心のデボーション166

デボーション1
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† 心のデボーション 01651

「なんぢら我が飢ゑしときに食はせ、渇きしときに飮ませ、旅人なりし時に宿らせ」 マタイ25:35 大正文語訳聖書

「あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べ物を与え」 新改訳聖書

 「扉の外」

ボンベイで飢餓についての会議が開かれた時、マザー・テレサはその扉の前で飢えて死にかけている一人の男の人を見つける。彼女は男の人を抱きかかえて、家に連れて帰るが、彼はそこで息を引き取ってしまったという。愛を通して世界の現実を見据える人は、扉の外に身を置く。

私たちは扉の内で、愛について議論したり、感動したりするのを好む。

(†心のデボーション01651)

† 心のデボーション 01652

「荒野に呼はる者の聲す」 マタイ3:3 大正文語訳聖書

「荒野で叫ぶ者の声がする」 新改訳聖書

 「荒野」

「沙漠、荒野」を現すギリシャ語「ἔρημος エレーモス」には「寂しい、見捨てられた、孤独な、~のない」という意味があり、結婚しても子どものない女は「ἔρημος エレーモス」と呼ばれた。(ガラテヤ4:27 「一人残された女 ἔρημος」と呼ばれた。その身体はいのちを生むことのない「荒れた、人の住まない、よるべのない、孤独な世界」と見られたのである。

不妊の苦しみは、子を宿すことのできない悲しみだけではなく、一人残された孤独感にある。

男であれ女であれ、「一人残された孤独」を知らない人はいない。だが、その荒野に叫ぶ者の声あり、荒野に咲く花がある。

(†心のデボーション01652)

† 心のデボーション 01653

「一人よりして諸種の國人を造りいだし、之を地の全面に住ましめ、時期の限と住居の界とを定め給へり」 使徒17:26 大正文語訳聖書

「神は、一人の人からすべての民族を作り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました」 新共同訳聖書

 「COVID-19」

COVID-19により、世界は新しい時代に突入したようである。「新しい時代」は新しいアイデンティティの形成が求められる。それは新しい信仰に導かれる時代でもある。

神は信じ人々を、この世に「住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界を」定め、備え給う神である。

(†心のデボーション01653)

† 心のデボーション 01654

「然るに酒人の長ヨセフをおぼえずして之を忘れたり」 創世記40:23 明治元訳聖書

「ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった」 新改訳聖書

 「思い出す」

献酌官長は自分が命拾いすると恩人であるヨセフのことを、「忘れて」しまう。それは、二年後、最善の時に「思い出す」ためだった。

自分が忘れられたと感じる時、その背後では神の計画が働いている。忘れることにも、思い出すことにも、神は働かれる。

ただ、考えてみたいのは、わたしが誰かを忘れていて、思い出すべき時が来ているのに、それを忘れていることである。

(†心のデボーション01654)

† 心のデボーション 01655

「ダビデの子イスラエルの王ソロモンの箴言」 箴言1:1 明治元訳聖書

「ダビデの子イスラエルの王ソロモンの箴言」 新共同訳聖書

 「平和の子」

ダビデとバテシバは姦淫によって結ばれ、その罪を悔い改めた後にソロモンが生まれた。

「ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛され、」 Ⅱサムエル12:24 新共同訳聖書

「ソロモン」は「平和、平安」の意味である。悔い改めは神と人の間に「平和」を来らせ「平安」をもたらし、新しいいのちが生まれる。神はその子(ソロモン 「平和の子」)を愛された。

(†心のデボーション01655)

† 心のデボーション 01656

「神言たまひけるは水の中に穹蒼ありて水と水とを分つべし」 創世1:6 明治元訳聖書

「神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」 新共同訳聖書

 「恵みの為」

神は大空を創られ、地を覆う「水と水」を分けられ、時に従って稲妻と雪に「地に降れ」と命じられる。それらは「懲らしめの為」、「神の地の為」、そして「恵みの為」である。(ヨブ記37:1~13)

「その之を來らせたまふは或は懲罰のため あるひはその地のため 或は恩惠のためなり」 ヨブ37: 13 明治元訳聖書

(†心のデボーション01656)

† 心のデボーション 01657

「この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし」 マルコ11:24 大正文語訳聖書

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい」 新改訳聖書

 「得たりと信ぜよ」

「得たりと信じる」とは、すでに受けたもののように生きることである。約束のものを手に入れなくても「はるかにそれを見て」私たちは喜ぶことができる。(ヘブル人への手紙 十一章二十四節)

地上に何一つ確かなものを所有しなくても、すべてを受けた者のように与えることもできる。誰かに恨みごとがあれば、すべてを許した者のように、忘れることもできる。

信じることがつくるもう一つの現実である。

(†心のデボーション01657)

† 心のデボーション 01658

「そは智慧を獲るは銀を獲るに愈りその利は精金よりも善ければなり」 箴言3:14 明治元訳聖書

「知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いからである」 口語訳聖書

 「知恵の利益」

ラテン語の諺に「Accipe quam primum: brevis est occasio lucri.」というのがある。「出来る限り早く受け取れ。利益の機会は短い」という意味である。

「知恵のもたらす利益」は「精金」よりも良いが、現れたら「出来る限り早く受け取る」がよい。「利益の機会」は短く、受け取る期間も限られているからである。

(†心のデボーション01658)

† 心のデボーション 01659

「然るに今われらの神ヱホバ暫く恩典を施こして逃れ存すべき者を我らの中に殘し我らをしてその聖所にうちし釘のごとくならしめ斯して我らの神われらの目を明にし我らをして奴隸の中にありて少く生る心地せしめたまへり 」 エズラ9:8 明治元訳聖書

「ところが今、ほんの少し前から、わたしたちの神、主の憐れみにより、わたしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました」 新共同訳聖書

 「生きる力」

自分の「専門領域」を持っている人は強い。

しかし、専門的な知識があるだけでは何も始まらない。専門的な知識を「生きる力」に転換するエネルギーが必要である。人生の危機は、しばしば、そのエネルギーの源になる。

エズラの時代にイスラエルの民は奴隷であったが、神は彼らに「生きる力」を与えられ、エルサレムの神殿を再建し、廃墟を復興を果たした。

(†心のデボーション01659)

† 心のデボーション 01660

「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書

「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

 「高所恐怖」

英語で「高所恐怖症」は acrophobia で 「acro 高い + phobia 恐怖症」である。文字通り「高さ」への恐怖症である。

人間はだれも、「高さ」への恐怖をもっている。異常な高さに足が竦む。

信仰にも「高さ」への恐怖がある。信仰があまりにも「高い」ところに立とうとすることへの警告であろう。

イエスが「心の貧しい者」を祝福されたことを忘れてはならない。

(†心のデボーション01660)

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