心のデボーション198

デボーション1
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† 心のデボーション 01971

「なんぢ猝然なる恐懼をおそれず 惡者の滅亡きたる時も之を怖るまじにわかに起こる恐怖におびえるな」 箴言3:25 明治文語訳聖書

「にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな」 新改訳聖書

 「ストックフオルム症候群」

1974年ストックフォルムで銀行強盗があり、数日間監禁された人々が犯人に共鳴し、同情的になったことから、被害者が加害者に肯定的な感情を持つことをストックフォルム症候群と呼ぶ。

暴力的に扱われていながら加害者の示すちよっとしたやさしさに、被害者は感謝の気持ちすら抱いてしまう。いじめられた子がいじめっ子に示す、ある種の親しみはそのためかもしれない。しかし、この親しみの底にあるのは、怒りというよりも恐怖である。

(†心のデボーション01971)

† 心のデボーション 01972

「神光を晝と名け暗を夜と名けたまへり夕あり朝ありき是首の日なり」 創世1:5 明治元訳聖書

「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」 新共同訳聖書

 「光と闇」

「主は、初めにその作品を造られたとき/それらを造ってから/それぞれの領分を定められた。」 ベン=シラの知恵16:26 聖書協会共同訳聖書

「造られた作品」は創造されたずべての被造物であり、神はそれぞれの区分を定められた。フランシスコ会訳聖書は本節の解説に「定められて区分のうち、最も大きな区分は光と闇を分けたことである」と記している。

(†心のデボーション01972)

† 心のデボーション 01973

「手には箕を持ちて禾場をきよめ、その麥は倉に納め、殼は消えぬ火にて燒きつくさん」 マタイ3:12 大正文語訳聖書

「そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」 新共同訳聖書

 「価値あるものを見いだす」

英語で separate the wheat from the chaff(殻から小麦をより分ける)は、農夫が苦労して殻(chaff)と実をより分ける姿から、転じて「価値あるものを見いだす」の意味になる。

イエスは手に箕を持ち、私のうちの価値あるものを見出される。

(†心のデボーション01973)

† 心のデボーション 01974

「惡き人何とて生ながらへ 老かつ勢力強くなるやなぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか」 ヨブ記21:7 明治文語訳聖書

「なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか」 新改訳聖書

 「三匹のハエ」

森政弘さんが、こんなお話しをしている。部屋に三匹のハエがいる。真面目なハエは外に出ようと窓ガラスに激突してもがく。不真面目なハエはどうせ出られないと何もしない。非真面目なハエはアタックに失敗すると一休みし、開いている窓に気づく。

さて、一番先にハエ叩きで落とせるのが窓際の真面目なハエで、次は休んでいる非真面目で、やっかいなのは自在に飛び回る不真面目です。この順で長生きします。

(†心のデボーション01974)

† 心のデボーション 01975

「勞する者はその食ふところは多きも少きも快く睡るなり」 伝道5:12 明治元訳聖書

「太陽の下で私は痛ましい不幸を見た。/富を蓄えても、持ち主には災いとなる」 聖書協会共同訳聖書

 「痛ましい不幸」

「働く者は、少し食べても多く食べても、ここちよく眠る」しかし、「富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる」(新改訳聖書)。

人は幸せになりたくて富を蓄えるが、蓄えられた富が人から幸せの基を奪う。それが、伝道者の見た「太陽の下の痛ましい不幸」だった。幸せを約束するものはより深い不幸をもたらすもにもなる。

(†心のデボーション01975)

† 心のデボーション 01976

「萬の種よりも小けれど、育ちては他の野菜よりも大く、樹となりて、空の鳥きたり其の枝に宿るほどなり」 マタイ13:32 大正文語訳聖書

「どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」

 「些細なこと」

「Revolutions are not about trifles, but spring from trifles. 革命は些細なことではないが、些細なことから始まる」 アリストテレス Aristotle

物事は大きく変えるよりも、些細なことから変えるがよい。いかなる革命も、些細な一歩を踏み出すことなしには始まらない。

(†心のデボーション01976)

† 心のデボーション 01977

「眞理の法彼の口に在て不義その口唇にあらず 彼平安と公義をとりて我とともにあゆみ又多の人を不義より立歸らせたりき」 マラキ2:6 明治元訳聖書

「真実の律法が彼の口にあり/その唇に不正は見いだされなかった。/彼は平和と正しさのうちに、私と共に歩み/多くの人々を過ちから立ち帰らせた。」 聖書協会共同訳聖書

 「理解できないこと」

「Damnant quod non intellegunt. 彼らは、彼らが理解していないことを非難する」 マルクス・ファビウス・クインティリアヌス の言葉

自分が理解できることが真実であると信じる人は、自分が理解できないことは真実ではないと確信する。

自分がどのように間違っているかを知るのは、決して敗北ではない。

(†心のデボーション01977)

† 心のデボーション 01978

「汝らは汝等の神ヱホバの子等なり汝ら死る者のために己が身に傷くべからずまた己が目の間にあたる頂の髮を剃べからずあなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。」申命記14:1

「あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。死者を悼むために体を傷つけたり、額をそり上げてはならない」 新共同訳聖書

 「取替え子」

中世には「取替え子」ということが信じられた。ある日、子どもがわが子とは思えない、別の子に変わっている。これは魔女がわが子を盗んで、別の子と取替えたに違いないというわけである。

素直だった子どもが、「ヤダ!」を連発し、とてもわが子と思えない瞬間がある。子どもは母親とぶつかりながら、母親の存在を確認しているので、子どもに負けずにぶつかればいい。そうしないと本当に魔女に子どもをとられてしまう。

(†心のデボーション01978)

† 心のデボーション 01979

「汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん」 Ⅰコリント10:13 明治元訳聖書

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道も備えていてくださいます」 新共同訳聖書

 「脱出の道」

堕落したソドムとゴモラの町が裁かれたとき、御使いはロトとロトの二人の娘と妻の「手をつかんで」町から連れ出した。(創世記19:15~17)

試練の時に、神は私の「手をつかんで」、脱出の道に導いてくださる。

(†心のデボーション01979)

† 心のデボーション 01980

「婦樹を見ば食に善く目に美麗しく且智慧からんが爲に慕はしき樹なるによりて遂に其果實を取て食ひ亦之を己と偕なる夫に與へければ彼食へり」 創世記3:6 明治元訳聖書

「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。そこで彼も食べた。」 口語訳聖書

 「一粒の悪の種」

「というのも、一粒の悪の種が初めにアダムの心に蒔かれたからである。それは今までにどれほどの不敬虔を実らせたことだろう。そして脱穀の時が来るまで、これからも実らせ続けるだろう。」 ベン=シラの知恵4:30

ベン=シラの知恵はアダムとエバが食べてはならない木からとって食べたとき、「一粒の悪の種」がアダムの心に蒔かれ、瞬く間に多くの実を結び、その後も実らせ続けると告げる。

このことを否定できる人間は一人もいない。

(†心のデボーション01980)

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