† 心のデボーション 01121
「求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」 マタイ7:7 大正文語訳聖書
「願って、願って、願い続けろ。そうすれば、手に入る。探して、探して、探し続けろ。そうすれば、見つかる。叩いて、叩いて、叩き続けろ。そうすれば、戸を開けてもらえる」 山浦玄嗣訳
「教えを乞う」
昔、若い牧師は信仰の師を求めて機会があれば出かけて、教えを乞うた。坐していては、出会いはない。求めるならこちらから出向かなければならない。ただ、問うものもなく出向いても無駄である。問いを持ち、それを忘れて出向くのがよいようだ。
(†心のデボーション01121)
† 心のデボーション 01122
「にさとりを與へ少者(わかきもの)に知識と謹愼(つつしみ)とを得させん爲なり」 箴言1:4
「無知な者に分別を、若者に知識と思慮を得させるためのものである」フランシスコ会訳聖書
「年若き散らされた者」
「若者 נַעַר ナアール」は「子ども、少年、若者」の意味に加えて「散らされた者」、「迷える者」の意味にも用いられる。年老いてなお心に「迷い」を抱く者は「年若き散らされた者」である。「知識と思慮」を求めて訪ね歩かねばなるまい。
「わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う」 箴言8:17 口語訳聖書
(†心のデボーション01122)
† 心のデボーション 01123
「ヘロデ王これを聞きて惱みまどふ、エルサレムも皆然り」 マタイ2:3 大正文語訳聖書
「ヘロデ王之を聞きて狼狽(うろた)へしが、エルザレムも亦挙(こぞ)りて然ありき」 ラゲ訳聖書
「心騒がすな」
「なんぢら心を騷がすな、神を信じ、また我を信ぜよ」 ヨハネ14:1
ヘロデはメシア誕生の知らせに心を「騒がせ ταράσσω タラスソー」た。イエスは弟子たちに「心騒がすな ταράσσω タラスソー」と語られる。(ヨハネ14:1)
イエスは信じる者の心の濁りを取り去り給う。
(†心のデボーション01123)
† 心のデボーション 01124
「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書
「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書
「根源」
「初め רֵאשִׁית レーシート re’shiyth {ray-sheeth’}」は「起源、根源」を意味する。聖書はまず「根源」について語る。
聖書は一切の前置なしに私を「存在のはじめ(起源、根源)」に立たせる。
人間は根源のない存在ではない。どのいのちも深い価値をもたらす根源から始まっている。
自分の価値を正しく知るには創造主に意味を尋ねなければならない。
(†心のデボーション01124)
† 心のデボーション 01125
「レビ人アロンは汝の兄弟なるにあらずや我かれが言を善するを知る」 出エジプト4:14 明治元訳聖書
「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている」 新共同訳聖書
「相棒」
仕事の相棒は自分とは違ったものを持つ人がよいという。そういう相棒がいることで自分とは違った視点で仕事を見ることも出来る。
口下手なモーセと雄弁なアロンはその意味からもよき相棒だった。
(†心のデボーション01125)
† 心のデボーション 01126
「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず」 Ⅰコリント13:4 大正文語訳聖書
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません」 新改訳聖書
「仲のよい夫婦」
仲のよい夫婦でも意見が合わないことはある。多くの場合、それはお互いの生まれ育った環境に培われたもので、変わるものではないし、変えるべきものでもない。相手をそのまま大切にする気持ちがあれば、それくらいのぶつかり合いはあっても構わない。寛容とは怒りのスローモーションであると。それは人の罪を赦される神から来る。自分とは合わない部分にその人らしさがある。
(†心のデボーション01126)
† 心のデボーション 01127
「われ山にむかひて目をあぐ わが扶助はいづこよりきたるや」 詩篇121:1 明治元訳聖書
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」 新改訳聖書
「わが助けはいずこより」
分子生物学者村上和雄さんは生物の進化に影響を与える人知を超えた存在を「サムシング・グレート Something Great」と呼ぶ。天理教の信徒である村上さんの「サムシング・グレート」は天理教の「親神様」から来たものである。
世界のなりたちは進化論だけでは説明できないという指摘である。
「牛の困難な状況に陥ったとき、一つ、二つくらい努力すれば、あとの八つ、九つはサムシング・グレートが応援してくれる」めげずにがんばっていれば、必ず、応援がきてくれる」(村上和雄 「人生の暗号」)
(†心のデボーション01127)
† 心のデボーション 01128
「されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及かざりき」 マタイ6:29 大正文語訳聖書
「あなたがたに言っておく。栄華をきわめたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」 フランシスコ会訳聖書
「花の裏」
手に葉をとって、裏側を見ると、見事な葉脈が見られる。そして、一枚の花弁にも脈がある。花の裏と表を重ねると花の表情がいきなり変わる。脈に沿って花の色が染め出されるのだ。美しさとは、表からでは見えない裏の部分を重ねることによって見えてくるのかもしれない。人の美しさも、その生きてきた人生の裏側に隠されているのだろう。
(†心のデボーション01128)
† 心のデボーション 01129
「哲者のこころは知識をたづね 愚なる者の口は愚をくらふ」 箴言15:14 明治元訳聖書
「さとき者の心は知識をたずね、愚かな者の口は愚かさを食物とする」 口語訳聖書
「素人の発想」
専門家よりも何も知らない素人の発想がよい仕事をすることがある。常識知らずの行動が思わぬ盲点をつくという形である。しかし、素人の発想ですべてがやれると考えるのは危険である。専門的な知識を持ちながら素人の発想を無視しないのがよいが、それが難しい。
「哲者のこころ」は「愚かな知識」にも心を傾けるが、それは「愚か」を食物とすることではない。
(†心のデボーション01129)
† 心のデボーション 01130
「拙者(つたなきもの)にさとりを與へ少者(わかきもの)に知識と謹愼(つつしみ)とを得させん爲なり」 箴言1:4
「無知な者に分別を、若者に知識と思慮を得させるためのものである」フランシスコ会訳聖書
「分別なきつたなき者」
人はみな「分別なきつたなき者」である。しかし、魂の貧しさを嘆いてはならない。神は「心砕けて者」の近くにいまし、たましいの砕かれた者」の声に耳を傾け、彼をを救われるからである。
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」 詩篇34:18 口語訳聖書
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません」 詩篇119:9 口語訳聖書
(†心のデボーション01130)
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