心のデボーション102

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† 心のデボーション 01011

「死よ、なんぢの勝は何處にかある。死よ、なんぢの刺は何處にかある」 Ⅰコリント15:55 大正文語訳聖書

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」 口語訳聖書

 「自らの死を生きる」

猫は死に近づくと姿を消すという。どこか人の目の届かない所にいってしまう。そうやって自らの死を生きる。人は猫ほど静かに、そして見事に姿を消さなくてもよいと思う。人間は猫ほど強くはないのだ。ただ、人は死が近づかなくても、自らの死を生きることを学ぶ点で、猫よりは強いかもしれない。

死を受け入れることは、自らの死を生きることだ。それによって、人は生とかかわることを学ぶ。

(心のデボーション01011)

† 心のデボーション 01012

「イエスはヘロデ王の時、ユダヤのベツレヘムに生れ給ひしが、視よ、東の博士たちエルサレムに來て言ふ」 マタイ2:1 大正文語訳聖書

「イエズスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムにお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムに来て」 フランシスコ会訳聖書

「Now after the birth of Jesus, which took place at Bethlehem in Judaea in the reign of King Herod, excitement was produced in Jerusalem by the arrival of certain Magi from the east」 Matt. 2:1 Weymouth New Testament

 「新しい王の誕生」

Weymouth New Testamentはマタイ2:1を「Now after the birth of Jesus, which took place at Bethlehem in Judaea in the reign of King Herod, excitement was produced in Jerusalem by the arrival of certain Magi from the east, さて、ヘロデ王の治世にユダヤのベツレヘムでのイエス·キリストの誕生の後、東からマギが到来し、エルサレムは興奮につつまれた」と訳す。

エルサレムを包んだ興奮には「新しい王の誕生」への期待と怯えが混ざっている。「よきおとずれ」が伝えられた者の内にも似たような「期待と怯え」がおこる。新しいことがはじまる期待であり、自己が揺すぶられることへの怯えである。

(心のデボーション01012)

† 心のデボーション 01013

「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」 新共同訳聖書

 「燈台もと暗し」

「燈台もと暗し」は「燈台人を照らし、己を照らさず」ともいうそうである。

「燈台は目立つところに立ちたがり」とでも言おうか。「燈台になる」のは難しい。

(心のデボーション01013)

† 心のデボーション 01014

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「神われらと共に在す」

神は天と地を創造された。神が在さない時と空間はなく、また、神の働きの及ばない時と空間もない。

人間は地のどこでも、どのような時でも、そこに神の在すことと、その愛の働きを知る。

「イエス答へ給ふ『わが父は今にいたるまで働き給ふ、我もまた働くなり』」 ヨハネ5:17 大正文語訳聖書

「我らは神の中に生き、動きまた在るなり」 使徒17:28 大正文語訳聖書

(心のデボーション01014)

† 心のデボーション 01015

「眞理をいふ口唇は何時までも存つ されど虚偽をいふ舌はただ瞬息のあひだのみなり」 箴言12:19 明治元訳聖書

「真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである」 口語訳聖書

 「白い嘘・黒い嘘」

嘘には白と黒がある。「白い嘘」は「それ自身は偽りではないが、信じることの重大な部分を省いている嘘」で、「黒い嘘」は「偽りと知りながらつく嘘」である。黒い嘘が罪意識をともなうのに対して、白い嘘は罪意識が薄く、その分、人を深く傷つけるとこがある。

医師が末期の癌患者に告知をしないのは「白い嘘」だろうか。それとも「黒い嘘」だろうか。あるいは「嘘」というべきものでもないのだろうか。

(心のデボーション01015)

† 心のデボーション 01016

「さとき訓と公義と公平と正直とをえしめ」 箴言1:3 明治元訳聖書

「思慮深い教育を受けて、正義と公正と公平とを体得するためのものであり」 フランシスコ会訳聖書

 「正義と公正と公平」

人の心には「良心」があり、正しく自己を保とうとする。しかし、箴言はすべての人間の従うべき「広義」の存在を語る。「正義と公正と公平」であり、それらは個人としての私の「体得」し、自己を規定すべき「人間の義」である。「箴言」は生きるための知恵をこえて、人間とはなにかに応答する神のことばである。

(心のデボーション01016)

† 心のデボーション 01017

「いかにして擄掠となれるや」 エレミヤ2:14 明治元訳聖書

「なぜ捕われの身となったのか」 口語訳聖書

 「インターネットゲーム障害」

米国アイオワ州立大学の心理学者ダグラス・ジェンティール氏は米国でビデオゲームをしている子どもの約8.5%が中毒になっているとの研究結果を発表した。

ジェンティール氏によると、人がビデオゲーム中毒に陥るのは、ビデオゲームが人間の持つ3つの欲求を満たしてくれるからだと指摘する。3つの欲求とは「autonomy自律への欲求、brlonhing他の人々とつながっていたいという欲求、competnceうまくなりたいという欲求」である。

(心のデボーション01017)

† 心のデボーション 01018

「死し蝿は和香者の膏を臭くしこれを腐らす 少許の愚癡は智慧と尊榮よりも重し」 伝道10:1 明治元訳聖書

「死んだはえは、香料を造る者のあぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵と誉よりも重い」 口語訳聖書

 「愚痴」

愚痴とは「自分を他人に見せる」ことで、「私の話を聞いてほしい、でも意見はしないで」というメタメッセージを含んでいるという。語られている事柄よりも、そう話さずにいられない気持ちを聞く必要がある。愚痴を軽く聞き流すと思わぬ逆襲にあう。

(心のデボーション01018)

† 心のデボーション 01019

「人もし罪を犯しヱホバの誡命の爲べからざる者の一を爲すことあらば假令これを知ざるも尚罪ありその罪を任べきなり」 レビ5:17 明治元訳聖書

「人もし罪を犯しヱホバの誡命の爲べからざる者の一を爲すことあらば假令これを知ざるも尚罪ありその罪を任べきなり」 口語訳聖書

 「誤って犯した過失」

イソップのカエルは、川で石を投げて遊ぶ子どもに、「あんたがたにとっての遊びは、私にとっては死なのだ」と抗議する。ねらって投げる石よりも、悪意のない無邪気さから飛んでくる石の方がよく当たる。

レビ記は「誤って犯した過失」にも、祭司の所に行き、告白と罪の償いをするように定める。

そこにいたのが悪いなどと言い訳する人ほど、いざ自分が石に当たると、悪意をもって打たれたと今度は大騒ぎだ。

(心のデボーション01019)

† 心のデボーション 01020

「イエスはヘロデ王の時」 マタイ2:1 大正文語訳聖書

「ヘロデ王の日に」 永井直治訳聖書

 「ヘロデ王の日に」

東の博士たちのおとずれは「ヘロデ王の日」に新たな頁を加えることになった。新しい人の訪れによって歴史は動く。

(心のデボーション01020)

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