† 心のデボーション 01751
「多の友をまうくる人は遂にその身を亡す 但し兄弟よりもたのもしき知己もまたあり」 箴言18:24 明治元訳聖書
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる」 新改訳聖書
「八百長」
明治初年に八百屋で碁の好きな長造という人がいて、伊勢海親方との手合わせで、常に一勝一敗になるように指したそうである。そこから「八百長」ということばが生まれたという。彼らの碁はよほど楽しいものだったに違いない。わざとらしく負けたのでは、勝った方にも不愉快が残る。一勝一敗の関係を続けるには、双方に相当の力がなければできるものではない。
子どもに「八百長」を、どのように教えたものだろうか。
(†心のデボーション01751)
† 心のデボーション 01752
「神の靈われを造り 全能者の氣息われを活しむ」 ヨブ記33:4 明治元訳聖書
「神の霊はわたしを造り、全能者の息はわたしを生かす」 口語訳聖書
「アニマ」
ラテン語で「魂」を意味する「アニマ」は「息」の意味をもっている。
ストレスリダクションには深呼吸をするとよい。深い呼吸は、魂を身体の深部に入れることなのかもしれない。
(†心のデボーション01752)
† 心のデボーション 01753
「ヱホバ我を救ひたまはん われら世にあらんかぎりヱホバのいへにて琴をひきわが歌をうたはん」 イザヤ38:20 明治元訳聖書
「主よ、あなたはわたしを救ってくださった。わたしたちは命のあるかぎり主の神殿で/わたしの音楽を共に奏でるでしょう」 新共同訳聖書
「わたしの音楽」
ハイファイ愛好家を英語で audiophile という。「audio 音声 + phile 好む」で、「音声を愛する人」の意味である。
主の神殿で、魂の救いをうたう「わたしの音楽」を奏でることのできる人は何と幸いであろうか。
人はそれぞれの「神に奏でるわたしの音楽」を持っている。
(†心のデボーション01753)
† 心のデボーション 01754
「隠微たる事は我らの神ヱホバに屬する者なりまた顯露されたる事は我らと我らの子孫に屬し我らをしてこの律法の諸の言を行はしむる者なり」 申命記29:29 明治元訳聖書
「隠されていることは、私たちの神、主のものである」 新改訳聖書
「隠されたこと」
自分にとって重要なことは常に隠されていると思う。隠すことも現わすことも、神の知恵による。
現わされたことが人生のすべてでないからこそ、自分の経験を何度でも見つめ直し、その都度を新しく生きることができる。
隠されたことは神が現わされるまで、そのままにしておけばよい。すべてはいつか現わされる。
(†心のデボーション01754)
† 心のデボーション 01755
「世を用ふる者は用ひ盡さぬが如くすべし。此の世の状態は過ぎ往くべければなり」 Ⅰコリント7:31 大正文語訳聖書
「世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである」 口語訳聖書
「この世のファッション」
「And they that use this world, as not abusing it: for the fashion of this world passeth away」 King James Version
「この世の有様」は「the fashion of this world」と訳される。「この世の様式、流行」として纏われたものは時と共に過ぎ去っていく。それらに「深入り」すべきではない。
(†心のデボーション01755)
† 心のデボーション 01756
「このヨハネは駱駝の毛織衣をまとひ、腰に皮の帶をしめ、蝗と野蜜とを食とせり」 マタイ3:4 大正文語訳聖書
「ヨハネは、身にらくだの毛衣をまとい、腰には皮の帯をしめていた。食べ物はいなごと野蜜であった」 フランシスコ会訳聖書
「一狐裘三十年」
春秋時代、斉の名医であった晏子(あんし)は一枚の狐の皮衣を三十年間も着通したという。「三十年」は倹約のたとえである。「狐裘」は狐の脇の下の皮を集めてつくった白い皮衣である。倹約にしては豪華な衣のようだ。
人にはそれぞれ長く着通す衣がある。
(†心のデボーション01756)
† 心のデボーション 01757
「終に言はん、兄弟よ、汝ら喜べ、全くなれ、慰安を受けよ、心を一つにせよ、睦み親しめ、然らば愛と平和との神なんぢらと偕に在さん」 Ⅱコリント13:11 大正文語訳聖書
「終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます」 新改訳聖書
「引き込み現象」
100メートル走で並走する選手の足並みがそろっていくのを「引き込み現象」という。ばらばらの異なるリズムが近づくと次第に揃っていく現象で、Hnygens によって発見された。
相手が眠そうにしていると自分も眠くなったり、相手が不安を感じていると自分も不安になったりするのがそれである。
人間の体は心臓の鼓動のリズムに呼応している。そこで一定のリズム運動をしながら思考すると脳が体のリズム合わせて働くようだ。体を一定のリズムで揺らしながら聖書を暗唱するとよく覚えられる。
(†心のデボーション01757)
† 心のデボーション 01758
「願くはいつはりの道をわれより遠ざけ なんぢの法をもて我をめぐみたまへ」 詩篇119:29 明治元訳聖書
「私から偽りの道を取り除いてください」 新改訳聖書
「偽りの道」
優秀な詐欺師はテクニックで人をだまさない。いつも本気なのだ。病的な詐欺師にいたっては、何がうそか自分にもわからないほどになりきってしまう。
しかし、人の真実はその行動にあらわれる。人を知りたければ、その人の行動で判断することだ。だますつもりはなくても、行動に違和感を感じたら、本当の気持ちが隠されている。
しかし、何もかも知ろうとしないことだ。実害のない「詐欺」はそのままにしても、たいした問題にはならない。
自分が「偽りの道」を歩まないからといって、相手に同じことを求めることはできない。
(†心のデボーション01758)
† 心のデボーション 01759
「幸福ある日には樂め 禍患ある日には考へよ 神はこの二者をあひ交錯て降したまふ 是は人をしてその後の事を知ることなからしめんためなり」 伝道7:14 明治元訳聖書
「順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ/人が未来について無知であるようにと/神はこの両者を併せ造られた、と」 新共同訳聖書
「逆境の友」
「友人は逆境において認識される Amici in rebus adversis cognoscuntur.」
「逆境」は友を見分ける。順境も逆境もともに神が創られた。順境の中に逆境があり、逆境の中に順境がある。
順境の友を楽しみ、逆境の友を喜べ。
(†心のデボーション01759)
† 心のデボーション 01760
「しかれども心の邪曲なる者等は忿怒を蓄はへ 神に縛しめらるるとも祈ることを爲ず」 ヨブ記36:13 明治元訳聖書
「心で神を敬わない者は、怒りをたくわえ、神が彼らを縛るとき、彼らは助けを求めて叫ばない」 新改訳聖書
「怒り」
怒りはがまんしたり無視すると、むしろ、膨れ上がる。怒りを爆発させると空しくなる。「怒り」に耳を傾けてくれる人がそばにいてくれるとよい。それには「怒り」をほどよいことばにできる能力が必要となる。
助けを神に求める人は怒りに縛れない。
(†心のデボーション01760)
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