心のデボーション103

デボーション1
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† 心のデボーション 01021

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「働かれる神」

聖書において、「神」は創造の神である。神は創造の御業(働き)の中に現れる神である。そして、神に創られた人間はその業(働き)を通して神と自己の存在を現すのである。

人はその働きによって知られる。

(†心のデボーション01021)

† 心のデボーション 01022

「さとき訓と公義と公平と正直とをえしめ」 箴言1:3 明治元訳聖書

「思慮深い教育を受けて、正義と公正と公平とを体得するためのものであり」 フランシスコ会訳聖書

 「自身に捕える」

「体得する לקח ラウカ」は「自身に捕える」の意味で、「めとる」の意味にも用いられる。「箴言」は単なる知的な知識ではなく、人と生命的な一体化し、いのちを新たに生み出し続ける力である。

(心のデボーション01022)

† 心のデボーション 01023

「死よ、なんぢの勝は何處にかある。死よ、なんぢの刺は何處にかある」 Ⅰコリント15:55 大正文語訳聖書

「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」 新改訳聖書

 「地獄の門」

トルコにある古代ローマのヒエラポリスの神殿の下には「地獄の門」と呼ばれる洞窟があり、近づくと、いけにえの動物を捧げる聖職者以外のあらゆるものが死ぬとされ、「地下世界への入り口」と恐れられた。

ハーディー・プファンツ氏ら火山学者の研究チームによる調査から、洞窟の奥深くの地表にある亀裂から高濃度の二酸化炭素が放出されていることが報告された。洞窟に入った背の低い動物はガスを吸って即死したが、聖職者は背が高いため高濃度のガスを吸う危険をまぬがれたのではと考えられている。

「地獄の門」のからくりを説明することはできるが、人の心に訴える「地獄の門」のイメージはどのように説明したらよいだろうか。

(†心のデボーション01023)

† 心のデボーション 01024

「さらば凡て人に爲られんと思ふことは、人にも亦その如くせよ。これは律法なり、預言者なり」 マタイ7:12 大正文語訳聖書

「だから、何事でも、人から自分にしてもらいたいと望むことを、人にもしてあげなさい。これが律法と預言者の教えである」 フランシスコ会訳聖書

 「易地思之」

「易地思之」は「互いに相手の立場で考える」の意味である。韓国でこの言葉は역지사지(ヨクチサジ)で「相手が自分の立場を思いやること」と理解されるという。

「自分が相手の身になる」にしても、「相手が自分の立場に立つことを期待する」にしても、「互いに相手の立場になること」が欠ければうまくはゆくまい。

(†心のデボーション01024)

† 心のデボーション 01025

「ヤコブの神をおのが助としその望をおのが神ヱホバにおくものは福ひなり」 詩篇146:5 明治元訳聖書

「いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人」 新共同訳聖書

 「病葉 わくらば」

「病葉 わくらば」は、病気のために変色した葉で、夏の青葉に混じって黄色く色づいている。昭和36年にヒットした中曽根美樹の「川は流れる」で歌われた。

『病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に
黄昏の 水のまぶしさ』

都会の川を小さなな望みが枯れた「病葉」となって流れゆく。

「病葉や大地に何の病ある」虚子

(†心のデボーション01025)

† 心のデボーション 01026

「ヱホバ、ヨセフとともに在す彼享通者となりてその主人なるエジプト人の家にをる」 創世記39:2 明治元訳聖書

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた」 新改訳聖書

 「16兆分の1の確率」

2018年6月、AFPBB Newsは、フランス人男性が1年半の間に宝くじで2度、100万ユーロ(約1億3000万円)を当てたと報じた。フランスの数学者によると、同じ宝くじで1年半の間に2度の高額当せんを果たすのは16兆分の1の確率だという。
私が生涯を神と共に過ごすことのできる「幸運の確率」はいかほどのものだろうか?

(†心のデボーション01026)

† 心のデボーション 01027

「されば今萬軍のヱホバかく曰たまふ 汝等おのれの行爲を省察べし」 ハガイ1:5 明治元訳聖書

「あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい」 口語訳聖書

 「毛馬の残念石」

大阪府大阪市北区旧第一閘門東の一角に明治43年淀川改修工事完了を記念して建てられた「淀川改修紀功碑」があり、その横に毛馬北向き地蔵の祠がある。その周囲に大きな石が数個転がっており、「毛馬の残念石」と呼ばれている。江戸時代に大坂城を再建するとき伏見城から運ばれた石垣の石が運搬船から転落し、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされる。

石垣に使用するために切り出され、ここまで来たが、その役目を果たせなかったところからその名がある。

人の心にはいくつかの「残念石」がある。残念石は使い道のない石ではない。成し得なかったが、今もそこにあることの意味を考えてみたい気がする。

(†心のデボーション01027)

† 心のデボーション 01028

「その怒はただしばしにてその惠はいのちとともにながし 夜はよもすがら泣かなしむとも朝にはよろこびうたはん」 詩篇30:5 明治元訳聖書

「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」 口語訳聖書

 「ポンペイの男」

紀元79年のベスビオ火山噴火で壊滅したイタリアの古代都市ポンペイの遺跡で、最初の噴火による被害を免れながら、逃げる途中で巨岩に頭部を吹き飛ばされて死亡した男性の遺骨が発見された。
衝撃で上半身は押しつぶされ、頭部はまだブロックの下に埋まっている可能性があるという。男性の推定年齢は30歳以上で脚の骨には感染症をうかがわせる病変があり、これが原因で逃げ遅れたのではないかと研究チームは推測している。
未曾有の災害の中にも人は最後まで自分を諦めはしない。
(†心のデボーション01028)

† 心のデボーション 01029

「イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來て言ふ」 マタイ2:1 大正文語訳聖書

「イエズスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムにお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムに来て」 フランシスコ会訳聖書

「ヘロデ王の日に」 マタイ2:1 永井直治訳聖書

 「私の日」

「ヘロデ王の日に ἐν ἡμέραις ῾Ηρῴδου in  [the] days of Herod」

時間には「私の日」と呼ばれる特別の「時」がある。全ての時間はそれなのだが、それと気づかずに通過していることが多い。「私の日」の存在に気づくなら、「時」に退屈などしない。

イエスの来訪の知らせは「私の日」という「時」の中に伝えられ、そこでしか聞くことができない。

(心のデボーション01029)

† 心のデボーション 01030

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「存在の意味」

現代宇宙学は宇宙が137億光年の時と空間の広がりを持ち、なお膨張しているとしている。宇宙はあまりに広大で、人間は「時と空間」の意味を知らない。そして、我々は天と地の創造をもって始まる一個の人間の誕生の秘密を、そのことごとくを知らないのである。

(心のデボーション01030)

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