毒」である。賢い人は、恥を受けても直ちに現わさずに、思いを隠す。しかし、隠された思いが「蛇の毒にまさる毒」であることに変わりはない。
「怒り」を制することのできる人はまれである。
(†心のデボーション02007)
† 心のデボーション 02008
「言語(ことば)を出して時に適うはいかに善(よ)からずや」 箴言15:23 明治元訳聖書
「時宜にかなったことばは、いかにも麗しい」 新改訳聖書
「麗しさを欠く」
事実を告げたつもりなのに、それが相手を深く傷つけることがある。相手は一本の綱の上を危ういバランスをとるようにして歩いているのである。それと気づかない鈍な心がことばで人を傷つける。「時宜にかなわぬことば」は、たとえ核心をついていても麗しさに欠けている。いかにも麗しいことばなのに相手を傷つけるのは、それが時宜にかなうことも、核心に迫ることもなく、空しく内容に欠けることばだからであろう。
(†心のデボーション02008)
† 心のデボーション 02009
「人は母の胎より出て來りしごとくにまた裸體にして皈りゆくべし その勞苦によりて得たる者を毫厘も手にとりて携へゆくことを得ざるなり」 伝道5:15 明治元訳聖書
「これもまた痛ましい不幸である。/人は来たときと同じように去って行くしかない。/人には何の益があるのか。/それは風を追って労苦するようなものである。」 聖書協会共同訳聖書
「主を褒める」
伝道者は、人が何も持たずに生まれ、何も持たずに去っていくことを、「痛ましい不幸」という。そして、ヨブは、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1:21 新改訳聖書)という。
共に真実である。
(†心のデボーション02009)
† 心のデボーション 02010
「ヨハネ之を止めんとして言ふ」 マタイ3:14 大正文語訳聖書
「ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った」 新共同訳聖書
「拒んではならない」
「思いとどまらせる διακωλύω デイアーりゆオー」は「妨げる、執拗に阻む」こと。
詳訳聖書は「そうさせまいと、頑強に、反対して」と訳す。ヨハネの強い意志をあらわすことばである。
私が「そうはさせまい」と執拗に思うイエスの行為がある。しかし、誰も神のなさることを、「思いとどめさせる διακωλύω デイアーりゆオー」ことはできない。神からくるものを拒んではならない。
(†心のデボーション02010)
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