心のデボーション168

デボーション1
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† 心のデボーション 01671

「汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや」 マタイ6:27 大正文語訳聖書

「心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」 新改訳聖書

 「適した年齢」

「いのち」と訳されたことばには「適した年齢」という意味がある。物事を果たすには、それに「適した年齢」というものがあり、どんなに努力してもそれを縮めることはできない。

「適した年齢」はやがて巡ってくる。それまで待つ。

しかし、その年齢に達した時、それが「適した年齢」かどうかは別である。私たちにできるのは「今の自分」に取り組むだけである。それが「適した年齢」を教えてくれる。

(†心のデボーション01671)

† 心のデボーション 01672

「主の道を備へ、 その路すぢを直くせよ」 マタイ3:3 大正文語訳聖書

「主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ」 新共同訳聖書

 「すぐ間に合うように」

「整え ἑτοιμάζω へトイマゾー」は「すぐに間に合うように準備せよ」である。「今、ここ」が、常に神との出会いの場である。「今、ここ」を「すぐ間に合うように」整えよ。何よりもまず、「私」を「すぐに間に合うように準備せよ」。

(†心のデボーション01672)

† 心のデボーション 01673

「わが子よヱホバと王とを畏れよ 叛逆者に交ること勿れ」 箴言24:21 明治元訳聖書

「わが子よ、主を、そして王を、畏れよ。変化を求める者らと関係を持つな。」 新共同訳聖書

 「生きた組織」

ドラッガーは「組織の中には成果は存在しない」、しかし「組織は成長するほど、働くものの関心、努力、能力は組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果が忘れられていく」と指摘している。(ドラッカー 「プロフェッショナルの条件」)

外の世界は刻々と変化する。それに呼応して自らの変化を見つめるのが生きた組織であろう。

箴言の「変化を求める者らと関係を持つな」箴言24:21の「変化を求める者」とは「反逆者」の意味である。「反逆者の求める変化」は自滅への道である。

(†心のデボーション01673)

† 心のデボーション 01674

「かくてイザヤの預言は、彼らの上に成就す。曰く、「なんぢら聞きて聞けども悟らず、 見て見れども認めず」 マタイ13:14 大正文語訳聖書

「確かに見てはいるが、決してわからない」 新改訳聖書

 「見ているだけ」

キャンプで薪に火をおこしたことのない子どもが「燃えない」とてこずっている。リーダーが「燃えているところにいって、見ておいで」というと「はーい」と駆けていき、燃えている火をじっと見ている。「どうしたの」と声をかけると「見ている」と答える。

見ることが、自分はどうしたらいいかにつながらない。

主の目には、私はこの子と同じことをしているのではないかと思うことがある。

(†心のデボーション01674)

† 心のデボーション 01675

「イエス人々に言ひたまふ『力を盡して狭き門より入れ。我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。』」 ルカ13:24 大正文語訳聖書

「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」 新改訳聖書

 「努力して」

「Ad augusta per angusta. 狭き道によって高みに」 (ラテン語格言より)

「高み」に至るのは「狭き道」である。

「狭い門」は「努力」しなければくぐれない。努力を避ける者は「入ろうとしても、入れない」。「努力」のギリシャ語 ἀγωνίζομαι には「努力」の他に「戦う」の意味がある。

努力は一つの戦いである。

(†心のデボーション01675)

† 心のデボーション 01676

「かれらはなんぢが撃たまひたる者をせめ なんぢが傷けたまひたるものの痛をかたり」 詩篇69:27 明治元訳聖書

「あなたに打たれた人を、彼らはなおも迫害し、あなたに刺し貫かれた人の痛みを話の種にします」 新共同訳聖書

 「歯痛のイエス・キリスト」

オーストリアのウイーンにあるシュテファン寺院には「歯痛のイエス・キリスト」と呼ばれる像がある。

通りがかった酔っ払いがイエス像をみて「歯が痛そうだ」とあざ笑って布切れを巻き付けたところ、本当に歯が痛み出したという言い伝えから、この名がある。

痛みを笑う者はやがてその痛みを知ることになるということか。

(†心のデボーション01676)

† 心のデボーション 01677

「汝らの中もし智慧の缺くる者あらば、咎むることなくまた惜む事なく、凡ての人に與ふる神に求むべし、さらば與へられん」 ヤコブ1:5 大正文語訳聖書

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう」 口語訳聖書

 「惜しみない恵み」

神は私の知恵の欠けを「咎め」給わない。少しくそれを求めても、「惜しむ事なく」与えられる。私は安心して「知恵の欠けた者」になる。「知恵の欠けた者」としてどん欲に「惜しむ事なく与えられる神」に求める。

(†心のデボーション01677)

† 心のデボーション 01678

「諸の國の人々ソロモンの智慧を聽んとて來り天下の諸の王ソロモンの智慧を聞及びて人を遣はせり」 Ⅰ列王記4:34 明治元訳聖書

「ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や、彼の知恵のうわさを聞いた国のすべての王たちがやって来た」 新改訳聖書

 「生ける知恵」

情報はストックするだけでは大した意味がない。情報に仕事をさせてみる。大きく働くものもいれば、小さく働くものもある。大小を問わず、仕事をしてくれるのが「良い情報」である。そのために広く情報に接し、異なる情報にも開かれた知恵が必要である。ソロモンが神に求め、与えられたのはそのような知恵ではなかったか。

(†心のデボーション01678)

† 心のデボーション 01679

「神穹蒼を作りて穹蒼の下の水と穹蒼の上の水とを判ちたまへり即ち斯なりぬ」 創世記1:7 明治元訳聖書

「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった」 フランシスコ会訳聖書

 「天の皮袋」

ヨブは「大空の上の水」を「雲、霧」と表現し、地に雨を降らす「天の皮袋」と呼んでいる。神は地を潤す恵みの「皮袋」を天に置かれ、管理される。

「雲に知恵を置き、霧に悟りを与えたのはだれか。だれが知恵をもって雲を数えることができるか。だれが天の皮袋を傾けて、ちりを一つに流れ合わさせ、土くれを固まらせることができるか」 ヨブ記38:36~38 口語訳聖書

「主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ」 詩篇150:1 口語訳聖書

(†心のデボーション01679)

† 心のデボーション 01680

「賢人は知識をかくす されど愚なる者のこころは愚なる事を述ぶ」 箴言12:23 明治元訳聖書

「思慮深い人は知識を隠す。愚かな心はその無知を言いふらす。」 新共同訳聖書

 「自らの愚かさに」

「Smart people keep quiet about what they know, but stupid people advertise their ignorance.」箴言12:23 Today’s English Version

愚かな者は「その無知を言いふらす advertise their ignorance」。Advertise は「ad ~の方へ + vert 向きを変える」で、愚かな者は自らの愚かさに人々の関心を集める。

(†心のデボーション01680)

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