心のデボーション343

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心のデボーション3421

「イエス言ひ給ふ『まことに誠に汝らに告ぐ、アブラハムの生れいでぬ前より我は在るなり』」 ヨハネ8:58  大正文語訳聖書

「イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。」 口語訳聖書

 「主イエス・キリスト」

主イエスは、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない」(ヨハネ8:33口語訳聖書)と誇るユダヤ人に、「アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」(ヨハネ8:58口語訳聖書)と答えられる。いかなる優れた信仰の指導者に導かれたとしても、「われにかの指導者あり」と誇ってはならない。信仰の父アブラハム以前に主イエスはおられる。「主」と呼ばれるのはイエスのみである。

(心のデボーション3421)

心のデボーション3422

「もろもろのたみの諸族よ榮光とちからとをヱホバにあたへよヱホバにあたへよ」 Ⅰ歴代16:28  明治元訳聖書

「もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。」 口語訳聖書

 「動物的な力」

心理学者ユングはフロイトから離れたとき、全く方向を見失い「宙ぶらり」になっている自分を感じる。そこで、一人ボリンゲンの湖畔で石を集め、塔や家をつくりながら、宙ぶらりんの自分と格闘する。後にユングはこの時のことについて「この嵐に私が耐え抜けるかどうかは、動物的とでもいうべき力の問題であった」と語っている。(「ユングの自伝」) 人生後半の試練には「動物的な力」の有無が問われるのかもしれない。

(心のデボーション3422)

心のデボーション3423

「我らは見しこと聽きしことを語らざるを得ず」 使徒4:20  大正文語訳聖書

「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」 口語訳聖書

 「見たこと聞いたこと」

「自分の見たこと聞いたことἃ εἴδαμεν καὶ ἠκούσαμεν」を、正確に語る者でありたい。語る者になろうとしなくてもよい。「見たこと聞いたことἃ εἴδαμεν καὶ ἠκούσαμεν」自身が私の内にあって、実に雄弁に語り始めるのだからである。生きた経験だけが生きた言葉になる。

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」ヨハネ1:14口語訳聖書

(心のデボーション3423)

心のデボーション3424

「幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。」 マタイ5:9  大正文語訳聖書

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」 口語訳聖書

 「平和をつくる」

「おかあさん はるかは とてもきもちいいです。だって パパもたのしくなったみたいだし だから はるかも たのしくなったんだしすーごく ほめてくれるし あー よかった。」(「はるか 6才」より)

「平和をつくる者」とは、自らが平和の原因になろうとする人のことである。子どもは、自分が平和の原因になろうとするだけでなく、人をそうふるまうようにさせてくれる不思議な存在である。

(心のデボーション3424)

心のデボーション3425

「彼は血に染みたる衣を纏へり、その名は「神の言」と稱ふ。」 黙示19:13  大正文語訳聖書

「彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。」 口語訳聖書

 「血染めの衣」

黙示録の主イエスは白い馬に乗り、その目は燃える炎、頭には多くの王冠があり、「血染めの衣」を纏い、その名は「神の言」と呼ばれた。(黙示19:13) そのイエスを「真っ白な、きよい麻布の衣」を纏った天の軍勢が従った。(黙示録19:11-14)「神の言」は「血染めの衣」を纏うお方のことばである。

(心のデボーション3425)

心のデボーション3426

「その證はこれなり、神は永遠の生命を我らに賜へり、この生命はその子にあり。」 Ⅰヨハネ5:11  大正文語訳聖書

「そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。」 口語訳聖書

 「永遠のいのち」

「永遠のいのちζωὴν αἰώνιον」は、「御子のうちにあるいのちἡ ζωὴ ἐν τῶ υἱῶ αὐτοῦ ἐστιν」、すなわち主イエスの十字架と復活のいのちである。(Ⅰヨハネ5:11)

(心のデボーション3426)

心のデボーション3427

「かれら野にてあれはてたる路にさまよひその住ふべき邑にあはざりき」 詩篇107:4  明治元訳聖書

「彼らは人なき荒野にさまよい、住むべき町にいたる道を見いださなかった。」 口語訳聖書

 「機能不全」

仕事熱心で有能な父親、良妻賢母型の母親、そして、親孝行ないい子。誰にも問題がないのに、うまく機能しない家族がある。自分が安心して生きられる感じがなく、一つ屋根の下にいるのが息苦しい。家を出れば、どんなに自由かと思ってもそれはできない。家から離れればもっと苦しい孤独が待っているかもしれないからである。生きにくいというのは、どう生きたらいいかがわからないのである。本当の自分が生きられれば、家は機能しはじめる。

(心のデボーション3427)

心のデボーション3428

「また神の子すでに來りて我らに眞の者を知る知識を賜ひしを我らは知る。而して我らは眞の者に居り、その子イエス・キリストに居るなり、彼は眞の神にして永遠の生命なり」 Ⅰヨハネ5:20  大正文語訳聖書

「さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。」 口語訳聖書

 「真実なかた」

「真実なかたτὸν ἀληθινόν〔神〕」を知る知力を人に授けてくださるのはイエス・キリストである。イエス・キリストは「真実な神であり、永遠のいのちοὖτός ἐστιν ὁ ἀληθινὸς θεὸς καὶ ζωὴ αἰώνιος」であるからである。イエス・キリストは「真実なかたτὸν ἀληθινόν〔神〕」である。(Ⅰヨハネ5:20)

(心のデボーション3428)

心のデボーション3429

「喜びよろこべ、天にて汝らの報は大なり。汝等より前にありし預言者たちをも、斯く責めたりき」 マタイ5:12 大正文語訳聖書

「喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 口語訳聖書

 「大いなる喜び」

迫害のおこるときにも、キリスト者には「大いなる喜びἀγαλλιάω」がある。迫害への「労賃」を神はお忘れではない。(マタイ5:12)

(心のデボーション3429)

心のデボーション3430

「彼らは門にありて勸戒る者を惡み正直を言ふ者を忌嫌ふ」 アモス5:10  明治元訳聖書

「彼らは門にいて戒める者を憎み、真実を語る者を忌みきらう。」 口語訳聖書

 「忌み嫌われる」

「知恵の宝庫には、賢い喩えが納められている。しかし、罪人にとって、信心は忌むべきもの。」 旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:25  フランシスコ会訳聖書

「知恵の宝庫には、賢い喩えが納められている」、しかし「神を否定する人々」には、「信心θεοσέβεια(敬神)」は忌むべきものである。知恵の宝庫も忌み嫌われる。(アモス5:10)

(心のデボーション3430)

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