心のデボーション137

デボーション1
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† 心のデボーション 01361

「かくて夢にてヘロデの許に返るなとの御告(みつげ)を蒙り、ほかの路より己が國に去りゆきぬ」 マタイ2:12 大正文語訳聖書

「それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った」 フランシスコ会訳聖書

 「夢の御告」

これまでマギを導いたのは「導きの星」だったが、ここでは、ヨセフと同じ「夢の御告(みつげ)」が彼らを導く。

「導き」は一つではない。「星」も「夢の御告(みつげ)」もともに神の導きである。時にかなう方法が選ばれ、マギの霊的経験は深まっていく。今やヨセフとマリアを導いたと同じ光がマギを照らした。

(†心のデボーション01361)

† 心のデボーション 01362

「善をもとむる者は恩惠をえん 惡をもとむる者には惡き事きたらん」 箴言11:27 明治文語訳聖書

「善を求める者は恵みを得る」 口語訳聖書

 「赤字」

「赤字」ということばは、昔会計に不足が発生した時、目立つように赤いインクで記帳したことから来ている。

小さな教会では赤字ということはない。それというのも教会は与えられたもので活動するのが原則なので、満たされなければそれを主の御心として受けるので赤字にはならないだけである。

現代は教会も銀行の融資を受けるというが、そうなると返済のための献金が求められることになりはしないだろうか。

教会は主にささげられたものがすべてである。

(†心のデボーション01362)

† 心のデボーション 01363

「エジプトに逃れ」 マタイ2:13 大正文語訳聖書

「エジプトに逃げ」 新共同訳聖書

 「逃げゆく所」

「逃」の「兆」は占いで亀の甲羅を焼いて生じたひび割れのこと。右左に走るひび割れのように行く。だが、むやみにではない。「逃げる」には、「逃げゆく所」がなければならない。

小動物を広場に置くと、どこに行けばよいかわからず、固まって動けなくなる。逃げたことのない人は、どこに逃げたらよいかが分からない。「逃げる」ことを学ばなければ人生はひどい事になる。「逃げる術」を身につけること。

(†心のデボーション01363)

† 心のデボーション 01364

「完人に目をそそぎ直人をみよ 和平なる人には後あれど」 詩篇37:37 明治文語訳聖書

「全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある」 口語訳聖書

 「あてにならない」

自分は自分が思うほどにはあてにならないと思う時がある。相手の立場から自分をみれば、それがもっとよくわかる。しかし、相手から自分がどう見えるかを気にして生きるのも疲れる。やはり、自分は自分が思うほどにはあてにならないのだと思って生きるのがよいのかもしれない。一種の自信喪失だが、悪い自信喪失ではない。

(†心のデボーション01364)

† 心のデボーション 01365

「愚者は言詞を衆くす 人は後に有ん事を知ず 誰かその身の後にあらんところの事を述るを得ん」 伝道10:14 明治元訳聖書

「愚か者はよくしゃべる」 新改訳聖書

 「柿論争」

神学校のお隣に柿の木があった。枝が塀のこちらにたれて手を伸ばせばもげる。秋になると神学生の間で、柿を食べるのは是か非かという論争がもちあがった。

とって食べるのは罪だと主張する学生は、柿が落ちるのを待った。こちらに落ちたものは罪にならないと主張する。つまらなそうな顔をして論争に参加しなかった学生もいたが、理由は柿が嫌いだったからである。無益な論争はけっこう楽しい。

(†心のデボーション01365)

† 心のデボーション 01366

「なんぢ生命の道をわれに示したまはん なんぢの前には充足るよろこびあり なんぢの右にはもろもろの快樂とこしへにあり」 詩篇16:11 明治元訳聖書

「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえに、もろもろの楽しみがある」 口語訳聖書

 「COVID-19の時代」

COVID-19は、スポーツ部活動に励む多くの中高生から将来の目標を見失わせている。スポーツのプロを目指すには早い段階から将来を見据えて訓練をしなければならないが、COVID-19によりその機会が閉ざされ、人生の目標が不確かなものに変わったからである。

それは、スポーツを唯一の目標として励む学生には申し訳ない言い方かもしれないが、本来の学業を見直すべき時が来たのかもしれない。

(†心のデボーション01366)

† 心のデボーション 01367

「ヱホバは彼がわづらひの床にあるをたすけ給はん なんぢかれが病るときその衾裯をしきかへたまはん」  詩篇41:3 明治元訳聖書

「主は病の床で彼をささえられる」 新改訳聖書

 「ひっくり返す」

主は病の床にある人を「ささえられ」る。「ささえる」は「ひっくり返す」という意味である。やがて、その人は回復して立ち上がり、床を「ひっくり返す」。

人はいつも誰かに支えられている。この支えがあって、立ち上がり、何かをひっくり返すことができる。支えになれるのは、支えを受けた人だけである。つまり、誰でもということだ。

(†心のデボーション01367)

† 心のデボーション 01368

「なんぢ若知んには誰が度量を定めたりしや 誰が準繩を地の上に張りたりしや」 ヨブ38:5 明治文語訳聖書

「あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを」 新改訳聖書

 「人生の基礎」

佐々木正美さんは著書の中で法隆寺、薬師寺の宮大工だった西岡常一棟梁の言葉を引用して、子どもの教育について語っている。

「塔を大木のようにしっかりたてるためには、地面がしっかりしていなければなりませんな。五重塔は相輪頂上まで32メートル、総重量120万キロもある。これが1300年も沈むことなく立っていたのは、がっしりした基礎づくりがあったから。塔の下の地面をそのまま基壇を盛り上げるのではなく、地面を、地山といいまして固いしっかりした層まで掘り下げる。固い地山の上に良質の粘土を1寸くらい突固め、その上に砂をおいて、突固めるというのを繰り返して地上から5尺上まで基壇を作り上げる。塔や堂はこうしたしっかりした土台の上に立っとるのです」(佐々木正美 「子どもへのまなざし」より)

乳幼児期に子どもには五重の塔のようなしっかりした基礎が作り上げられるのだという。

(†心のデボーション01368)

† 心のデボーション 01369

「わがたましひは衛士があしたを待にまさり 誠にゑじが旦をまつにまさりて主をまてり」 詩篇130:6 明治文語訳聖書

「私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます」 新改訳聖書

 「暁の祈り」

「暁」は「あか(明るい)」+「時」で「あかとき(明か時)」ともいう。太陽が昇る前のほの暗いころである。

赤い太陽が昇るころが「曙」である。

「夜回り」は城壁で夜通し民を守る衛士で、城壁に立って町を守りながら、夜の明けるのをじっと待つのである。

やがて空に明るさが感じられるとき、夜回りは心底、明か時がきたことに安堵したのである。

「明か時」は祈りの時である。助けを求めて神に祈るとき、魂は闇の暗さのなかにほの暗いかすかな光が明けてくるのを経験するのである。

(†心のデボーション01369)

† 心のデボーション 01370

「ヱホバ、カインに言たまひけるは汝何ぞ怒るや何ぞ面をふするや」 創世記4:6 明治元訳聖書

「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか」 新改訳聖書

 「モナリザの微笑」

医学的には、モナリザの微笑は顔の筋肉のうち七つをほんの少し動かせばよいそうである。

それに比べてヒステリーは顔ばかりでなく全身の百五十もの筋肉をひきつらせなければならないという。思い余ってヒステリーをおこすよりも、「微笑」を返すほうがはるかに効果がある。しかも、それに必要なエネルギーは「微小」ですむ。それでいて心の傷は「微傷」にとどまる。

(†心のデボーション01370)

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