心のデボーション184

デボーション1
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† 心のデボーション 01831

「互に仁慈と憐憫とあれ、キリストに在りて神の汝らを赦し給ひしごとく、汝らも互に赦せ」 エペソ4:32 大正文語訳聖書

「心の優しい人となり」 新改訳聖書

 「心の優しい子」

ある冬の寒い日、保育園で子ども達が水槽をのぞいている。「お水が冷たくて金魚さんがかわいそう」。そこで子ども達は庭に小さな穴を掘り、金魚を埋めて、木の葉のフトンをかけてやることにした。

この会話を聞いていなければ、大人には金魚を生きたまま土に埋める心の冷たい子ども達に映るかもしれない。しかし、この子ども達なら、すぐに金魚にとっての優しさが何かを正しく知るようになるだろう。

(†心のデボーション01831)

† 心のデボーション 01832

「聽くところの耳と視るところの眼とはともにヱホバの造り給へるものなり」 箴言20:12 明治元訳聖書

「聞く耳と、見る目とは、ともに主が造られたものである」 口語訳聖書

 「聞く耳と、見る目」

主イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」(マタイ11:15 フランシスコ会訳聖書)と言われた。「聞く耳」と「見る目」はともに神が創られる「耳と目」である。ことばを聞き分け、見るべきものを見抜く。

(†心のデボーション01832)

† 心のデボーション 01833

「われに聖意をとめ 我にこたへたまへ われ歎息によりてやすからず悲みうめくな」 詩篇55:2 明治元訳聖書

「わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは悩みの中にあってうろたえています。わたしは不安です」 詩篇55:3 新共同訳聖書

 「マスク」

Covid-19のため、多くの人々が外出の際にはマスクをするようになった。マスクは顔の半分を隠すので、相手から素顔を隠すこともできる。一種の変身である。Covid-19が終息したあとも、マスクを着けないと安心して外出できない人が出るのではないか。素顔を知られると、そこから自分を覗きこまれるようで不安になるのである。

杞憂であればそれでよい。

(†心のデボーション01833)

† 心のデボーション 01834

「耳は説話を辨へざらんや その状あたかも口の食物を味ふがごとし」 ヨブ12:11 明治元訳聖書

「耳はことばを聞き分けないだろうか」 新改訳聖書

 「聞き違い」

子どものころ私は母親が「お前ゴハンだよ、ゴハン」といったのを「お前バカだよ、バカ」と聞き違えたことがある。

子どもが聞き違いをしているとわかったら母親は「お前はバカなどではない」と告げてあげるのが大切である。そうでないと「お前バカだよ」という声が、子どもの心に深く刻まれることになるからである。「聞き違い」には、そう「聞きたがっている心」が隠されている。その思いを「聞き分ける」必要がある。

(†心のデボーション01834)

† 心のデボーション 01835

「かくの如きは僞使徒また詭計の勞動人にして、己をキリストの使徒に扮へる者どもなり」 Ⅱコリント11:13 大正文語訳聖書

「こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです」 新共同訳聖書

 「ずる賢さ」

「百舌(もず)勘定」という四字熟語は「モズとハトシギが15文の買い食いをし、モズはハトに8文、シギに7文出させ、自分は1文も払わなかった」という昔話から来たという。

一緒に食事をしても、相手に支払いをさせて、自分ではけっして金を支払わない人のことを言う。

百舌鳥はずる賢いようだが、カッコウに托卵されて、痛い目にあることもあるようだ。

「ずる賢さ δόλιος」は「欺き、欺瞞」の意味で、放置すると「偽使徒」にまでなってしまう。

(†心のデボーション01835)

† 心のデボーション 01836

「膏と香とは人の心をよろこばすなり 心よりして勸言を與ふる友の美しきもまた斯のごとし」 箴言27:9 明治元訳聖書

「友の慰めはたましいを力づける」 新改訳聖書

 「雨天の友」

英語には「晴天の友」という表現がある。青空のうちは楽しくつき合うが、雲が見えてくると身を引き始め、雨でも降ろうものなら一目散に逃げ帰ってしまう友のことである。

一緒にぬれてくれるのは大切にしたい良い友である。しかし、もっと嬉しいのは傘を持って戻ってきてくれる「雨天の友」である。

A friend in need is a friend indeed.  まさかの時の友こそ真の友
C’est dans le besoin qu’on connaît ses vrais amis.  困ったときにこそ、本当の友がわかるものだ。

天気のよい日には友はみな「晴天の友」である。雨が降ってはじめて、「雨天の友」かどうかがわかる。たが、天気のよい日にあきらかに「雨天の友」とわかることがある。彼は雨も降らないのに傘を持ち歩き、友を見ると一緒に入れと傘を傾けてくる。真の「雨天の友」ではない。

(†心のデボーション01836)

† 心のデボーション 01837

「人の霊魂はヱホバの燈火にして人の心の奧を窺ふ」 箴言20:27 明治元訳聖書

「人間の霊は主のともしび。その深い所でさえも、すべてを探り出す」 フランシスコ会訳聖書

 「人間の息、魂、霊」

「人間の息」をフランシスコ会訳聖書は「人間の霊」と訳す。「息 ‎נִשְׁמַ֣ת」は「霊、魂」とも訳すことができる。

「人間の息、魂、霊」は「主の灯」であり、心の奥の深い所でさえも、すべてを探り出す。

一呼吸ごとに人は自らを探り出す。

(†心のデボーション01837)

† 心のデボーション 01838

「ヨハネ、パリサイ人およびサドカイ人のバプテスマを受けんとて、多く來るを見て、彼らに言ふ『蝮の裔よ、誰が汝らに、來らんとする御怒を避くべき事を示したるぞ」 マタイ3:7 大正文語訳聖書

「ヨハネは、ファリサイ派とサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、彼らに言った。「まむしの子孫、来るべき神の怒りから逃れるようにと、誰が教えたのか」 フランシスコ会訳聖書

 「蝮の裔(すえ)」

バプテスマのヨハネは荒野の群衆にファリサイ派とサドカイ派がいるのを見て「蝮の裔(すえ)よ」と厳しい言葉をかける。

「蝮 ἔχιδνα エきドナ」は「まむし、毒蛇」をさす。

「かれらは蛇のごとくおのが舌を利す そのくちびるのうちに蝮の毒あり」詩篇140:3 明治元訳聖書

「蛇」は「細く、鋭い舌」をもち、その「くちびる」に「蝮の毒」を持っている。ファリサイ派とサドカイ派はその口に「蝮の毒」があり、蛇のように「鋭い舌」をその口からチョロチョロと出し入れする。「欺きの舌」である。(ロマ3:13) ファリサイ派とサドカイ派は善良で真面目な人々だったが、その教えの間違いに気づいてはいなかった。

「欺きの舌」はヨハネの時代から現在まで、その動きを止めたことはない。バプテスマのヨハネを失ってはならない。

(†心のデボーション01838)

† 心のデボーション 01839

「わが義をまもりたまふ神よ ねがはくはわが呼るときに答へたまへ わがなやみたる時なんぢ我をくつろがせたまへり ねがはくは我をあはれみ わが祈をききたまへ」 詩篇4:1 明治元訳聖書

「わたしの正しさを証ししてくださる神よ、叫びに答えてください。悩みの時、広々とした所に連れ出し、私を顧み、祈りを聞いてください」 フランシスコ会訳聖書

 「狭いところから」

「悩みの時 צַר  tsar」は、「狭い、きつい場所」を意味することばで「トラブル、苦難」をあらわす。

トラブルを抱えて狭い所に押し込められた時、私は神に祈る。すると神は私を「広々とした所 רָחַב  râchab 」に連れ出してくださる。神は私を「広々とした所 רָחַב  râchab 」に解き放ち、私をくつろがせてくださる。

(†心のデボーション01839)

† 心のデボーション 01840

「斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎をもて執成し給ふ」 ロマ8:26 大正文語訳聖書

「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」 新改訳聖書

 「黄金の舌」

エジプト観光・考古省は2021年1月、北部アレクサンドリアの神殿に埋葬された古代ミイラの口から「黄金の舌」が見つかったと発表した。

大きく開いたミイラの口に黄金でつくられた「舌」が置かれている。英BBC放送によると、古代エジプトでは、死者はオシリス神の法廷にかけられ、弁明を求められるとの信仰があり、「黄金の舌」は死者が生前の行為をうまく弁明できるようにとの願いか込められているという。(2021/2/3エジプト観光・考古省提供・共同配信)

ミイラは朽ちていく柩の中で、生々しい「黄金の舌」をもって何をしゃべり続けるのだろうか?

(†心のデボーション01840)

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