心のデボーション120

デボーション1
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† 心のデボーション 01191

「かれら言ふ『ユダヤのベツレヘムなり』」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです」 新共同訳聖書

 「導きの星」

イエスの誕生は中心にいた人々にも伝えられるが、中心はイエスに好意的ではない。むしろ、周辺の端にいたマギがイエスに関心を寄せる。彼等は「導きの星」を見たからには旅をしないわけにはゆかない人々であった。

自らの足で確かめようとしない「読む」だけの人々がいる。彼らの知識は量的にも質的にも十分だが、「星」が彼らを導くことはない。マギの知識は不十分なものであったが、求めることによって知識を深め、遂に導きを得た。

(†心のデボーション01191)

† 心のデボーション 01192

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「神の起源」

聖書は「神の起源」について語ることも、その存在を証明することもしない。神は「有て在る者」(出エジプト3:14 明治元訳聖書)である。神に来る者は神の在ますことを、必ず信じる。すべての祝福と希望は創造の神の信仰に始まる。

「信仰なくしては神に悦ばるること能はず、そは神に來る者は、神の在すことと神の己を求むる者に報い給ふこととを、必ず信ずべければなり」 ヘブル11:6 大正文語訳聖書

(†心のデボーション01192)

† 心のデボーション 01193

「人これによりて箴言と譬喩と智慧ある者の言とその隠語とを悟らん」 箴言1:6 明治元訳聖書

「これは箴言と比喩と、知恵のある者の言葉と、その謎とを理解するためのものである」 フランシスコ会訳聖書

 「見ると聞く」

人は「聞いて理解を深める」ことによって「箴言と比喩と、知恵のある者の言葉と、その謎」(フランシスコ会訳聖書)を理解する。物事を「見る」者は、物事に「聞く」者である。本質を見分けることは、視力と聴力にかかっている。

(†心のデボーション01193)

† 心のデボーション 01194

「久しきを經てのち復、日を定めダビデによりて『今日』と言ひ給ふ。曩に記したるが如し。曰く 『今日なん

じら神の聲を聞かば、 こころを頑固にするなかれ』」 へブル4:7 大正文語訳聖書

「再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」とダビデを通して語られたのです。 新共同訳聖書

 「普通のこと」

人生には全部をかけなければならない瞬間がある。その時には、後先を考えず、とにかくやってみる。ただし、人生はいつも全部をかけさえすればよいものでもないようだ。人生のほとんどは、普通のことを普通にやるだけである。普通のことをやり抜いてみると、全部をかける瞬間が現われて来る。その時は、それをできるだけ普通にやればいい。

(†心のデボーション01194)

† 心のデボーション 01195

「希望は恥を來らせず、我らに賜ひたる聖靈によりて神の愛われらの心に注げばなり」 ロマ5:5 大正文語訳聖書

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」 新改訳聖書

 「希望」

患難は忍耐を生じ、忍耐は練られた品性を生じ。練られた品性は希望を生み出す。この希望は失望に終わることはない。(ロマ5:1~5)

希望は理想ではない。神が約束された現実である。いのち全体にかかわって見えるかたちになる。

(†心のデボーション01195)

† 心のデボーション 01196

「イスラエルよ然ば我かく汝に行はん 我是を汝に行ふべければイスラエルよ汝の神に會ふ準備をせよ」 アモス4:12 明治元訳聖書

「それゆえ、イスラエルよ/わたしはお前にこのようにする。わたしがこのことを行うゆえに イスラエルよお前は自分の神と出会う備えをせよ。」 新共同訳聖書

 「神に出会う備え」

備えあれば憂いなしという。しかし、備えるほどに強まる憂いというものもある。「備え」を「蓄え」と理解したのかもしれない。「今」と取り組み、事を事とするのが最良の備えである。「今」を受けとめて生きることが「神に会う備え」である。その時が来たら、「今」がその時、とわかる自分でありたい。その時には「その時」が備えてくれる。

(†心のデボーション01196)

† 心のデボーション 01197

「事毎に謙遜と柔和と寛容とを用ひ、愛をもて互に忍び」 エペソ4:2 大正文語訳聖書

「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し」 新共同訳聖書

 「その程度の違い」

曽野綾子さんがアフリカで経験したことのなかに興味深いお話があるのでそのまま引用させていただく。

「アフリカ旅行で、30人くらいのご飯を炊くことになった。かなり自信ありげに手首まで計ればいいと言い張る人の言うことを聞いて、芯飯ができてしまった。年長のシスターに聞くと「お米1.5倍の水を計って炊けば間違いがないという。「1対1.2だって聞きましたけど」というと「その程度の違いのときは、多いほうに間違っておけばいいの。芯のあるご飯ができるより、雑炊ができるほうが無難だから」といった。」

(曽野綾子 「ほどほどの効用」)

大抵のトラブルは、「その程度の違い」の範囲でおこり、「そのときは多い方に間違っておけばいいの」で解決されるかもしれない。

(†心のデボーション01197)

† 心のデボーション 01198

「直くあゆみ義をおこなひ そのこころに眞實をいふものぞその人なる」 詩篇15:2 明治元訳聖書

「正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人」 新改訳聖書

 「心の中の真実」

問題の答えがわかった気になると、ついそれを告げたくなる。しかし、それが意外と退けられる。人が何とか自分で立ち上がろうとしている時には、本人の頑張りにゆだねたらよい。「心の中の真実」は、言葉にしなくても充分に伝わっている。必ずしも答えを言わない、そうした支えの中で、人は自分で方法を見つけ、回復していくようだ。

(†心のデボーション01198)

† 心のデボーション 01199

「銀を好む者は銀に飽こと無し 豊富ならんことを好む者は得るところ有らず 是また空なり」 伝道5:10 明治元訳聖書

「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。」 新改訳聖書

 「ジレンマ」

ユダヤジョークに「ユダヤ人のジレンマ:ハムの無料セール :というのがある。

金銭にこまかいユダヤ人が「ハムの無料セール」を見逃したりはしない。しかし、この滅多にない美味しい機会を豚肉を食べてはならない彼らは指をくわえて見ていなければならないとからかう。

この種のジレンマはすべての人に形をかえて存在する。

(†心のデボーション01199)

† 心のデボーション 01200

「預言者の錄(しる)されたる言(ことば)」 マタイ2:5 大正文語訳聖書

「預言者がこう書いています」 新共同訳聖書

 「一巻の巻物」

イスラエルの歴史は書記官によって記録され厳密に保管されていた。ダリヨス王の時代にバビロンの文書保管所から「一巻の巻物」が発見され、それによってエルサレム神殿の再建が実現した。(エズラ6:1~12)

わずか「一巻の巻物」からでも、神の言葉一つからでも、信仰の覚醒ははじまる。

しかし、ヘロデの時代のエルサレムの祭司、律法学者はエズラ、ネヘミヤの教えを学ばなかった。メシアの「記録を見つける」ことはできても、メシアを見出すことはできなかった。

その差は現代も変わることなく存在する。

(†心のデボーション01200)

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