† 心のデボーション 01811
「彼らは呟くもの、不滿をならす者にして、おのが慾に隨ひて歩み、口に誇をかたり、利のために人に諂ふなり」 ユダ1:16 大正文語訳聖書
「彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます」 新改訳聖書
「ぶつくさ病」
「ぶつくさ病」は、本人にはあまり自覚されない病気で、口に出すたびに幸せが遠のいていく。本人は自分の不運をつぶやくのだが、実は、つぶやきがその人の不運を運んでくるのである。
つぶやきの多くは他人に向けられるが、気に入らないのは自分自身かもしれない。
今の自分がどんなに不満であれ、つぶやきで自分を責めないことである。頑張ってきた自分を一番よく知っているのだから。
(†心のデボーション01811)
† 心のデボーション 01812
「汝の後の日に望あり兒子等その境に歸らんとヱホバいひたまふ」 エレミヤ31:17 明治元訳聖書
「あなたの将来には望みがある。──主の御告げ──あなたの子らは自分の国に帰って来る」 新改訳聖書
「ハ・ティクバ」
イスラエル国家「ハ・ティクバ」の「ティクバ」は「希望」の意味で、「我々の、希望はまだ失われていない」と歌う。その「2千年の希望とは、自由なる民として生きること、シオンの地、エルサレムの地において」と続く。迫害の歴史を希望を失うことなく生き抜く民の美しい歌である。
כָּל עוֹד בַּלֵּבָב פְּנִימָה
נֶפֶשׁ יְהוּדִי הוֹמִיָּה
וּלְפַאֲתֵי מִזְרָח קָדִימָה
עַיִן לְצִיּוֹן צוֹפיָּה
עוֹד לֹא אָבְדָה תִּקְוָתֵנוּ
הַתִּקְוָה בָּת שְׁנוֹת אַלְפַּיִם
לִהְיוֹת עַם חָפְשִׁי בְּאַרְצֵנוּ
אֶרֶץ צִיּוֹן וִירוּשָׁלַיִם
心に秘めて今もなお,
ユダヤの魂が呼んで、
そして東方の岸へ、前へ、
目がシオンを目差している限りある――
我々の、希望はまだ失われていない、
その2千年の希望とは、
自由なる民として生きること、
シオンの地、エルサレムの地において
(†心のデボーション01812)
† 心のデボーション 01813
「有能な人物」 エズラ8:18 新共同訳聖書
「思慮深い人」 新改訳聖書
「有能な人」
アメリカの自動車のトップセールスマンは、商談に訪れる客が乗ってきた車を丹念に見るという。長年乗ってきた車にはその人のセンスや趣味、家族構成など、セールスに必要な情報がしっかり残っている。それらを知った上で客の求める新しい車をセールスするのだという。
相手を見つめる目の深さがものをいう。
(†心のデボーション01813)
† 心のデボーション 01814
「神の造り給へる物はみな善し、感謝して受くる時は棄つべき物なし」 Ⅰテモテ4:4 大正文語訳聖書
「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません」 新改訳聖書
「歯垢」
歯垢といえば汚いものとして、目の敵にされる。しかし、最近、歯垢には免疫力を高める物質が含まれていることがわかったそうである。そこで、歯垢から抗ガン剤をつくれないかという研究も始まっているらしい。
不用としか思えないものに、実は、大切なものが含まれている。感謝して受け取れば、「捨てるべき物」は何一つない。でも、やはり、歯は毎日みがいた方がいい。歯垢からつくられた抗ガン剤は、飲む時少し気になるかもしれない。
(†心のデボーション01814)
† 心のデボーション 01815
「智者の口の言語は恩徳あり 愚者の唇はその身を呑ほろぼす」 伝道10:12 明治元訳聖書
「知恵ある者が口にすることばは優しく、愚かな者のくちびるはその身を滅ぼす」 新改訳聖書
「若い牧師」
ある若い牧師が病室に信者を見舞った。病室は大部屋で8つのベッドが並んでいた。若い牧師は帰り際に病室を見回して、「皆さんの為にお祈りをさせてください」と告げ、よく通る声で病室のみなの為にお祈りをささげ、満足して帰って行った。若い牧師の去った後、しばらくの間、病室に気まずい空気が流れたという。
病む人には、見舞ってくれる人の心がよく見えるのだ。
(†心のデボーション01815)
† 心のデボーション 01816
「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず」 Ⅰコリント13:4 大正文語訳聖書
「愛は自慢せず、高慢になりません」 新改訳聖書
「見事につまる」
新郎は緊張すると言葉につまるところがあった。
そこで心配して、結婚式の誓約を「できるだけしゃべらないですむようにしましょうか」と尋ねると、「つまってもいいですか」と聞いてきた。もちろんである。その結果、誓約の場面では、それは見事につまってくれた。
彼ほど男らしく愛を約束した人を見たことがない。彼が自分を「自慢する」ことも「高慢」にもならなかった。ただ彼女に自分のことばで愛を誓いたかったのである。それだけ彼女を愛していた。
(†心のデボーション01816)
† 心のデボーション 01817
「ヨハネ、パリサイ人およびサドカイ人のバプテスマを受けんとて、多く來るを見て、彼らに言ふ『蝮の裔よ、誰が汝らに、來らんとする御怒を避くべき事を示したるぞ」 マタイ3:7 大正文語訳聖書
「ヨハネは、ファリサイ派とサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、彼らに言った。「まむしの子孫、来るべき神の怒りから逃れるようにと、誰が教えたのか」 フランシスコ会訳聖書
「バプテスマ」
ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けようとした人々の列にファリサイ派とサドカイ派の人々もいた。しかし、彼らの多くはヨハネの「悔い改め」に応じて来たのではなかった。
彼らは「何度も洗えば洗うほど浄化される」と考え、ヨハネにも洗ってもらおうとしたのである。それに対してヨハネは荒野で「一回限りのバプテスマ」を授けた。
人は徐々に浄められるのではない。浄められたものが徐々に現われるのである。
(†心のデボーション01817)
† 心のデボーション 01818
「世には國語の類おほかれど、一つとして意義あらぬはなし」 Ⅰコリント14:10 大正文語訳聖書
「世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません」 新改訳聖書
「ことばの意味」
ナンバーは、英語では Number なのに何故「No」と略記するのという疑問の答えは Number のラテン語は Numero で、その最初の N と最後の o をつなげて No. となったのだそうです。何故、そのようなことにしたのかはわかりませんが、Num. よりもゴロがよいのは確かである。
ことばには意味が分わからなくても、使うことに問題のない面もあるが、あえて意味を考えるとことばがそれを教えてくれる。
(†心のデボーション01818)
† 心のデボーション 01819
「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書
「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書
「斧は樹の根に置かる」
「伐られて」を漢訳聖書は「砍」、明治元訳聖書は「斫(きら)れて」とする。「斫」は「石」+「斤」で「斤」は「斧」のことで、「硬いものを斧でたたき割る」の意味である。
実をつけない樹は根元から斧で叩き割られる。
「斧」は「私」という樹の根元に置かれている。
(†心のデボーション01819)
† 心のデボーション 01820
「こは人に智慧と訓誨とをしらしめ哲言を暁らせ」 箴言1:2 明治元訳聖書
「これは知恵を知り、教育を与え、悟りの言葉を深く知るためのものであり」 フランシスコ会訳聖書
「愚か者の知恵」
「愚かな者はすでに心がないのに、どうして知恵を買おうとして手にその代金を持っているのか」 箴言17:16 口語訳聖書
「知恵」を買うのは智者だけではない。愚か者もまた「知恵」を買おうとして「手に代金を握る」(箴言17:16)。
愚か者も、知恵を買おうとして「手に代金を握る」(箴言17:16)。だが、彼には「知恵」を見分ける思慮がない。彼は手にした代金で紛い物の知恵を買ってしまう。
(†心のデボーション01820)
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