心のデボーション118

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

† 心のデボーション 01171

「かれらは年老てなほ果をむすび豊かにうるほひ緑の色みちみちて」 詩篇92:14 明治元訳聖書

「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう」 新改訳聖書

 「真実の花」

世阿弥は老いてなお芸の魅力が失われないとしたら、それそこが「真実の花」だという。そのような人は自分自身を知っており、老いの身を砕くような難しい能を舞うことをするのではなく、自分を知る心こそが奥義に達した人の心であると言う。(世阿弥「風姿花伝」)

若く勢いのあるときの成功よりも、老いて衰えが始まってからの成熟ははるかに難しい。しかし、人はそのためにこそ老いるのである。

(†心のデボーション01171)

† 心のデボーション 01172

「斯て汝はつひに公義と公平と正直と一切の善道を暁らん」 箴言2:9 明治元訳聖書

「そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る」 新改訳聖書

 「公義の小道」

人間は体を前に倒して、転がるまいとして、足を出し、それで歩くことを覚える。バランスを崩すことによって前進する。

笠を着て草鞋をはいて歩く、一つ所にとどまらず先へ先へと歩き、年暮れていくことが芭蕉の道だった。

年暮れぬ笠着て草鞋はきながら
此道や行く人なしに秋の暮れ  芭蕉

(†心のデボーション01172)

† 心のデボーション 01173

「また我を信ずる此の小き者の一人を躓かする者は、寧ろ大なる碾臼を頸に懸けられて、海に投げ入れられんかた勝れり」 マルコ9:42 大正文語訳聖書

「また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」 新改訳聖書

 「優しさ」

人とは上手に付き合い、決して傷つけるようなことを口にしないのは、心の優しい人である。しかし、その優しさも、場合によっては人を傷つけることになってしまうことがある。傷つけたくないという気持ちから、拒絶すべき時に逆に受け入れてしまい、結果として相手を傷つけてしまう。人を傷つけたくなかったのではなく、自分が嫌われたくなかっただけではないか。つまずかせないためにも、相手を拒絶しなければならない時もある。

(†心のデボーション01173)

† 心のデボーション 01174

「我を失ふものは自己の生命を害ふ すべて我を惡むものは死を愛するなり」 箴言8:36 明治元訳聖書

「わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する」 新改訳聖書

 「揺れ動いく心」

「揺れ動いた心も何かつかまるものを与えられないと自分の中で踏み迷う。心はいつもぶつかって働きかける対象を与えられなければならない」 (モンテーニュ 「エセ―」)

モンテーニュは「人は愛を失うと、空のままではいられないで、偽りのむなしい対象を作り上げ、自分を欺く」ともいう。だが、そうやってでっちあげたもので心が満たされることはない。

(†心のデボーション01174)

† 心のデボーション 01175

「われわが戀人を呼たれども彼らはわれを欺むけり」 哀歌1:19 明治元訳聖書

「わたしは愛した人々に呼びかけたが、皆、わたしを裏切った。わたしの祭司ら長老らは、都で息絶える。命をつなごうと、食べ物を乞いながら」 哀歌1:19 新共同訳聖書

 「祭司長、律法学者」

祭司長、律法学者は直ちに聖書からメシアの誕生の場所を特定することが出来た。しかし、聖書のメッセージは、座り込んだ彼らを一寸も動かさない。

彼らは「都で命をつなごうと、食べ物を乞いながら」歩き回る、「今にも息絶えようとする」学者だった。彼らがそうしている間にも、神の「愛した人々(「わが戀人」明治元訳)」は囚われて異国に引かれていく。(哀歌1:18~19)。

(†心のデボーション01175)

† 心のデボーション 01176

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「創世記1:1の信仰」

創世記1:1は信仰の出発点である。それが「私の出発点」であることは何という喜びであろうか。創世記1:1の信仰はあらゆる神の創造の中に「私」を見出すことにある。

「信仰によりて我等は、もろもろの世界の神の言にて造られ、見ゆる物の顯るる物より成らざるを悟る」 ヘブル11:3 大正文語訳聖書

(†心のデボーション01176)

† 心のデボーション 01177

「かれら互に言ふ『途にて我らと語り、我らに聖書を説明し給へるとき、我らの心、内に燃えしならずや』」 ルカ24:32 大正文語訳聖書

「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』」 新共同訳聖書

 「火知り」

キリンビール営業本部のマーケティング部長佐藤章さんは著書『ヒットを生み出す最強チーム術』で社内の開発者と社外の専門家達との関係を「目利きと火知り」と表現している。

「目利き」はものの良しあしを見極めチームのあるべき方向を導く人。「火知り」は火を知る人の意味で、火をおこせる人である。「目利き」と「火知り」が向き合って仕事をすることで創造的なもの創りができる。

(†心のデボーション01177)

† 心のデボーション 01178

「智慧ある者は之を聞て學にすすみ 哲者は智略をうべし」 箴言1:5 明治元訳聖書

「知恵のある人もそれを聞いて知識を深め、賢い人も指導の道を知るだろう」 バルバロ訳聖書

 「知恵ある人」

「知恵ある人」は「學にすすむ」。「すすむ 深め יסף ヤサフ」は「加える、増し加える、重ねる」である。「知恵」はそこに止まることなく、常に新しい。古きは失われることなく、新たなものと重なり、増し加えられて行く。

「知恵ある者に教訓を授けよ、彼はますます知恵を得る。正しい者を教えよ、彼は学に進む」 箴言9:9 口語訳聖書

(†心のデボーション01178)

† 心のデボーション 01179

「われらが有てる賜物はおのおの與へられし恩惠によりて異なる故に、或は預言あらば信仰の量にしたがひて預言をなし、」 ロマ12:6 大正文語訳聖書

「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。」 新改訳聖書

 「人の心」

人の心は分かりにくい。そこでつい自分が思うように人も考えると思い違いをしてしまう。自分の思考を通して相手を理解することには無理がある。人にはそれぞれ自分とは異なる思考があることを認めることから交わりははじまる。たとえ長年つれそった夫婦であってもこの原則は変わらない。

(†心のデボーション01179)

                                  曽野綾子 「ほどほどの効用」

† 心のデボーション 01180

「膏と香とは人の心をよろこばすなり 心よりして勸言を與ふる友の美しきもまた斯のごとし」 箴言27:9 明治元訳聖書

「香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける」 新改訳聖書

 「親しさ」

親しさという言葉はラテン語の「深み」から来ている。親しさは常に相手の「心の深み」とかかわろうとする。人は自分自身の内と深くかかわることによって、人に親しみを感じるようになる。つまり、人と親しくなるのに努力など必要ではなく、自分のたましいと和解し、自分を受け入れればよい。その時、そばにいてくれる人が友である。自分に対して心を閉ざすと、人と親しくなれない。

(†心のデボーション01180)

コメント