† 心のデボーション 01771
「人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし」 ヨハネ15:13 大正文語訳聖書
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」 新共同訳聖書
「最後の水とパン」
犬養道子さんは、「救援する私たち自身が倒れてはいけない」、そのために「自分たちの水やパン」をこっそり確保しておかなくてはいけない」、そういう「援助・奉仕は、ほんとうにつらい」と書いている。(犬養道子「こころの座標軸」)
「友のために己の生命を棄つる」は、友のために最後の水とパンを与えることではなく、自分のいのちを最後まで生きることである。
(†心のデボーション01771)
† 心のデボーション 01772
「われ夜わが歌をむもひいづ 我わが心にてふかくおもひわが霊魂はねもころに尋ねもとむ」 詩篇77:6 明治元訳聖書
「わたしは夜、わが心と親しく語り、深く思うてわが魂を探り、言う」 口語訳聖書
「早気 はやけ」
弓道に「早気 はやけ」という言葉がある。弓にはいっぱいに引いた状態で矢を放つタイミングをはかる「会 かい」という段階があり、「早気」は「会」を十分に保てずに、自分の意志に反して矢を放ってしまう癖を言う。アーチェリーでは「ターゲットパニック」というそうである。気持ちも体力も十分でないのに成果だけをだそうというあせりが原因とされる。的にあてようという気持ちから離れて的に向かうとよいという。
射き切ることが出来れば的を外しても自分の矢である。
(†心のデボーション01772)
† 心のデボーション 01773
「ダビデの子イスラエルの王ソロモンの箴言」 箴言1:1 明治元訳聖書
「ダビデの子イスラエルの王ソロモンの箴言」 新共同訳聖書
「箴言」
「箴言」の漢字「箴」は衣服をつづり合わせる竹製の「針」を意味した。鍼術 で用いる石で作った鍼は「箴石」と呼ばれた。「箴石」はツボを刺せば痛みを生じるが病を癒す力があったところから、いましめのことばを「箴言」と呼んだ。
「箴言」を意味するヘブル語 マーシャール は「類似によって説明する」の意味で現実の出来事と霊的な事柄の類比を格言として教えたものである。
(†心のデボーション01773)
† 心のデボーション 01774
「困苦にあひたりしは我によきことなり 此によりて我なんぢの律法をまなびえたり」 詩篇119:71 明治元訳聖書
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました」 口語訳聖書
「流謫(るたく)の客」
「時折り、何かの患難挫折に遭遇するは、私共に善い事である。人は是れ流謫(るたく)の客であって、この世の何物にも望を繋ぐべからざるを、之に由て屡々ば想起させられるからである」(トマス・アケンピス「基督のまねび」)
時折り、苦難にあう。それによって私は地にて「流謫(るたく)の客」(流謫 罪によって遠方に流されること)と知る。追放され、地を彷徨う身であれば、苦難に遭遇するのは当然である。「それも倂し亦好い」とアケンピスは言う。「流謫(るたく)の客」の謙遜に向かわせ、神を一層に求めさせるからである。
(†心のデボーション01774)
† 心のデボーション 01775
「二人は久しく留り、主によりて臆せずして語り、主は彼らの手により、徴と不思議とを行ひて惠の御言を證したまふ」 使徒14:3 大正文語訳聖書
「それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた」 新改訳聖書
「主によって大胆に」
マルクス・アンナエウス・ルカヌスは「大きな恐怖は、敢えて行うことによって隠される Audendo magnus tegitur timor.」という言葉を残したという。
「恐怖」の大半は「あえて行う」ことで消える。「恐怖」は繰り返し考えることで増幅する。しかし、十分に考えずに行動することは「あえて行う」と同じではない。
弟子たちは、「主によって大胆に」語った。
(†心のデボーション01775)
† 心のデボーション 01776
「ここにエルサレム及びユダヤ全國、またヨルダンの邊なる全地方の人々、ヨハネの許に出できたり」 マタイ3:5 大正文語訳聖書
「そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て」 新改訳聖書
「真の説教」
ヨハネは荒野で説教した。ヨハネの説教を聞くために「エルサレム及びユダヤ全國、またヨルダンの邊なる全地方の人々」が荒野にヨハネを訪れた。
だが、荒野に行かない(行けない)人々もいた。この人々にも、荒野の風は「ヨハネの声」を運んだにちがいない。そこにいない人々に語られてこそ真の説教である。
(†心のデボーション01776)
† 心のデボーション 01777
「暗中より隱れたる事等を顯し 死の蔭を光明に出し」 ヨブ 12:22 明治元訳聖書
「暗やみの中から隠れた事どもをあらわし、/暗黒を光に引き出し」 口語訳聖書
「一方的な情報」
一方的な情報を鵜呑みにすることほど危険なことはない。情報には必ずその情報をもたらす背景がある。背景がわからない情報は分かるまで判断を保留すべきである。
「一方的な情報」は、次々に姿を変えて現れる。
(†心のデボーション01777)
† 心のデボーション 01778
「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」 マタイ11:28 大正文語訳聖書
「わたしがあなたがたを休ませてあげます」 新改訳聖書
「動きを止めて」
疲れたら、素直に休むことだ。イエス・キリストは「あなたがたを休ませてあげよう」といわれる。
「休ませる」は「何かを止める」からきている。動きを一時止めることである。さらにこのことばには「静かに待つ」という意味も含まれている。
忙しくしていないと不安な人は「静かに待つ」ことができない。それほど疲れているのだ。魂にとって、この疲れは危険である。
(†心のデボーション01778)
† 心のデボーション 01779
「ヱホバの怒りの爲に之に住む者なくして悉く荒地となるべしバビロンを過る者は皆その禍に驚き且嗤はん」 エレミヤ50:13 明治元訳聖書
「主の怒りによって、そこに住む者はなく、ことごとく廃墟と化する。バビロンのあたりを通り過ぎる者はみな、色を失い、そのすべての打ち傷を見てあざける」 新改訳聖書
「激しい怒り」
「A cause du courroux de l’Eternel elle ne sera pas habitée, 主の怒りによって、そこに住む者はなく、ことごとく廃墟と化する」(エレミヤ50:13 フランス語訳聖書)
フランス語 courroux は「com-,altogether とともに + ruptus, broken 粉々になる」からきており、「激しい怒り、激怒」をあらわす。 フランス語 courroux は関係の破綻を意味する。
神は人の関係が粉々に砕かれ、「住む者のない廃墟と化した」ことに激しい悲しみの怒りをあらわされるのである。
(†心のデボーション01779)
† 心のデボーション 01780
「また傳道者は智慧あるが故に恒に知識を民に敎へたり 彼は心をもちひて尋ね究め許多の箴言を作れり」 伝道12:9 明治元訳聖書
「伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた」 新改訳聖書
「探求」
伝道者は思索し、探求する人であった。「探求 חקר」は「徹底的に調べる、探して見出す」の意味である。
智者は専門の事柄だけでなく、それに関わるすべての事柄にあくなき探求心をもって求める人である。
深くを掘り下げる人はその地平を広く歩く人である。
(†心のデボーション01780)
コメント