† 心のデボーション 01281
「温かき口唇をもちて惡き心あるは銀の滓をきせたる瓦片のごとし」 箴言26:23 明治元訳聖書
「燃えるくちびるも、心が悪いと、銀の上薬を塗った土の器のようだ。」 新改訳聖書
「銀の上薬を塗った土の器」
「銀の上薬を塗った土の器」は「白く塗った墓」と同じで、外は美しくても内は汚れている。人は心に悪意を抱いていても、熱い言葉を語ることができる。心に「七つの忌むべきこと」があっても、すずしい顔で上品な声を出すこともできる。しかし、うまくごまかせたという思いは愚かである。内側のものは、いつか露見する。すでに現われてしまっているかもしれない。
(†心のデボーション01281)
† 心のデボーション 01282
「われはわが霊魂をもださしめまた安からしめたり 乳をたちし嬰兒のその母にたよるごとく 我がたましひは乳をたちし嬰兒のごとくわれに恃れり」 詩篇131:2 明治文語訳聖書
「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります」 新改訳聖書)
「お母さん」
「お母さん」という言葉には懐かしい響きがある。しかし、現代は「お母さん」ということばを聞くとビックとする子どももいるという。
良き母親との関係に「乳離れした子」の魂は「和らぎ」と「静かさ」を持って母親の前にいる。
(†心のデボーション01282)
† 心のデボーション 01283
「彼ら王の言をききて往きしに、視よ、前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る」 マタイ2:9 大正文語訳聖書
「彼らがヘロデ王のことばに送られて出発すると、なんと、前にのぼるのを見たその星が先に立って、幼児のいるところの上に止まった」 バルバロ訳聖書
「導きの星」
「導きの星」は「幼兒の在すところの上に」止まった。
だが「星」の下には多くの家屋がある。マギがその一軒を探し出すことができたのは、「前に東にて見し星、先だちゆきて、幼兒の在すところの上に止る」としか言いようのない方法によったのではないだろうか。
この「方法」は、人が知らずしてよく経験するところである。
(†心のデボーション01283)
† 心のデボーション 01284
「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書
「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書
「知恵をさげずむ」
「さげずむ בּוז ツヴズ bûz {booz}」は「軽蔑する、卑しめる」で、「知恵と訓戒」に「恥」をかかせること。
ただの「愚か者」にはできない。
(†心のデボーション01284)
† 心のデボーション 01285
「神光あれと言たまひければ光ありき」 創世1:3 明治元訳聖書
「神は仰せになった、『光あれ』、すると、光があった」 フランシスコ会訳聖書
「いのちを育む世界」
神は「形なく、何もない地」に「光」を創造された。宇宙はエネルギーを生じた。
聖書が宇宙に見ているのはいのちのない死の世界ではない、いのちを育む世界である。(詩篇56:13)
「命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る」 詩篇36:10 新共同訳聖書
(†心のデボーション01285)
† 心のデボーション 01286
「汝らの所有を賣りて施濟をなせ。己がために舊びぬ財布をつくり、盡きぬ財寶を天に貯へよ。かしこは盜人も近づかず、蟲も壞らぬなり」 ルカ12:33 大正文語訳聖書
「自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい」 口語訳聖書
「古くならない財布」
「古くならない財布」に入れるのは、貧しい人へのささげものである。それは不思議な財布で、財布そのものがどんなに使用しても擦り切れることがないばかりか、何であれ一旦この財布に入れて出したものは朽ちることのないものとして天に積み上げられるのである。この財布が欲しい人は自分で造らなければならない。心を入れる財布なのだ。
(†心のデボーション01286)
† 心のデボーション 01287
「愛は隣を害はず、この故に愛は律法の完全なり」 ロマ13:10 大正文語訳聖書
「愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである」 口語訳聖書
「愛は隣を害せず」
虐待的な親に育てられた人よりも、虐待はなかったがかわいがられなかった人の方が、子育てに問題を抱えやすいという。無関心は暴力よりも深い傷を残す。愛とは存在への深い関心である。
(†心のデボーション01287)
† 心のデボーション 01288
「我はものいふこと能はぬほどに惱みたり」 詩篇77:4 明治文語訳聖書
「わたしは物言うこともできないほどに悩む」 口語訳聖書
「行き違い」
はったつ
むかしのそうじきは
ほうきで
今は そうじき
人間は今
どんどん進ぽしている
一歩道をまちがえると
死
(「マー先のバカ」青春出版より)
小学4年生の時、この詩を書いた少年は1年後「行き違い」があって自殺してしまった。(小田豊 「子どもの心をつかむ保育者」より)
大人にとっては小さな行き違いでも、それを誤魔化すことも埋めることもできない子どもには死んでしまいたくなるほどつらい。
(†心のデボーション01288)
† 心のデボーション 01289
「神を畏れて治むる者は 日の出の朝の光のごとく雲なき朝のごとく又雨の後の日の光明によりて地に茁いづる新草ごとし」 Ⅱサム3:3~4 明治文語訳聖書
「神を恐れて、治める者は、朝の光のように、/雲のない朝に、輝きでる太陽のように、/地に若草を芽ばえさせる雨のように人に臨む」 口語訳聖書
「朝の光」
光は秒速30万キロメートル進み、一年間では約9・5兆キロメートルになる。地球がある天の川銀河が属する局所銀河群は半径が約300万光年、さらに、おとめ座超銀河団、そして大宇宙となると約137憶光年と言われる。
神を敬う人は神の創造された世界を目の当たりにして、常に謙虚である。
(†心のデボーション01289)
† 心のデボーション 01290
「賢き者の心は哀傷の家にあり 愚なる者の心は喜樂の家にあり」 伝道7:4 明治文語訳聖書
「知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く」 新改訳聖書
「心を通わせる」
人と心を通わせることはとても難しい。難しいが諦めることのできない営みである。心を通わせる有効な方法があるのではない。自分の具体的な事実に誠実に生きるしかない。しかし、自分が判って来ると、自ずから人の悩み、悲しみが見えて来る。
(†心のデボーション01290)
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