心のデボーション189

デボーション1
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† 心のデボーション 01881

「わが眼はなやみの故をもておとろへぬ われ日ごとに汝をよべり ヱホバよなんぢに向ひてわが兩手をのべたり」 詩篇88:9 明治元訳聖書

「主よ。私は日ごとにあなたを呼び求めています」 新改訳聖書

 「歌いながら」

エティ・ヒレムスはナチの強制収容所で、どんなに状況が悪くても人生を有意義に生きることはできると語り続けた人だった。

彼女は手紙の中でこう書いている。「この悲惨と絶望の深い井戸からも、新しい意味をくみ出すことはできます」。

出発は予告なしにやって来た。エティは聖書の一節を読み、歌いながらアウシュビッツに向かった。

私たちは日ごとに神を呼び求めるということを忘れる。「悲惨と絶望の深い井戸」が枯れてしまったからだ。

(†心のデボーション01881)

† 心のデボーション 01882

「モーセまた祭司たるレビ人とともにイスラエルの全家に告て曰ふイスラエルよ謹みて聽け汝は今日汝の神ヱホバの民となれり」 申命27:9 明治元訳聖書

「モーセはレビ人である祭司たちと共にイスラエルのすべての人々に告げた。「イスラエルよ、静まれ。そして、聞け。今日あなたは、あなたの神、主の民となった。」 聖書協会共同訳聖書

 「静まれ。そして、聞け」

モーセは全イスラエルに「謹みて聽け」と呼びかけた。

「謹みて聽け」は「静まれ。そして、聞け」(聖書協会共同訳聖書)である。詩篇46:10では「汝等しづまりて我の神たるをしれ」と語られる。

「聞くために静まり」、「静まる者」は「神の神たるを知る」。

(†心のデボーション01882)

† 心のデボーション 01883

「主の我等のために死に給へるは、我等をして寤めをるとも眠りをるとも己と共に生くることを得しめん爲なり」 Ⅰテサロニケ5:10 大正文語訳聖書

「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」 新共同訳聖書

 「主と共に」

主イエスの十字架と復活によって、わたしたちは「目覚めていても眠っていても、主と共に生きる」ことができる。ベン=シラの知恵1:1には「すべての知恵は、主から来る。主と共に永遠に存在する」(聖書協会共同訳)とある。主と共にある人は「知恵」と共にある。「知恵」とは、天地創造のはじめに、神と共にあった「ことば」、すなわちイエス・キリストである。

「永遠のいのち」とは「神と共にあるいのち」である。

(†心のデボーション01883)

† 心のデボーション 01884

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

 「自分の意見だけ」

「愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ」 箴言18:2 口語訳聖書

「愚かな者」は人に聞き、人から学ぶことがない。ただひたすらに「自分の意見だけ」を言いつのる。(箴言18:2 新改訳聖書)

(†心のデボーション01884)

† 心のデボーション 01885

「かはることなき眞實をもて汝をめとるべし汝ヱホバをしらん」 ホセア2:20 明治元訳聖書

「わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう」 新改訳聖書

 「結婚の契り」

結婚において、男は女と真実の契りを結ぶ。それによって、二人は神を知るだろう。二人は自らと契りを結びたもう神の真実を知るからである。神の真実に導かれて、夫婦は結婚の契りを全うするのである。

(†心のデボーション01885)

† 心のデボーション 01886

「汝の目は正く視 汝の眼瞼は汝の前を眞直に視るべし」 箴言4:25 明治元訳聖書

「あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ」 新改訳聖書

 「焦る」

何を焦っているのかわからないのに気持ちが騒ぐことがある。仕事もまあまあ順調だし、対人関係にこれといった不満もない、幸せな家族もいる。しかし人生に特別な問題がない、そのことに焦りを感じるのである。

その焦りは人生に刺激がないからではなく、自分に何かを見いだせないことから来る。「前方」に「自分」を据えて、まっすぐに見つめる。なすべきことが見えてくる。

(†心のデボーション01886)

† 心のデボーション 01887

「エジプトの地はなんぢの前にあり地の善き處に汝の父と兄弟をすましめよすなはちゴセンの地にかれらをすましめよ汝もし彼等の中に才能ある者あるをしらば其人々をしてわが家畜をつかさどらしめよ」 創世記47:6 明治元訳聖書

「エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう。もし、一族の中に有能な者がいるなら、わたしの家畜の監督をさせるがよい。」 新共同訳聖書

 「有能な人」

ヨセフはエジプトに移住した兄弟たちに「もし、一族の中に有能な者がいるなら、わたしの家畜の監督をさせるがよい」と告げる。

「有能な者」の英訳は「capable men」で「cap つかむ + able できる」で「把握することのできる人」の意味である。「有能な人」とは物事を正確に把握することのできる人で、その人には安心して仕事を任せることができる。

(†心のデボーション01887)

† 心のデボーション 01888

「答へて言ひ給ふ『われ汝らに告ぐ、此のともがら默さば、石叫ぶべし』」 ルカ19:40 大正文語訳聖書

「彼らに言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家でなければならない」 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした』」 新共同訳聖書

 「路傍の石」

イエスが十字架にかかられる直前、ロバに乗りエルサレムに入城されたとき、群衆は上着を道に敷き、声も高く神を賛美して歓迎した。だが、パリサイ派の人たちはイエスに群衆を「しかりつける」ようにと要請した。イエスはパリサイ派の人々に「此のともがら默さば、石叫ぶべし」と答えられた。(ルカ19:28~40)

また、イエスは娘のことで助けを求めたカナンの女に、「子供のパンをとりて小狗(こいぬ)に投げ與ふるは善からず」と言われた。女はイエスを見上げ「然り、主よ、小狗も主人の食卓よりおつる食屑(たべくず)を食ふなり」と答え、イエスは「をんなよ、汝の信仰は大なるかな、願のごとく汝になれ」と祝福された。(マタイ15:21~28)

神は「路傍の石」に賛美の口を与え、小狗(こいぬ)に「いのちのパン」を下さる。恵みは、受け取る資格のないものこそに溢れ来る。

(†心のデボーション01888)

† 心のデボーション 01889

「我ダニエルこの異象を見てその意義を知んと求めをりける時人のごとく見ゆる者わが前に立り」 ダニエル8:15 明治元訳聖書

「われダニエルはこの幻を見て、その意味を知ろうと求めていた時、見よ、人のように見える者が、わたしの前に立った」 口語訳聖書

 「意味を悟る」

ダニエルは一つの幻を見たが、その意味は分からなかった。意味を知ろうとして求めていた時、「幻を悟らせる」御使いが遣わされ、幻の意味をとき明かした。

人の前には多くの意味が隠されている。意味がないのではなく、それは意味を持って隠されているのである。神が御使いを遣わされる時、隠された意味は明らかにされる。

(†心のデボーション01889)

† 心のデボーション 01890

「この生命すでに顯れ、われら之を見て證をなし、その曾て父と偕に在して、今われらに顯れ給へる永遠の生命を汝らに告ぐ」 Ⅰヨハネ1:2 大正文語訳聖書

「このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです」 新改訳聖書

 「永遠のいのち」

「すべての知恵は主から出て、永遠に主とともにある」 シラ書1:1 フランシスコ会訳聖書

すべての知恵は神から出て、神と共にあって、永遠である。知恵ある人とは神の傍らにある人である。知恵は人を永遠に導く。「永遠 αἰών   アイオーン 」は「時代、この世、現世」をさし、長い時、永遠を意味する。

永遠を信じる者は、「今この時」に自分の傍らにいます神を信じる。死はいのちによってその力を失う。

(†心のデボーション01890)

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