心のデボーション121

デボーション1
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† 心のデボーション 01201

「神もし汝らを鑒察たまはば豈善らんや 汝等人を欺むくごとくに彼を欺むき得んや」 ヨブ13:9 明治元訳聖書

「神があなたがたを調べても、大丈夫か。あなたがたは、人が人を欺くように、神を欺こうとするのか。」 新改訳聖書

 「よき行い」

誰からも善人と思われている人の、その「よき行い」にイライラさせられることがある。愛情深く見える優しさが見せかけなのだが、本人はそれを愛だと信じきっている。人をだますつもりはなく、むしろ、自分をだましたいのかもしれない。しかし、人は神を欺くことができないように、自分も欺くことはできない。その人は見せかけの愛で何を隠したいのだろうか。

(†心のデボーション01201)

† 心のデボーション 01202

「汝は ユダの長たちの中にて最小き者にあらず」 マタイ2:6 大正文語訳聖書

「ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの中の氏族のうちで、けっして最も小さな者ではない」 フランシスコ会訳聖書

 「最小き者」

「ユダの長たちの中にて最小き者」と呼ばれた「ユダの地ベツレヘム」にダビデが生まれ、ダビデの子孫イエス・キリストがお生まれになった。

「最小き者」から生まれた方は、「最小き者」である私に宿られる。

(†心のデボーション01202)

† 心のデボーション 01203

「人これによりて箴言と譬喩と智慧ある者の言とその隠語とを悟らん」 箴言1:6 明治元訳聖書

「これは箴言と比喩と、知恵のある者の言葉と、その謎とを理解するためのものである」 フランシスコ会訳聖書

 「箴言」

「箴言 מָשָׁל マーシャール」は「格言、なぞ、たとえ、比喩」によって示され、それらは生と死のいのちの秘密を明らかにし、人を真のいのちに生かす力である。それらは「真のことば」として事物の中に宿っている。

(†心のデボーション01203)

† 心のデボーション 01204

「されど今は凡て此等のこと及び怒・憤恚・惡意を棄て、譏と恥づべき言とを汝らの口より棄てよ」 コロサイ3:8 大正文語訳聖書

「しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。」 新改訳聖書

 「いのちに対する哀し」

怒りには、怒りをもってのぞんでも、無視しても結果は同じで、火に油を注ぐようなものである。怒りは人間のいのちに対する哀しみからも発生する。向けられた怒りに耳を傾け、その哀しみを知ることができれば怒りの炎は消える。怒りは恐れずに近づいてみれば、とても人間的な感情である。「怒りを捨てる」とは、怒らない人間になることではなく、それを人間的な暖かい感情に置き換えることではないだろうか。

(†心のデボーション01204)

† 心のデボーション 01205

「禍ひなるかな かれらは惡をよびて善とし善をよびて惡とし 暗をもて光とし光をもて暗とし 苦をもて甘とし甘をもて苦とする者なり」 イザヤ5:20 明治元訳聖書

「災いだ、悪を善と言い、善を悪と言う者は。彼らは闇を光とし、光を闇とし/苦いものを甘いとし、甘いものを苦いとする」 新共同訳聖書

 「悪を語る」

悪者は「善を悪と言いくるめ、悪を善と言い募る。

主は「悪い者を正しいとすることも、正しい人を悪いとすることも」ともにいとわれる。(箴言17:15 新共同訳聖書)

悪を語ることは罪ではない。悪を語らないことは善を語らないことと共に罪である。

(†心のデボーション01205)

† 心のデボーション 01206

「地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黑暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり神の靈水の面(おもて)を覆(おほひ)たりき」 創世記1:2 明治元訳聖書

「地はむなしく何もなかった。闇が深淵の上にあり、神の霊が水の上を覆うように舞っていた」 フランシスコ会訳聖書

 「原初の混沌」

「定形(かたち)なく תֹּהוּ トーフ」は「形のない、無定形の、混沌とした、無秩序の、何もない」をあらわす。

「曠空(むなし)く בּהוּ ヴォーフ」は「何もない、無い、虚空、むなしい」を意味する。

神の創造された「天と地」は形なく混沌としていた。しかし、それは「形なきもの」が「意味も秩序もなく」あったというのではない。意味も形もすべてをふくむ混沌があり、やがて、神はそれらに形を与えられるのである。

(†心のデボーション01206)

† 心のデボーション 01207

「もろもろの天は神のえいくわうをあらはし 穹蒼はその手のわざをしめす」 詩篇19:1 明治元訳聖書

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」 口語訳聖書

 「天と大空」

気持ちが散って集中できない時、野に出て花を見、山に登って樹についた苔の緑にふれてみるのも良い。自然の世界では、時はゆったりと流れる。地を耕す人は大地が小さな種を受け入れ、それを大きく育てるのを知っている。今はまだ青い実も、やがて甘く熟する。神は自然を通して「あせらなくてもいい」と言ってくださる。時が来れば自ずから変化する。

(†心のデボーション01207)

† 心のデボーション 01208

「イエス身を屈(かが)め指にて地に畫(ものかけ)り」 ヨハネ8:6 大正文語訳聖書

「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」 新共同訳聖書

 「心に寄り添う」

人々が姦淫の女を捕えてイエスのところに引き立て、女をどうすべきかを問うたとき、イエスは女と人々を見ることもなく、かがんで地面に文字を書いておられた。

心に傷を抱える人にイエスは静かに、その心に寄り添われる。無言のうちに多くを姦淫の女に語りかけておられた。女ははじめて自分の心の哀しみに向き合うのである。(ヨハネ8:1~11)

(†心のデボーション01208)

† 心のデボーション 01209

「ヱホバ神土の塵を以て人を造り生氣を其鼻に嘘入たまへり人即ち生靈となりぬ」 創世2:7 明治元訳聖書

「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」 新改訳聖書

「母の胎にて肉の形をうけ、人の種と婚姻の楽しみによりて、十月のうちに血をもて固められたり」 知恵の書7:2 日本聖公会訳聖書

 「生涯の始め」

外国の諺に「When it is a baby, it looks like the person of seven country seven village.赤ん坊のうちはみな同じ」という。

旧訳聖書外典知恵の書7:2にソロモンは「母の胎にて肉の形をうけ、人の種と婚姻の楽しみによりて、十月のうちに血をもて固められたり」とある。

ソロモン王は現代の世界の富豪の誰よりも多くの富をもち、その知恵は遠くシバの女王にまでとどき、三千の箴言を語り、千五百の歌をうたった。しかし、そのソロモンもすべての人と同じように母の胎に生をうけ十月十日を経て誕生した。

人はそれぞれ自分の道を歩み始める。しかし、その生涯は、誰にとっても等しい「始め」からの出発である。

(†心のデボーション01209)

† 心のデボーション 01210

「我は柔和にして心卑ければ、我が軛を負ひて我に學べ、さらば靈魂に休息を得ん」 マタイ11:29 大正文語訳聖書

「わたしは心が柔和であり、謙遜であるから、わたしの軛を受け入れ、わたしの弟子になりなさい。そうすれば、魂は安らぎを見出すであろう」 フランシスコ訳聖書

 「絆(ほだし)」

昔、馬の足をつなぐ縄を「絆(ほだし)」と呼んだ。「絆」は「きずな」と読めば、人と人との深い結びつきを意味するが、「ほだし」と読めば、自由を拘束するものになる。

束縛のない絆は浅いものだ。深い絆を求めるなら、そこに含まれている束縛の意味を見失わないことだ。キリストの「くびき」を負う人は、その束縛がキリストとの絆であることを知っている。

(†心のデボーション01210)

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