† 心のデボーション 01841
「汝が生ながらふる日の間なんぢに當る事を得る人なかるべし我モーセと偕に在しごとく汝と偕にあらん我なんぢを離れず汝を棄じ」 ヨシュア1:5 明治元訳聖書
「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう」 新改訳聖書
「シカト」
子どものいじめで、相手を無視することを「シカト」という。
「シカト」は博徒の隠語で、花札の鹿がいつも横を向いていることから出たのだそうである。子どもの「シカト」には、博徒のそれよりもはるかに怖いものが感じられる。
シカトされても、自分自身を生きる勇気を失わないことだ。自分を見失いさえしなければ、「あなたとともにいよう」という神の声を必ず聞くことができる。
(†心のデボーション01841)
† 心のデボーション 01842
「あくる日デナリ二つを出し、主人に與へて「この人を介抱せよ。費もし増さば、我が歸りくる時に償はん」と言へり」 ルカ10:35 大正文語訳聖書
「翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った」 口語訳聖書
「善きサマリヤ人」
インターネットで有害とされるものをプロバイダーが削除したりすることを、「無償で善意の行動は結果責任を問われない」という意味から「善きサマリヤ人」というそうである。
しかし、聖書の「善きサマリヤ人」は旅の途中だったので強盗にあった人を介抱し、宿屋に運び、宿賃と介抱代を支払ってから旅を続け、旅の帰り道には宿屋に寄って、怪我した者の回復を見届け、費用が足りなければ支払うつもりでいる。
「無償の善意の行動」なら「結果責任は問われない」ということではない。
(†心のデボーション01842)
† 心のデボーション 01843
「汝一箇の分を七また八にわかて 其は汝如何なる災害の地にあらんかを知ざればなり」 伝道11:2 明治元訳聖書
「あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ」 新改訳聖書
「危険への備え」
伝道11:2は「卵を同じバスケットに入れるな」というのと同じ。受ける分を七人か八人に分散して預ければ、失うことがあってもいくつかは残る。神に身をゆだねる人は、安らかに眠る。しかし、それは危険への備えを手放すことではない。
神が最善をなしたもうと信じることと、いくつもの方法で危険を分散する知恵は一つである。
(†心のデボーション01843)
† 心のデボーション 01844
「なんぢら愼みをののきて罪ををかすなかれ 臥床にておのが心にかたりて默せ セラ」 詩篇4:4 明治元訳聖書
「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ」 新改訳聖書
「静まれ」
「静まれ דָּמַם dâmam」は「自己を静かに保つ」の意味。
恐れおののけ。そして罪を犯すな。一日の初めに(ユダヤでは一日は夕に始まる!)、床の上で、自分の心(真っ中心)に語れ。
(†心のデボーション01844)
† 心のデボーション 01845
「これに別れて過ゆき間もなくわが心の愛する者の遇たれば 之をひきとめて放さず 遂にわが母の家にともなひゆき 我を產し者の室にいりぬ」 雅歌3:4 明治元訳聖書
「わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへやにはいった」 口語訳聖書
「わが愛する者」
2013年6月、厚生労働省の発表によると、高齢者の16%が2週間の間他人と一言もことばを交わさなかったという。
健康的な精神でいるためには、1日30人と何らかの接触が必要とされる。だが、一日中、家ですごさなければならず、その間、一人の他人と言葉を交わすことができなくても、心配はいらない。「言葉を交わす他人」は雑踏の中にいるのではなく、心の中で出会う他人のことだからである。人数の問題でもない。
(†心のデボーション01845)
† 心のデボーション 01846
「ヱホバは心のくだけたるものを醫しその傷をつつみたまふ」 詩篇147:3 明治元訳聖書
「主は心の打ち砕かれた者をいやし、彼の傷を包む」 新改訳聖書
「トラウマ」
トラウマはギリシャ語で「傷」を意味する。
自分の能力では対処しきれないような衝撃を受けると、それがトラウマ「心の傷」として残る。トラウマの怖さは、事が落ち着いた後に、夢や意識の中に、突然、生々しい記憶としてよみがえることである。
よみがえった記憶は「神への賛美」に解き放つがよい。神は心の記憶から私を「背負って、救い出し」てくださる。(イザヤ書46:4)
(†心のデボーション01846)
† 心のデボーション 01847
「其の愛は強くして死のごとく 嫉妬は堅くして陰府にひとし その熖は火のほのほのごとし いともはげしき熖なり」 雅歌8:6 明治元訳聖書
「愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です」 口語訳聖書
「リュウキュウクチキゴキブリの夫婦」
九州大の大学院生、大崎遥花さんと粕谷英一准教授が沖縄の森林に生息するゴキブリの一種が、オスとメスで互いの羽を食べ合う生態を持つことを、発見した。(2021/3/2 朝日新聞配信)
リュウキュウクチキゴキブリで、雄と雌がつがいになると互いの羽を食べてしまう。羽がないので互いに他のゴキブリには行かず、一生を同じカップルで子育てに励む。浮気防止かもしれないという。
(†心のデボーション01847)
† 心のデボーション 01848
「かれらの毒は蛇のどくのごとし かれらは蠱術(まじわざ)をおこなふものの甚(いと)たくみにまじなふその聲をだにきかざる耳ふさぐ聾(みみしひ)の蝮のごとし」 詩篇58:5 明治元訳聖書
「蛇の毒にも似た毒を持ち、耳の聞こえないコブラのように耳をふさいで」 新共同訳聖書
「耳ふさぐ聾の蝮」
詩篇には「耳ふさぐ聾(みみしひ)の蝮」(明治元訳聖書)と言われる。
蝮は物陰でとぐろを巻き、首をもたげて、近寄るものを襲う。だが、多くの「蝮」は獲物でないものが近づけば、その気配でとぐろを解いて逃げる。
しかし「耳ふさぐ聾(みみしひ)の蝮」はみずから耳を塞ぎ、自分に近寄るものの気配を聞かない。そのため、近寄るものはなんであれ、飛びかかって毒の歯で噛みつく。
彼らの恐ろしさは、その「毒」にあるのだが、さらにその罪は、耳を塞いで他の声を聞かないことにある。
(†心のデボーション01848)
† 心のデボーション 01849
「わが子よ 汝ききて智慧をえ かつ汝の心を道にかたぶけよ」 箴言23:19 明治元訳聖書
「わが子よ、聞き従って知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐに進むようにせよ」 新共同訳聖書
「喜怒哀楽」
一つの出来事には「喜怒哀楽」の全部が入っている。「喜」だけ「哀」だけもなければ、「怒」だけ「哀」だけというものもない。「喜怒哀楽」の全部を味わて、心は落ち着くようだ。
(†心のデボーション01849)
† 心のデボーション 01850
「なんぢ途のながきに疲れたれどなほ望なしといはず なんぢ力をいきかへされしによりて衰弱ざりき」 イザヤ57:10 明治元訳聖書
「あなたは、長い旅に疲れても、「あきらめた」とは言わなかった。あなたは元気を回復し、弱らなかった」 新改訳聖書
「606号」
「サルバルサン (Salvarsan)」は梅毒の薬で、その名は「救世主 Salvator 」と「砒素 arsenic」から取られたものでドイツのIG・ファルベン社の登録商標になっている。「サルバルサン」はドイツのパウエル・エールリッヒと日本の秦佐八郎が研究を重ね、606回目の実験でようやく成功したところから「606号」と呼ばれる。
(†心のデボーション01850)
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