† 心のデボーション 01301
「かれら星を見て、歡喜に溢れつつ」 マタイ2:10 大正文語訳聖書
「されば彼等は星を見て、一方ならず大なる喜もて喜べり」 永井直治訳聖書
「ベツレヘムの星」
「ベツレヘムの星」は幼子の上にとどまった。星が指す地上の一地点を特定するにも東の博士たちの「智慧」が必要であったろう。
ナビゲイション navigation はラテン語 navi 船 と gate 操縦 から来る「航海術」を意味する言葉である。目的地まで導いてくれる。現代、人は目的地まで正確に連れて行ってくれる機器を手に入れた。ナビゲイション機器に目的地を入力さえすればどこにでも行けるようになった。しかし、我々はそれと引きかえに、どうしてここに来られたかを思考する力、つまり「星の位置」から地の一点を探り出す能力を失ったのではないだろうか。そのうち人間は「目的地」そのものを見出す能力をも失うかもしれない。
(†心のデボーション01301)
† 心のデボーション 01302
「かれは義人のために聰明をたくはへ 直く行む者の盾とな」 箴言2:7 明治文語訳聖書
「主は正直な人々のために健全な知恵を蓄え、誠実に歩む人々の盾となり」 フランシスコ会訳聖書
「たくわえ」
ドイツでは食料の買いだめを「Hamsterkauf ハムスター買い」というそうである。ハムスターが両方の頬を膨らませて食物を詰め込むところからきている。
ハムスターが自分の頬に詰められるだけの量の買い占めならさほどのことではない。しかし、人が不安にかられて買いだめをはじめると制限がなくなる。ためる人ほどためたがる。
知恵は多ければよいのではない。主が与えられた知恵をこそたくわえるべきである。神の知恵は、正しい歩みに向かって射られる矢を防ぐ盾となる。
(†心のデボーション01302)
† 心のデボーション 01303
「また自己を證し給はざりし事なし。即ち善き事をなし、天より雨を賜ひ、豐穰の時をあたへ、食物と勸喜とをもて汝らの心を滿ち足らはせ給ひしなり」 使徒14:17 大正文語訳聖書
「とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです」 新改訳聖書
「17万年前の焼き芋」
2020年 3月25日に配信されたBBCニュースによると、南アフリカのボーダー洞窟から17万年前のものと思われる「焼き芋」の残りが見つかったそうである。
焼け焦げて炭化しているが、分析したところ、今もアフリカにあるヒポキシス属植物の一種「Hypxis angustifoia」で生でも食べられるが焼き芋にすると美味しい。人々が焼き芋にして食べたとすれば人類最古の調理ということになるという。
工夫をこらし感謝と共にいただく食物は心をよろこばせる。
(†心のデボーション01303)
† 心のデボーション 01304
「人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし」 ヨハネ15:13 大正文語訳聖書
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」 口語訳聖書
「ベラルデッリ神父」
2020年3月15日 イタリア北部ロンバルディア州ベルガモ県の病院でジュゼッペ・ベラルデッリ神父(72歳)が新型ウイルスで息を引き取った。ベラルデッリ神父は以前から呼吸器系の病気を患っていたため、信者たちが購入した人工呼吸器を、自分よりも若い人に使って欲しいと譲った後、ローヴェレの病院で亡くなったという。
カトリック教会イエズス会のアメリカ人神父ジェイムズ・マーティン司祭はツイッターで、「友のために命を投げ出すほど大きい愛はない」という聖書の言葉を引用してベラルデッリ神父の行為を報告している。
(†心のデボーション01304)
† 心のデボーション 01305
「ヱホバのたまはく 苦しむもの掠められ貧しきもの歎くがゆゑに我いま起てこれをその慕ひもとむる平安におかん」 ヨブ12:5 明治元訳聖書
「安らかな者の思いには、不幸な者に対する侮りがあって、足のすべる者を待っている」 口語訳聖書
「安らかな者の思い」
自分は「安らかだ」という、その「安らかさ」が「衰えているものをさげすみ、足のよろめく者を押し倒す」こともある。「安らかさ」が自分の世界にとどまり、悩める人に届かないのである。本当の「安らかさ」は川の流れのように、深くて静かに流れ、衰えている心をいやし、よろめく足を強くする。しかも、その業は、あまりにも深く働くため、本人にも相手にも知られない。自分がその「安らかさ」をもっているという自覚もないほどである。
(†心のデボーション01305)
† 心のデボーション 01306
「我は柔和にして心卑ければ、我が軛を負ひて我に學べ、さらば靈魂に休息を得ん」 マタイ11:29 大正文語訳聖書
「わたしは心が柔和であり、謙遜であるから、わたしの軛を受け入れ、わたしの弟子になりなさい。そうすれば、魂は安らぎを見出すであろう」 フランシスコ会訳聖書
「相棒とくびき」
「相棒」は駕籠やもっこで一本の棒を二人一組で担ぐことから、一緒に担ぐ仲間を相棒といった。後ろの棒を担ぐのが「後棒」で、悪いことに加わるのは「片棒を担ぐ」という。
聖書の「くびき」は二頭の牛を繋ぐ棒のことで、牛は横に並んで前後の関係ではない。
イエスは私のすぐ横におられて一緒に鋤を引いて下さる。私はイエスと一緒に汗をながして労働する。
(†心のデボーション01306)
† 心のデボーション 01307
「ヱホバは彼がわづらひの床にあるをたすけ給はん なんぢかれが病るときその衾裯をしきかへたまはん」 詩篇41:3 明治元訳聖書
「主は病の床にある彼を力づけてくださる。病に伏す彼を癒してください」 詩篇41:4 フランシスコ会訳聖書
「再び適する」
英語で「患者」は「ペイシェント patient 辛抱する人」と表現される。
「リハビリ rehabilitation」は
病むことは待つ、そして我慢すること。
多田富雄
リハビリテーション rehabilitation」は「re 再び + habilis 適した」で、「再び適した状態になること、本来あるべき状態への回復」を意味する。「自らの人生を変革し、いのちを回復する」ことである。
そのために、人生はときどき、人に待つこと、我慢することを求めるのかもしれない。
(†心のデボーション01307)
† 心のデボーション 01308
「かつ寶の匣(はこ)をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物を献げたり」 マタイ2:11 大正文語訳聖書
「そして宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」 フランシスコ会訳聖書
「クリスマスローズ」
伝説によると、東の博士たちについてきた羊飼いの娘がいた。博士たちがイエスに贈り物を捧げたのに、娘は貧しく何も贈り物がなかった。娘は馬小屋の外で「花を摘んで来たかったのに、地面は雪で白く凍っている」と言ってすすり泣いた。
すると、天使ガブリエルが現われ、娘についてくるように命じ、杖で凍りついた地面を叩くと、たちまち草が生え美しい花をつけた。娘は喜び花を摘んでイエスのもとに急いだ。この花がクリスマスローズだという。
(「クリスマスローズ」はクリスマスのころに咲く「ヘレボルス・ニゲル」を指す呼称で、日本では「レンテン・ローズ」と呼ばれる「ヘレボルス・オリエンタリス」などが「クリスマス・ローズ」の名前で出回るという)
(†心のデボーション01308)
† 心のデボーション 01309
「なんぢらヱホバの恩惠ふかきを嘗ひしれ ヱホバによりたのむ者はさいはひなり」 詩篇34:8 明治元訳聖書
「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」 新改訳聖書
「主の恵みふかきことを味わい知れ」
どんな時にも失いたくないのは、すばらしさを味わいそれを見つめる心である。しかし、すばらしさを求めて遠くを旅する必要はない。それは何でもない日常の中にある。それを味わうには、暮らしを「見つめる」ことが必要になる。「見つめる」は「深く飲みこむ」である。今おきていることを自分の中に飲みこんだとき、私たちは「主のすばらしさ」を知る。
(†心のデボーション01309)
† 心のデボーション 01310
「神巨なる魚と水に饒に生じて動く諸の生物を其類に從ひて創造り又羽翼ある諸の鳥を其類に從ひて創造りたまへり神之を善と觀たまへり」 創世1:21 明治文語訳聖書
「神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた」 口語訳聖書
「南極のカエル」
2020年5月5日の時事通信社の配信によると、南米大陸とドレーク海峡で隔てられている南極半島付近の島で、約4000万年前と推定されるカエルの化石を発見したと、スウェーデン自然史博物館などの国際研究チームが発表したという。
このカエルの化石はチリに現在生息する「ヘルメットガエル」の仲間とみられ、当時は温暖湿潤で森や湖沼、川がある環境だったと考えられるという。見つかった化石は頭骨の一部と腰の骨で、南極半島付近のシーモア島にあるアルゼンチンのマランビオ基地近くで発見された。現存する両生類の化石が南極で見つかったのは初めてである。
創造の4日目に創られた「水に群がりうごめく生き物」は南極にまでふえひろがっていたのである。
(†心のデボーション01310)
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