心のデボーション106

デボーション1
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† 心のデボーション 01051

「すべての生るものに食物をあたへたまふものに感謝せよ そのあはれみはとこしへに絶ることなければなり 天の神にかんしやせよ その憐憫はとこしへに絶ることなければなり 」 詩篇136:25~26 明治元訳聖書

「主はすべての肉なる者に食物を与えられる。その恵みはとこしえまで。天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」 新改訳聖書

 「一日34トンの廃棄」

ある食品リサイクル工場には、一日400~500kgものケーキが「廃棄物」として運び込まれるという。クリスマスの後ともなれば、一日34トンのつくり過ぎたケーキやフライドチキンがはこばれてくる。廃棄処理された食品は豚の飼料などにされる。

食べ物への姿勢はその文化の深さをあらわす。

(†心のデボーション01051)

† 心のデボーション 01052

「なんぢ國をふるはせてこれを裂たまへり ねがはくはその多くの隙をおぎなひたまへ そは國ゆりうごくなり」 詩篇60:2 明治元訳聖書

「あなたは地をゆるがせ、それを引き裂かれました。その裂け目を、いやしてください」 新改訳聖書

 「心に傷を受けた人の話」

心に傷を受けた人の話は、聞く人も無傷ではすまない。心が引き裂かれ、深くえぐられた話なのだ。聞く側にも未解決の問題があると、そこに働いて不安感が高まったりする。その不安感が相手に伝わると、さらに心の傷を広げることになりかねない。聞くには、まず、自分自身を癒すことだ。癒された心だけがもっと深くを聞くことができる。癒しの業の中で、人は自然に祈りに導かれる。

(†心のデボーション01052)

† 心のデボーション 01053

「我ら東にてその星を見たれば、拜せんために來れり」 マタイ2:2 大正文語訳聖書

「そは我等東にてその星を見たれば、彼にさんために到りたればなり」 永井直治訳聖書

 「礼拝」

東の博士たちはイエスを「礼拝する προσκυνέω プロスクゆネオー」ために来た。Darby’s English Translationは homage と訳す。

「礼拝する προσκυνέω プロスクゆネオー」はラテン語 adoratio で、adoratioには「崇拝」の意味がある。英語の adoration であり「尊崇、崇敬、熱愛、祈り、礼拝」の意味を持つ。

あらゆる意味で尊崇の念が失われるとき、それはもはや礼拝の場ではない。

(†心のデボーション01053)

† 心のデボーション 01054

「銀を好む者は銀に飽こと無し 豊富ならんことを好む者は得るところ有らず 是また空なり」 伝道5:10 明治元訳聖書

「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。」 新改訳聖書

 「貯え」

日本の企業が社名に「鉄」の字を嫌って「鐵」とするのは、「鉄」が金を失うと書くからだという。金銭を貯えることは大切だが、貯えるだけの人生もむなしい。貯えることよりも、貯えたものを使う方がはるかに難しい。使うのが難しいのではなく、満足して使うことが難しいのだ。もっとも、どう使うかで悩む人の心配など余分というものだ。失いたくないからそこまで蓄えたに決まっている。

(†心のデボーション01054)

† 心のデボーション 01055

「さとき訓と公義と公平と正直とをえしめ」 箴言1:3 明治元訳聖書

「思慮深い教育を受けて、正義と公正と公平とを体得するためのものであり」 フランシスコ会訳聖書

 「思慮深い義」

「思慮深い義」は選び抜かれた真珠の輝きにまさる。それは人格に「深い知恵と慎み」をもたらすからだ。

「知恵は宝石にまさり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。 箴言8:11 口語訳聖書

「知恵であるわたしは悟りをすみかとし、知識と慎みとをもつ」 箴言8:12 口語訳聖書

(†心のデボーション01055)

† 心のデボーション 01056

「ヤコブより一箇の星いでん」 民数記24:17 明治元訳聖書

「ヤコブから出る者が治め」 新改訳聖書

 「砂漠の星空」

世界で最も美しい星空はチリの北部に位置するアタカマ砂漠だそうだ。(アタカマ砂漠はサハラ、ゴビとならぶ世界三大沙漠の一つ) 砂漠では無数の星が見渡す限りに広がるのが見える。

博士たちが見上げた砂漠の夜空にも驚くばかりの星が出現していたろう。

その中の「一つの星」が彼らの目にとまったのはなぜだろうか?

求める人にはそれが見えるのだろうか?

(†心のデボーション01056)

† 心のデボーション 01057

「おのおの己が事のみを顧みず、人の事をも顧みよ」 ピリピ2:4 大正文語訳聖書

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」 新改訳聖書

 「手ごたえ」

その仕事につきさえすれば「手ごたえ」が得られるというのが理想だが、そのような仕事はめったにあるものではない。「手ごたえ」とは、人間的なコミュニケーションにある。どんなに努力しても手ごたえが感じられないのは、仕事が悪いのではなく、仕事から人間的なかかわりが失われ、「他人という人間の存在に注意を払うこと」がなされにくいからではなか。それができればどんな仕事も手ごたえはある。

(†心のデボーション01057)

† 心のデボーション 01058

「なんぢらヱホバの書をつまびらかにたづねて讀べし」 イザヤ34:16 明治元訳聖書

「主の書物を調べて読め」 新改訳聖書

 「とりて読め」

「読み書き」に関心が薄い人は、比較的に老けやすいという。脳医学は言語中枢が神経突起をつくりだす能力が高く、感情移入をうながし、脳全体を活性化すると指摘する。

本を開き、物語(ストーリー)を理解しながら読み進めるうちに、現実の人の感情を受け入れることができるようになるという。

人の身体は次第に老化するが、脳はいつまでも成長を止めない。

(†心のデボーション01058)

† 心のデボーション 01059

「一切のもの我に可からざるなし、然れど一切のもの益あるにあらず。一切のもの我に可からざるなし、されど我は何物にも支配せられず」 Ⅰコリント6:12 大正文語訳聖書

「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」 新改訳聖書

 「自由と責任」

初代教会の時代に、偶像にそなえられた肉が市場で売られていた。この肉を食べてよいかで信徒の間で激しい論争がおこった。(Ⅰコリント8~9章) パウロはこの問題に対して「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」という原則を示している。(Ⅰコリント6:12 新改訳聖書)

神は人に「自由」を与えられている。

英語「Liberty 自由」はラテン語「liber 社会的な制約のない、負い目がない」という意味から来ている。

しかし、自由はそれによる責任を負うことが前提である。

許されていることでも、それによって躓く人がいるなら慎むという真の自由であるとは。

(†心のデボーション01059)

† 心のデボーション 01060

「さとき訓と公義と公平と正直とをえしめ」 箴言1:3 明治元訳聖書

「思慮深い教育を受けて、正義と公正と公平とを体得するためのものであり」 フランシスコ会訳聖書

 「思慮深い教育」

「思慮深い教育」とは神のみ言葉を聴き、心にとどめることによる。「神はへりくだる者を救われる」(ヨブ22:29 新改訳聖書)

「神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ」 ヨブ22:22 新改訳聖書

(†心のデボーション01060)

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