心のデボーション149

デボーション1
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† 心のデボーション 01481

「これヱホバの成たまへる事にしてわれらの目にあやしとする所なり」 詩篇118:23 明治元訳聖書

「これは主のなされた事で/われらの目には驚くべき事である。」 口語訳聖書

 「驚くことも一つの能力」

驚くことをしなくなったら、物事は何一つ変わらない。驚くことも一つの能力である。

驚く目がなければ、「隅のかしら石」が「家造りらの捨てた、つまらぬ石」であることには気がつくまい。

(†心のデボーション01481)

† 心のデボーション 01482

「ヘロデ死にてのち、視よ、主の使、夢にてエジプトなるヨセフに現れて言ふ」 マタイ2:19 大正文語訳聖書

「ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った」 新改訳聖書

 「仕上げるべきもの」

ヘロデ王が死ぬ。死は消滅ではない。人は何かを成し遂げて死ぬのである。人は自分が成し遂げたものを充分には知らずに死ぬ。しかし、ヘロデは遂に「仕上げるべきもの」の何たるかを知らずに逝った。人の最大の不幸は消滅としての死を生きることである。

(†心のデボーション01482)

† 心のデボーション 01483

「愛には懼なし、全き愛は懼を除く、懼には苦難あればなり。懼るる者は、愛いまだ全からず」 Ⅰヨハネ4:18 明治元訳聖書

「愛には恐れがありません」 新改訳聖書

 「引きこもり」

子どもが自分の部屋に引きこもって、外に出ようとしない。彼らの多くは人に直接ふれあうことが苦手で、その上、自尊心が強いという傾向にあるようだ。自分の部屋にさえいれば、自尊心を傷つけられることもなく、心が休まるのである。

しかし、強過ぎる自尊心の影には劣等感が隠されている。

人を傷つけてもいいし、傷つけられてもいい、それでも人を愛することはできる。愛はそれを恐れない。

(†心のデボーション01483)

† 心のデボーション 01484

「困苦にあひたりしは我によきことなり 此によりて我なんぢの律法をまなびえたり」 詩篇119:71 明治元訳聖書

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」新改訳聖書

 「不幸な人」

不幸な出来事に出会ったから不幸なのではなく、不幸な人生を生きてしまうのが不幸である。そういう人は無意識のうちに日陰の道ばかりを選んでいるようだ。同じ道を行くのなら、立ち止まって陽の当たる側を確認し、そちらに身を移してみる。その方がずっと歩きやすい。光は影のすぐ隣り。

つらいことがあっても明るさを失わない人は不幸な人ではなく、出会う人を幸せにしてくれる人である。

(†心のデボーション01484)

† 心のデボーション 01485

「ダビデ、サウルにかたることを終しときヨナタンの心ダビデの心にむすびつきてヨナタンおのれの命のごとくダビデを愛せり」 Ⅰサムエル18:1 明治文語訳聖書

「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した」 新改訳聖書

 「ダビデとヨナタン」

人は誰でも長所をもっている。しかし、人の長所は自分だけで育つのではなく、人との関係の中で育まれるところが大きい。

ダビデにはヨナタンというよき友がいた。

(†心のデボーション01485)

† 心のデボーション 01486

「生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし」 マタイ10:39 明治元訳聖書

「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」 新改訳聖書

 「喪失のかわき」

かたちあるものはいつか失われる。しかし、愛や友情といったかたちのないものも、永久にもち続けることはできない。失うはずのないものを失った時、人はその喪失感に苦しめられる。一度はこの手に握ったものを失うつらさである。

しかし、聖書は、失うことによって得られるいのちがあると教える。愛であれ、友情であれ、神の中に失うのだ。失われたものは神の中で失われないものに変わる。ここには喪失の渇きはない。

(†心のデボーション01486)

† 心のデボーション 01487

「欺きとりし糧は人に甜し されど後にはその口に沙を充されん」 箴言20:17 明治元訳聖書

「だまし取ったパンはうまい。しかし、後にはその口はじゃりでいっぱいになる」 新改訳聖書

 「だまし取ったパン」

ある人がスーパーで買物をしたところ、レジで店員が五千円札を一万円と間違えて余分の釣り銭をくれた。「間違っていますよ」の一言が言えなくて、そのまま帰ってきた。しかし、家で改めて財布を調べたところ、五千円と思ったのは自分の間違いで、実は一万円を出していたとわかった。

間違いではなかった。でも「その口はじゃりでいっぱい」だった。「だまし取ったパン」を食べてしまったからである。

(†心のデボーション01487)

† 心のデボーション 01488

「神光を晝と名け暗を夜と名けたまへり夕あり朝ありき是首の日なり」 創世1:5 明治元訳聖書

「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」 新共同訳聖書

 「神の定め」

神は「昼と夜」を定められた。「昼」は神のもの、「夜」も神のものである。明るきも暗きも神によって創られ、定められている。

「晝はなんぢのもの夜も又汝のものなり なんぢは光と日とをそなへ あまねく地のもろもろの界をたて夏と冬とをつくりたまへり」 詩篇74:16~17 明治元訳聖書

(†心のデボーション01488)

† 心のデボーション 01489

「イエス彼に目をとめ、愛しみて言ひ給ふ『なんぢ尚ほ一つを缺く、往きて汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に施せ、さらば財寶を天に得ん。且きたりて我に從へ』」 マルコ10:21 明治元訳聖書

「あなたには、欠けたことが一つあります」 新改訳聖書

 「なお、一つを欠く」

永遠のいのちを与えられようとあらゆる教えを守ってきた富める青年に、イエスは「あなたには、欠けたことが一つあります」と語られた。

人には常に、イエスの「欠けたことの一つ」がある。それが永遠のいのちの条件である。

富める青年は、悲しみながらイエスから去る。自分が「なお、一つを欠く」と認めることができなかったからである。

(†心のデボーション01489)

† 心のデボーション 01490

「わが子よ惡者なんぢ誘ふとも從ふことなかれ」 箴言1:10 明治元訳聖書

「わが子よ、たとえ罪人どもが、お前をそそのかしても、その手に乗るな」 フランシスコ会訳聖書

 「秘密をもらす者」

「罪人たち חַטָּא ハッタ」は、「歩き回って、人を中傷し、秘密を漏らす」(箴言20:19)

彼らは言葉たくみに接近してくる。交わってはならない。

「歩きまわって人のよしあしをいう者は秘密をもらす、くちびるを開いて歩く者と交わってはならない」 箴言20:19 口語訳聖書

(†心のデボーション01490)

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