心のデボーション155

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

† 心のデボーション 01541

「然るに風を見て懼れ、沈みかかりければ、叫びて言ふ『主よ、我を救ひたまへ』」 マタイ14:30 大正文語訳聖書

「しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ」 新共同訳聖書

 「手を伸ばして」

水の上を歩いたペテロは、風を見て怖くなり、沈みかけて「主よ、助けてください」と叫んだ。すると、イエスは手を伸ばしてペテロをつかんでくださった。

「助ける」のギリシャ語はエピランバノーで「手で捕える」という意味がある。

人を助けるとは、手を伸ばし、相手をつかみ、引き寄せることである。後手をしていては助けることはできない。(†心のデボーション01541)

† 心のデボーション 01542

「汝らに對し面前にては謙だり、離れゐては勇ましき我パウロ、自らキリストの柔和と寛容とをもて汝らに勸む。」 Ⅱコリント10:1 大正文語訳聖書

「さて、『あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。』」 口語訳聖書

 「キリストの優しさ」

パウロは厳しいことばを語らなければならない時に、「キリストの優しさ、寛大さをもって」語ろうと決意する。

(2コリント10章) 「優しさ」は伝えるべきことばを控えるのではなく、キリストの愛をもって伝えることである。すべてのキリスト者には、「キリストの優しさ、寛大さ」が与えられている。

「あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い」 ピリピ4:5 口語訳聖書

(†心のデボーション01542)

† 心のデボーション 01543

「われらの男子はとしわかきとき育ちたる草木のごとくわれらの女子は宮のふりにならひて刻みいだしし隅の石のごとくならん」 詩篇144:12 明治元訳聖書

「わたしたちの息子は皆幼いときから大事に育てられた苗木。娘は皆、宮殿の飾りにも似た/色とりどりの彫り物。」 新共同訳聖書

 「大事に育てられた苗木」

子どもはよその子たちと一緒に育っていく。親はわが子と一緒に育っていく「よその子」の存在に無関心であってはならない。育児には「よその子」に助けてもらうこともあれば、「よその子」をわが子とともに助ける責任もある。

「よその子」も「皆幼いときから大事に育てられた苗木」である。

(†心のデボーション015413)

† 心のデボーション 01544

「彼はナザレ人と呼ばれん」 マタイ2:23 大正文語訳聖書

「この方はナザレ人と呼ばれる」 新改訳聖書

 「ナザレ人イエス」

「ナザレ人」という呼称には軽蔑の意味が込められている。そのイエスに従うわれらにも、ある種の「軽蔑」のこもった視線をむけられることは避けられない。「お前から何の良きものが出るだろう」と。

私は自分が「ナザレ人」と呼ばれることを否定しないのである。「お前から何の良きものが出るだろう」という言葉の真の意味がわかったからである。

(†心のデボーション01544)

† 心のデボーション 01545

「われ地に平和を投ぜんために來れりと思ふな。平和にあらず、反つて劍を投ぜん爲に來れり」 マタイ10:34大正文語訳聖書

「わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです」 新改訳聖書

 「剣をもたらす」

イエスは、娘と母、嫁としゅうとめ、父と息子の間に、平和ではなく「剣をもたらすため」に来たといわれる。この言葉につまずかない人はいない。しかし、そのことなしに私が自分を生きることはできなかったのである。私には決してできないことだからこそ、イエスがなさるのではないだろうか。

その後に、十字架にかかられたイエスが「そこに、あなたの母がいます」と語られるのを聞く。

(†心のデボーション01545)

† 心のデボーション 01546

「神言たまひけるは水の中に穹蒼ありて水と水とを分つべし」 創世1:6 明治元訳聖書

「神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」 新共同訳聖書

 「神の道の外側」

NASAは2017年2月22日、地球から39光年先の赤色矮星を周回する7つの地球サイズの系外惑星を発見したと発表した。
この赤色矮星「TRAPPIST-1」を周回する系外惑星のうち、3つは表面に水の存在しうる「ハビタブル惑星」に相当し、地球外生命体の存在が期待されるという。

人間は神の創造された宇宙を少しずつ明らかにしていく。しかし、それらとても神の御業のほんの一部にすぎない。

ヨブは「これらはただ神の道の外側にすぎない」(新改訳聖書)という。

「視よ是等はただその御工作の端なるのみ 我らが聞ところの者は如何にも微細なる耳語ならずや 然どその權能の雷轟に至りては誰かこれを曉らんや」 ヨブ26:14 明治元訳聖書

(†心のデボーション01546)

† 心のデボーション 01547

「陰府のごとく彼等を活たるままにて呑み 壯健なる者を墳に下る者のごとくになさん」 箴言1:12 明治元訳聖書

「陰府のように、彼らを、生きたままで呑み込もう。穴に落ちる者のように、彼らを丸呑みにしよう」 フランシスコ会訳聖書

 「魂を傷つける行為」

人の悪のうち最も厭うべきものは「人の魂」を傷つける行為である。「魂」は神がお創りになり、人に息吹きこまれたもので、いかなる人もそれを損なうことは許されない。人の魂を傷つける者は神を損なうのである。

「神地の獸を其類に從て造り家畜を其類に從て造り地の諸の昆蟲を其類に從て造り給へり神之を善と觀給へり」 創世1:25 明治元訳聖書

(†心のデボーション01547)

† 心のデボーション 01548

「義人の果は生命の樹なり 智慧ある者は人を捕ふ」 箴言11:30 明治元訳聖書

「知恵のある者は人の心をとらえる」 新改訳聖書

 「エイジング効果」

バイオリンの名器といわれるのは、二百年くらいたった古いものだそうである。つかわれている木が、多くの演奏家によってさまざまな音を響かせるうちに、「何かが」変化して、ちょうど良くなるのに二百年を必要とするという。

時の流れによっておこる変化が「エイジング効果」である。「人の心をとらえる知恵」とは、人生の「エイジング効果」によるのかもしれない。それには二百年を要する。

(†心のデボーション01548)

† 心のデボーション 01549

「見よ是は新しき者なりと指て言べき物あるや 其は我等の前にありし世々に旣に久しくありたる者なり」 伝道1:10 明治元訳聖書

「見よ、これこそ新しい、と言ってみても/それもまた、永遠の昔からあり/この時代の前にもあった」新共同訳聖書

 「コロナの時代」

2020年に、世界はコロナの感染によって人間の在り方を問われるような経験をすることになった。それまでの直接的な人間関係から社会的距離をとることが求められている。その影響はコロナ終息後も残るかもしれないのである。人は「現実」から「仮想現実」(バーチャルリアリティー)の世界に向かっている。

「仮想現実」に適応しつつ、新しい人間を模索する時代に入った。

しかし、伝道者は「これこそ新しい」というものも、「永遠の昔からあり、この時代の前にもあった」という。

(†心のデボーション01549)

† 心のデボーション 01550

「神よなんぢはわが愚なるをしりたまふ わがもろもろの罪はなんぢにかくれざるなり」詩篇69:5 明治元訳聖書

「神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。」 新改訳聖書

 「私の愚かしさ」

詩人は「ゆえなき憎しみ」を向けられて戸惑いながらも、すべてを見られる神の目には「潔白である」と主張する自分の「愚かさ」が「隠されていない」と訴える。

神の目には人はみな「愚か」である。この「愚かさ」を認めることこそが神の知恵である。自らの「愚かさ」を認める人は「愚か者」ではない。

(†心のデボーション01550)

コメント