心のデボーション105

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

† 心のデボーション 01041

「然どなんぢらわが創造する者によりて永遠にたのしみよろこべ」 イザヤ65:18 明治元訳聖書

「だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。」 新改訳聖書

 「不楽本座(ふらくほんざ)」

天界の天人にも5つの悩みがあって、これを「天人の五衰(ごすい)」といい、そのために仏になれないという。

衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で汚れる
頭上華萎(ずじょうかい):頭上の花が枯れる
身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭う
腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れる
不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる

1~4は天人といえども老いれば仕方がないが、問題は「不楽本座」であろう。天人が天界の自分のいる場所を好きになれなくなるという悩みである。天界というよりも今いるところに楽しめない心の病かもしれない。

(†心のデボーション01041)

† 心のデボーション 01042

「彼は愛しき麀のごとく美しき鹿の如し その乳房をもて常にたれりとし その愛をもて常によろこべ」 箴言5:19 明治元訳聖書

「彼女は愛らしい雌じか、美しいしかのようだ。いつも、その乳ぶさをもって満足し、その愛をもって常に喜べ」 口語訳聖書

 「のぼせる」

河合隼雄さんは著書の中で「恋愛関係は『のぼせ』から始まる。『のぼせ』ている間はほかのことがまったく見えないが、『のぼせ』はやがてさめる。「のぼせ」がさめたろころから真の関係がはじまる。それはのぼせあがるのではなく、関係を深めることになる。」と述べています。(河合隼雄 「より道、わき道、散歩道」)

「のぼせ」は若い時代の恋愛関係だけではない。老いの中にも存在する。一時的であったとしても、のぼせることのできる人は幸いだ。そこから「関係の深み」を知るのはさらに幸いだ。

(†心のデボーション01042)

† 心のデボーション 01043

「おほよそ事耐ふるなり」 Ⅰコリント13:7 大正文語訳聖書

「すべてを耐える」 口語訳聖書

 「持ちこたえる」

「耐える ὑπομένω フゆポメノー」は「どこまでも心にとめる」で「踏みとどまる、持ちこたえる」の意味である。「愛」は相手をどこまでも心に入れ、持ちこたえる。神は「私」を心にかけづつけてくださる。

(†心のデボーション01043)

† 心のデボーション 01044

「我心を盡し知慧をもちひて天が下に行わるる諸の事を尋ねかつ考覈(しらべ)たり、此苦しき事件(わざ)は神が世の人にさづけて之に身を労せしめ給ふ者なり」 伝道1:13 明治元訳聖書

「わたしは、天の下で行われるすべてのことについて、知恵を用い探り究めようと志した。これはつらい務めであり、神が人の子に与えた労役である」 フランシスコ会訳聖書

 「神の風」

伝道者は「天の下で行われるすべてのことについて、知恵を用い探り究めよう」と志した。それは神が与えられた「つらい仕事」であった。それはどこから来てどこに行くか分からない風を追う(原意は「食う」)ようなもので、一つをとらえたと思っても、もう別の風が吹くような「つらく空しい労役」であった。

だが、伝道者は「天の下で行われるすべてのこと」を探り究めることをやめない。何故ならそこには神の風が吹いていると知っているからである。

(†心のデボーション01044)

† 心のデボーション 01045

「ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり。此のマリヤよりキリストと稱ふるイエス生れ給へり」 マタイ1:16 大正文語訳聖書

「またヤコブはヨセフ、卽ちマリアの夫(をっと)を生めり。その〔マリア〕よりキリストと云はるるイエスは生まれ給へるなり」 永井直治訳聖書

 「イエスの祖父」

ヤコブはヨセフの父となり、そのヨセフがマリヤの夫となったことから「マリヤの父」となり、「キリスト(メシア 救い主)と云はるるイエスの祖父」となった。ヤコブの名が以後の福音書にないのは、成人したイエスを見ることもなく亡くなったのかもしれない。

人がその生涯に見ることができることには限りがある。しかし、後に明らかにされる存在の意味もある。

(†心のデボーション01045)

† 心のデボーション 01046

「この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり」 マタイ6:34 大正文語訳聖書

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」 新共同訳聖

 「生きる覚悟」

「死期を実感しない人は、いつまでも死が来ないと思っている。だから死期を告げられた人とそうでない人間では生きる覚悟が異なる。できないことをくよくよ考えたり、悔やんだりしている時間はない。時間があると思うから、やるべきことを後まわししてしまう。明日があると思うから先延ばしにする。」ホーキング

やるべきことは「今」やるべきだ。先延ばしすればするぼどできなくなる。

(†心のデボーション01046)

† 心のデボーション 01047

「これは汝のゆくとき汝をみちびき 汝の寝るとき汝をまもり 汝の寤るとき汝とかたらん」 箴言6:22 明治元訳聖書

「これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける」 新改訳聖書

 「目標に向かっていくエネルギー」

「いのちを賭してもやりたいことがあるから、幸せでいるだけでなく、天寿をまっとうすることができる。

目標に向かっていくエネルギーが死を遠ざける。」ホーキング

ホーキング博士が天才であることは間違いない。しかし、それ以上に「目標に向かっていくエネルギーが死を遠ざける」ことをその身を通して世界に示してくれたことにおいて偉大である。

(†心のデボーション01047)

† 心のデボーション 01048

「愛のつなをもて彼等をひけり」 ホセア11:4 明治元訳聖書

「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた」 新改訳聖書

 「愛のきずな」

「すべての人が愛するものを見つけることができるのではない。心から愛するものと出会ったことは非常に幸せなこと、その愛した瞬間を決してわすれてはいけない。」 ホーキング

「愛」を見出した人は幸いです。すべての「愛」が実を結ぶとは限りません。しかし、自分はまだ「愛」と出会っていないと嘆くのは間違いです。すべての人は「愛」と出会っているのです。人は「愛」と出会う瞬間に「私」という存在に気づくのです。「私」について悩む人はすでにその「瞬間」を経験し、その意味を知りたがっているのです。

(†心のデボーション01048)

† 心のデボーション 01049

「キリストの系圖(けいず)」 マタイ1:1 大正文語訳聖書

「イエス・キリスト<メシヤ、油そそがれたかた>の家系の書<系図>」 詳訳聖書

 「系図と私」

ユダヤ人は「系図」を大切にした。それは個人の人生は短くも、やがて「系図」に載せられるべき存在としての自己を生きなければならないという自覚を促すものとなったのではないか。

現代、私たちには「系図」はそれほど意識することはなくなった。それは個人が歴史としての人間という意識をもちにくいものとしているかもしれない。

マタイの系図は幾世代にも伝えられる信仰の継承の書である。その中には信仰の篤き者も薄き者もありながら、一つの信仰の流れとなっている。それは一人の人間の信仰の歩みそのものでもある。

(†心のデボーション01049)

† 心のデボーション 01050

「汝等しづまりて我の神たるをしれ」 詩篇46:10 明治文語訳聖書

「力を捨てよ、知れ/わたしは神。」 新共同訳聖書

 「我の神たるをしれ」

「汝等しづまりて我の神たるをしれ」を新共同訳聖書は「力を捨てよ、知れ/わたしは神。」と訳す。

神の前に心鎮める者は、力に頼ることをしない。神が神であることを知ればそれで充分である。

誠に私的な事柄ではあるが、私は自分の墓石にこの詩篇46:10の御言葉を刻んだ。

(†心のデボーション01050)

コメント