心のデボーション188

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

† 心のデボーション 01871

「これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」 マタイ5:45 大正文語訳聖書

「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ」 新改訳聖書

 「良い人」

確かに、良い人は「良い倉から良い物を取り出し」悪い人は「悪い倉から悪い物を取り出す」。(マタイ12:45)それでも、神は良い人にも悪い人にも陽を上らせ、恵みの雨を降らせる。問題は、ただ良い人だけでは生きられず、「悪い倉」から「悪い物」を取り出さなければならないときがあることである。

そのときにも陽は昇る。そのぬくもりは私に良い人と思われなくてもいいと伝えてくれる気がする。

(†心のデボーション01871)

† 心のデボーション 01872

「かくしてその第五十年を聖め國中の一切の人民に自由を宣しめすべしこの年はなんぢらにはヨベルの年なりなんぢらおのおのその產業に歸りおのおのその家にかへるべし」 レビ25:10 明治元訳聖書

「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る」 新共同訳聖書

 「カレンダー」

「カレンダー calendar」は「calare 呼ぶ、叫ぶ」から来たもので、「一年を知らせるもの」の意味だそうである。

ユダヤでは7年毎に土地を休ませる「安息年」があり、「安息年」が7たび巡った翌年を「ヨベルの年」として売却された土地ももとの持ち主に戻された。

解放を知らせる希望のカレンダーがあるとよい。

(†心のデボーション01872)

† 心のデボーション 01873

「おのれの家をくるしむるものは風をえて所有とせん 愚なる者は心の智きものの僕とならん」 箴言11:29 明治元訳聖書

「自分の家族を苦しめる者は風を所有とする、愚かな者は心のさとき者のしもべとなる。

 「砂漠に吹く風」

アラブの諺に「家族製のナイフはよく切れない」というのがあり、「親族に傷つけられても腹を立ててはいけない」という意味だそうである。

だが、切れすぎる「家族製のナイフ」もある。これで切られた傷はなかなかふさがらない。「自分の家族を苦しめる者は風を所有する」。その「風」はすべてを涸らす砂漠に吹く風であろう。

(†心のデボーション01873)

† 心のデボーション 01874

「ヱホバよ歸りたまへ わがたましひを救ひたまへ なんぢの仁慈の故をもて我をたすけたまへ」 詩篇6:4 明治元訳聖書

「主よ、立ち帰り/わたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしく/わたしを救ってください」 詩篇6:5 新共同訳聖書

 「わがたましひを救ひたまへ」

人生には、答えることの難しい「なぜ」がある。答えなければ誤解されてしまうし、無理に理屈をつけると、さらに誤解されてしまう。人生の根源的な出来事は、みな答えることの難しい「なぜ」にはじまるようでもある。「なせ」という問いに答えるよりも、「なぜ」にはじまる出来事そのものを見つめるがよい。

(†心のデボーション01874)

† 心のデボーション 01875

「なんぢは善にして善をおこなひたまふ ねがはくは汝のおきてを我にをしへたまへ」 詩篇119:68 明治元訳聖書

「あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください」 口語訳聖書

 「神様は善をなされる」

ラビ・アキバは老年になって、ローマ帝国の迫害を逃れて、ランプ一個、雄鶏一羽、ロバ一頭を携えて砂漠を彷徨ったという。ランプは夜聖書を読むため、雄鶏は夜明けを知るため、ロバは砂漠を移動するためだった。しかし、ある日、見つけた部落に入ることを断られ、加えてランプ一個、雄鶏一羽、ロバ一頭も失ってしまう。途方に暮れながらも、ラビ・アキバは「しかし、神様は正しい。神様は善をなされる」とつぶやく。

翌日、ラビ・アキバは自分を拒んだ部落が盗賊に襲われて壊滅し、ランプが風に吹かれて消え、鶏とロバが死んだので強盗が自分の所在に気づかれなかったのだと知って、苦難の中にも働く神の恵みに感謝したという。

(†心のデボーション01875)

† 心のデボーション 01876

「されば我等はキリストの使者たり、恰も神の我等によりて汝らを勸め給ふがごとし。我等キリストに代りて願ふ、なんぢら神を和げ」 Ⅱコリント5:2 大正文語訳聖書

「神の和解を受け入れなさい」 新改訳聖書

 「欠点を生きる」

自分の欠点はなかなかわからないものである。他人から指摘されて、そんなことはないとむきになって否定したくなったら、それが欠点というものかもしれない。痛いところをつかれたので腹が立つのである。

欠点のない人というのは印象に残らないものである。欠点を直すというよりも、とことん欠点を生きてみるというのも一つの方法かもしれない。欠点はなじんでしまえば、それほど扱いにくいものではない。

神と和解する人は自分とも和らぎ、欠点のある自分を喜ぶ。「いい人」にはなれそうにない。

(†心のデボーション01876)

† 心のデボーション 01877

「神の子等人の女子の美しきを見て其好む所の者を取て妻となせり」 創世6:2 明治元訳聖書

「神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった」 口語訳聖書

 「美しい娘」

神の子たちは美しい娘を妻にめとった。「美しい」を意味するヘブライ語 טוֹב には、「より良い、好ましい、楽しい、優しい、親切な、明るい」という意味がある。男性が女性に感じる「美しさ」は内的な好ましさに由来する美しさである。女性は自分の内的美しさを引き出してくれる男性に魅かれる。

(†心のデボーション01877)

† 心のデボーション 01878

「汝等、我等の父にアブラハムありと心の中に云はんとすること勿れ」 マタイ3:9 大正文語訳聖書

「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」 新共同訳聖書

 「存在の秘密」

「アブラハム」という名はユダヤ人に多くの期待をもたらした。「アブラハム」はユダヤ人の誇りであり未来であった。「名」には存在の秘密が隠されている。人が名をもち、それが現れてくることは驚くべきことである。

それら一個一個の名は「アブラハム」の名と同じ重さを持つ。

「アブラハム」はすべての「私」の基として、その名は限りなく尊い。

(†心のデボーション01878)

† 心のデボーション 01879

「心の潔きを愛する者はその口唇に憐憫をもてり 王その友とならん」 箴言22:11 明治元訳聖書

「心の潔白を愛する者、その言葉の上品な者は、王がその友となる」 口語訳聖書

 「心が潔白を愛する者」

英語で大統領候補者を a candidate for president という。「候補者 candidate」は「cand 白」で、古代ローマでは公職の候補者は潔白をあらわすため白い服をまとったことから来ている。

白い服を着ているからといって信用できるものでは勿論ない。箴言は「心が潔白を愛する者、その言葉の上品な者」を候補者と認めるようだ。

(†心のデボーション01879)

† 心のデボーション 01880

「我は安然ならず穩ならず安息を得ず唯艱難のみきたる」 ヨブ3:26 明治元訳聖書

「静けさも、やすらぎも失い/憩うこともできず、わたしはわななく」 新共同訳聖書

 「静けさと安らぎ」

医師が軽い病気の人に、「まもなく良くなりますよ」と告げると、患者の60%以上が2週間以内に症状が軽いくなり、「原因がよくわかりませんね」と告げると、症状が軽くなった患者は40%に下がったという。

信頼できる人の言葉は心を癒してくれる。「安心」が病を癒す最良の薬なのかもしれない。

ヨブの苦しみは「静けさも、安らぎも失った」ことかもしれない。

(†心のデボーション01880)

コメント