心のデボーション346

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心のデボーション3451

「答へて言ひ給ふ『良き種を播く者は人の子なり、』」 マタイ13:37  大正文語訳聖書

「イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。」 口語訳聖書

 「良い種」

「良い種ὁ σπείρων τὸ καλὸν」は人の子(イエス)によって蒔かれる。漢訳聖書は「美種」と訳し、明治元訳聖書は「美種を播者」として「よきたね」と読ませる。(マタイ13:37) 「よい」はκαλόςで、「見事な、美しい、うるわしい」の意もある。よき種は「美しく、うるわしい実」を結ぶ種である。

(心のデボーション3451)

心のデボーション3452

「其日に我イスラエルにおいて墓地をゴグに與へん是往來の人の谷にして海の東にあり是往來の人を礙げん其處に人ゴグとその群衆を埋めこれをゴグの群衆の谷となづけん」 エゼキエル37:11  明治元訳聖書

「そこで彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う、『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と。」 口語訳聖書

 「私の望み」

イギリスのダヴィストックの人間関係研究所の調査によると、初老の男性は妻の死後六ヵ月以内の死亡率が異常に高いそうである。エゼキエルが主の霊によって谷で見たのは、望みが消え失せ、交わりから絶ち切られて干からびた骨の山だった。希望を失い、交わりが絶ち切られると、体は生きる力をそこない病むのかもしれない。詩人は「私の望み、それはあなたです」と神に告白する。(詩篇39:7)

(心のデボーション3452)

心のデボーション3453

「我が子よ汝もし我が言をうけ 我が誡命を汝のこころに蔵め」 箴言2:1 明治元訳聖書

「わが子よ、もしあなたが/わたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、」 口語訳聖書

 「心におさめ」

神のことばを「あなたの心におさめ」。(箴言2:1) 「おさめ‎צפן」は、明治元訳聖書「蔵め」、新改訳聖書「うちにたくわえ」、聖書協会共同訳聖書「あなたの内に納め」と訳される。「おさめ‎צפן」は「隠す、蓄える」の意である。LXXκρύπτωは「覆う、隠す、埋める」の意である。神のことばは「心にとめ(埋め込み)、耳を傾け、目から離さず、心のうちに保て」(箴言4:20-21)

(心のデボーション3453)

心のデボーション3454

「ヱホバはなやむものの辛苦をかろしめ棄たまはず これに聖顔をおほふことなくしてその叫ぶときにききたまへばなり」 詩篇22:24  明治元訳聖書

「主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれにみ顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。」 口語訳聖書

 「夏の雑草」

神は悩む人をさげすむことも、いとうことも、御顔を隠されることもされない。悩みは夏の雑草のようにたくましく、なくせるものではない。きれいに抜いても、風が種をたっぷり運んでくる。ただ、手入れはすべきで、雑草のはびこる畑ほど始末の悪いものはない。「さげすまず、いとわず、顔をそむけない」というのが、悩みをのさばらせない秘訣であろう。

(心のデボーション3454)

心のデボーション3455

「智慧をえ聰明をえよ これを忘るるなかれ また我が口の言に身をそむくるなかれ」 箴言4:5  明治元訳聖書

「それを忘れることなく、またわが口の言葉にそむいてはならない、知恵を得よ、悟りを得よ。」 口語訳聖書

 「身を背ける」

神のことばに「そむいてはならない」。明治元訳聖書「身をそむくるなかれ」、新改訳聖書「ことばからそれてはならない」、バルバロ訳聖書「私の口のことばを遠ざけるな」。「身をそむける‎נטה」は「押しのける、捻じ曲げる」の意。LXXἐπιλανθάνομαι は「忘れる、見落とす」の意である。(箴言4:5)
(心のデボーション3455)

心のデボーション3456

「わがたましひは渇けるごとくに神をしたふ 活神をぞしたふ 何れのときにか我ゆきて神のみまへにいでん」 詩篇42:2  明治元訳聖書

「わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。」 口語訳聖書

 「活ける神」

一人の樵がいた。彼は仕事の合間に、「手ごろな木を切り倒し、手際よくその皮をみなはぎ取り、巧みに細工し、日常の生活に役立つ器をつくり、木材の残りは燃やして料理し、さらに使い道のない枝で一つの像を作り、これに祈り、語りかけた。(旧約聖書外典知恵の書13:11-19) しかし、人の手になる「神」に頼んだところで何になろうか? 魂が慕うのは人の手によらない活ける神である。

(心のデボーション3456)

心のデボーション3457

「古への諺にいふごとく惡は惡人よりいづされどわが手は汝にくはへざるべし」 Ⅰサムエル24:13  明治元訳聖書

「昔から、ことわざに言っているように、『悪は悪人から出る』。しかし、わたしはあなたに手をくだすことをしないでしょう。」  口語訳聖書

 「悪意はないのだけれど」

ダビデは「悪は悪者から出る」という古いことわざを引用する。しかし、安心するわけにはいかない。悪は善人からも出るからである。「悪意はないのだけれど」というのがそれである。悪意がない分、堂々とまかり通るところがある。どうやら人は心の深いところで悪とつながっている。悪と戦うことは、悪をどう生きるかということでもあるようだ。そこで人は神と出会わなければならないのである。

(心のデボーション3457)

心のデボーション3458

「智慧をすつることなかれ彼なんぢを守らん 彼を愛せよ彼なんぢを保たん」 箴言4:6  明治元訳聖書

「知恵を捨てるな、それはあなたを守る。それを愛せよ、それはあなたを保つ。」 口語訳聖書

 「知恵を捨てるな」

「知恵を捨てる(‎עזב 捨てる、離れる LXX ἐγκαταλείπω 放棄する、見放す)な」 、「それはあなたを守る(שׁמר 守る、見守る LXX ἀντέχομαι かたく結びつく、心にかける)」。「それを愛せよ(‎אהב 愛する LXX ἐράω 恋焦がれる)、それはあなたを保つ(נצר 守る LXXτηρέω 見張る、番をする、見守る)。(箴言4:6)

(心のデボーション3458)

心のデボーション3459

「汝らは地の鹽なり、鹽もし效力を失はば、何をもてか之に鹽すべき。後は用なし、外にすてられて人に蹈まるるのみ」 マタイ5:13 大正文語訳聖書

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」 口語訳聖書

 「地の塩運動」

以前、国鉄の駅に「地の塩の箱」が見かけられた。昭和31年、詩人の江口榛一(しんいち)が第一号を設置したもので、手作りの黄色いペンキが塗られた小鳥の巣箱のような箱で、手書きで「何らかの事情で少額の金にお困りのかたは自由にこの中の金をお使いください」とあり、下に趣意書を入れる箱がついていた。フタをあけるとなにがしかの現金があり、使った人はあとで自由に補充しておけばよかった。クリスチャンの江口榛一がはじめた「地の塩運動」だった。箱は多い時で731個まで増えた。

江口榛一は毎日いくらかの金を入れに電車に乗ることを自らに課した。しかし、定職をもたない江口榛一が運動を維持するのは難しく、家族は困難な生活を強いられ、ついに昭和59年4月江口榛一は首を吊って自殺した。

「地の塩運動」は江口榛一の娘江口木綿子が守ったが箱は3個に減り、最後の一つは新京成前原駅に平成20年まであったが、それも撤去さ、今はない。

この運動がたどった道は平坦なものではなかった。しかし、江口榛一はマタイ5:13のイエスの言葉からこの運動を起こしたことだけは間違いない。

(心のデボーション3459)

心のデボーション3460

「明哲はこれを持つものに生命の泉となる 愚なる者をいましむる者はおのれの痴是なり」 箴言16:22  明治元訳聖書

「知恵はこれを持つ者に命の泉となる、しかし、愚かさは愚かな者の受ける懲らしめである。」 口語訳聖書

 「命の泉」

「知恵を熱望するならば、/主の掟を守り通すがよい。主は知恵を豊かに与えてくださる。ἐπιθυμήσας σοφίαν διατήρησον ἐντολάς, καὶ κύριος χορηγήσει σοι αὐτήν. 」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:26 新共同訳聖書)。「守り通すδιατηρέω」は「大事に保管する」の意。「知恵を熱望する者」は知恵を魂に「大事に保管する(持ち続ける)」。

(心のデボーション3460)

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