† 心のデボーション 01891
「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書
「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書
「知識の基」
「主を畏れる」ことが「知恵」のはじめである。
何故なら、「すべての知恵は、主から来る」(ベン=シラの知恵1:1 聖書協会共同訳)からである。
主を畏れつつ「知恵」を求めよ。「畏れ」を欠いた知恵は人を滅ぼす。
(†心のデボーション01891)
† 心のデボーション 01892
「かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』」 ヨハネ8:12 大正文語訳聖書
「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」 新改訳聖書
「私のともしび」
人生から、「闇」がなくなることはない。しかし、イエスに来る者は、「暗闇の中を歩く」ことがない。なぜなら、神が「私のともしびをともされ、「私のやみを照らされる」からである。(詩篇18:28)
「ともしび」が照らすのは「わたしのいのち」である。
(†心のデボーション01892)
† 心のデボーション 01893
「高ぶるもの虚偽をくはだてて我にさからへり われ心をつくしてなんぢの訓諭をまもらん」 詩篇119:69 明治元訳聖書
「傲慢な者は偽りの薬を塗ろうとしますが/わたしは心を尽くしてあなたの命令を守ります」 新共同訳聖書
「偽りの薬」
心が痛むとき、偽りの友たちは、「薬」を塗ってくれるが、効き目はない。彼らの薬は「偽りの薬」である。「偽りの薬」は効き目がないだけでなく、むしろ症状を悪化させる。心をつくして神のさとしを守れ。それが、「良薬」である。
(†心のデボーション01893)
† 心のデボーション 01894
「拙者(つたなきもの)にさとりを與へ少者(わかきもの)に知識と謹愼(つつしみ)とを得させん爲なり」 箴言1:4 明治元訳聖書
「未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため」 新共同訳聖書
「未熟な者の熟慮」
大胆な人は、慎重な人である。「知恵」は未熟な若者に「知識と慎重さ」を教える。「未熟さ」は恥ではない。「熟慮」を学んだ若者は、もはや「未熟」ではない。
(†心のデボーション01894)
† 心のデボーション 01895
「温柔(やさし)き舌は生命の樹なり 悖れる舌は霊魂を傷ましむ」 箴言15:4
「優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける」 口語訳聖書
「地雷」
世界には、かつて、1億1千万の地雷が埋められたまま地中に残っているといわれていた。除去作業が続けられているにもかかわらず、地雷は新らに埋められている。地雷は一個300円~500円で作れるが、一個を除くのに一万円の費用がかかる。
地雷は人を殺すのが目的ではない。人を傷つけるための武器であり、それによって敵の戦力を奪うことが目的の「沈黙の武器」である。
「地雷」は戦場に埋設だれるだけではなく、人間の心に密かに埋設され、踏む者を待っている。一つづつ除去していく必要がある。
(†心のデボーション01895)
† 心のデボーション 01896
「惡き事の報速にきたらざるが故に世人心を専にして惡をおこなふ」 伝道8:11 明治元訳聖書
「悪行に対して判決がただちに下されないので、人の心は悪事を働こうとする思いで満ちている」 フランシスコ会訳聖書
「悪と人の心」
審判が容易に下されないと知ると、人はより大胆に悪を行う。だれにも知られないと思うと、人は悪を行うことにためらわない。
しかし、すべての悪に「すみやかに判決を下す」のが正しいとも言えない。 「悪の判決」は慎重にくだすべきである。
(†心のデボーション01896)
† 心のデボーション 01897
「いづこにまれ往ところにてわれらを打圍み われらを地にたふさんと目をとむ」 詩篇17:11 明治元訳聖書
「彼らはわたしを追いつめ、わたしを囲み、わたしを地に投げ倒さんと、その目をそそぎます」 口語訳聖書
「目をそそぐ」
悪しき者が「後をつけてきて、取り囲み」、「目を据え」て、私を「地に投げ倒そうと」する。(詩篇17:11)
Today’s English Versionでは「They are around me now, wherever I turn, /watching for a chance to pull me down. 彼らは今、私を取り囲み、どこを向いても、私を引き倒すチャンスを探しています」と訳されている。
悪しき者は「目を据えて」、相手を引き倒すチャンスを探ぐる。
魂を彼らの攻撃から守れ。
(†心のデボーション01897)
† 心のデボーション 01898
「ねがはくは我が艱難と苦楚茵蔯と膽汁とを心に記たまへ 」 哀歌3:19 明治元訳聖書
「どうか、わが悩みと苦しみ、にがよもぎと胆汁とを心に留めてください」 口語訳聖書
「胆汁」
作者は苦みと苦難に取り囲まれ、光のない闇を歩んだ。「胆汁 choler」は、中世では人体に流れる四つの体液の一つとされ、苦しみをあらわす。死病とされた「コレラ cholera」はそこから来ている。
光りのない闇を歩く苦しみはToday’s English Versionは「The thought of my pain, my homelessness, is bitter poison. 私の痛みと私の喪失(homelessness ホームレス)は苦き毒」と訳す。
(†心のデボーション01898)
† 心のデボーション 01899
「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」 マタイ11:28 明治元訳聖書
「重荷を負って苦労している者は皆、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 フランシスコ会訳聖書
「魂のリフレッシュ」
心にストレスを感じた後は、軽い運動をするとよいという。精神的なストレスの後に肉体的なストレスを与えると抵抗力が高まるからである。休みなく同じストレスが続くと、次第に抵抗力を失ってしまう。
Amplified Bible
Come to Me, all who are weary and heavily burdened [by religious rituals that provide no peace], and I will give you rest [refreshing your souls with salvation]. 「わたしのところに来なさい。(平和をもたらさない宗教的儀式によって)疲れていて重荷を負っているすべての人たち。わたしはあなたがたに休息を与えます(あなたの魂を救いによってリフレッシュします)。
イエスによる「休息」は、魂をリフレッシュする。
(†心のデボーション01899)
† 心のデボーション 01900
「その道かくれ神に取籠られをる人に如何なれば光明を賜ふや」 ヨブ3:23 明治元訳聖書
「神が囲いに閉じ込めて、自分の道が隠されている人に、なぜ、光が与えられるのだろう」 新改訳聖書
「逆鱗」
「逆鱗」は竜の喉の下にある直径一尺ほどの逆に生えている鱗のことで、これに触れると、かならず嚙み殺されてしまうという。
誰の喉の下にも必ず一枚の逆鱗が生えているようだ。それに触れられると怒りを抑えることができない。
「逆鱗」は触れてはならないその人の隠された真実である。
「逆鱗」は「神が囲いに閉じ込めて」隠される給う事柄なのだろうか? だが、神が「逆鱗」に光を与えられるとき、人は、はじめて怒りを抑えて自分の「逆鱗」に触れることができるのかもしれない。
(†心のデボーション01900)
コメント