心のデボーション342

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心のデボーション3411

「神むかしは預言者等により、多くに分ち、多くの方法をもて先祖たちに語り給ひしが、」 へブル1:1  大正文語訳聖書

「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、」 口語訳聖書

 「幾度にも幾様にも」

神は昔、「預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られた」。(へブル1:1口語訳聖書)「いろいろな時に、いろいろな方法でπολυμερῶς καὶ πολυτρόπως」をラゲ訳聖書は「幾度にも幾様にも」と訳す。「いろいろな時πολυμερῶς」は「多くの部分にわけて、多くの形で」、「いろいろな方法πολυτρόπως」は「多様に、様々に」の意。神は「幾度にも幾様にも」語られる。

(心のデボーション3411)

心のデボーション3412

「彼等はみな信仰を懷きて死にたり、未だ約束の物を受けざりしが、遙にこれを見て迎へ、地にては旅人また寓れる者なるを言ひあらはせり」 へブル11:13  大正文語訳聖書

「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」 口語訳聖書

 「十年先の生」

九十才になる老彫刻家が木を乾かしながら「十年ほどしたら、すごくいい木になる」といった。この人は九十才になっても、まだ十年先の生をもっているのである。「はるかにそれを見て喜ぶ」人は、今自分が何をなすべきかに迷いがない。今はまだノミを当てられない生の木に、完成した塑像を見ている。「約束のもの」は「すでに受けた」という信仰の深みに導かれて、はじめて生は喜びとなる。

(心のデボーション3412)

心のデボーション3413

「なんぢらメリバに在りしときのごとく 野なるマサにありし日の如く その心をかたくなにするなかれ」 詩篇95:8  明治元訳聖書

「あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。」 口語訳聖書

 「心をかたくなにする」

「心をかたくなにするなμὴ σκληρύνητε τὰς καρδίας ὑμῶν」。(詩篇95:8) 「かたくなσκληρύνω」は「頑固、強情」の意。自らをかたくなにする者の心を神はかたくなにされる。(ロマ9:18)

(心のデボーション3413)

心のデボーション3414

「なんぢら知らぬか、馳場を走る者はみな走れども、褒美を得る者の、ただ一人なるを。汝らも得んために斯く走れ。」 Ⅰコリント9:24  大正文語訳聖書

「あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。」 口語訳聖書

 「やせ我慢」

今、欲しいものがある。もう長いこと考えている。しかし、ちょっとした困難がおこると、それを手に入れるのはこの問題を解決してからにしようと思う。不思議なことに、欲しいものが手に入らないことが少しも残念でなく、先に伸ばすことがどこか嬉しくも感じる。頑張った自分へのごほうびは、今すぐ受け取らないほうが満足も深くなるということだろうか? ただのやせ我慢かもしれない。

(心のデボーション3414)

心のデボーション3415

「ああ神よわがために清心をつくり わが衷になほき霊をあらたにおこしたまへ」 詩篇51:10  明治元訳聖書

「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」 口語訳聖書

 「正しい霊」

詩人は神に「わが衷になほき霊をあらたにおこしたまへ」と祈る。「新しく確かな霊」を私の心に「創造してください」と願う。「霊」もまた神によって常に創り与えられる。あらゆる祝福がそれに伴う。

(心のデボーション3415)

心のデボーション3416

「父たちよ、我この書を汝らに贈るは、汝ら太初より在す者を知りたるに因る。若き者よ、我この書を汝らに贈るは、なんぢら惡しき者に勝ちたるに因る。子供よ、我この書を汝らに贈りたるは、汝ら御父を知りたるに因る。」 Ⅰヨハネ2:13  大正文語訳聖書

「父たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからである。」 口語訳聖書

 「初めからいますかた」

勝利は「初めからいますかたを知るἐγνώκατε τὸν ἀπ᾽ ἀρχῆς」ことに始まる。神は、すべてのことに先立って、物事の根源としてそこに在ます。

「主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。」 詩篇90:1,2  口語訳聖書
(心のデボーション3416)

心のデボーション3417

「然るに、かの名ある者どもより――彼らは如何なる人なるにもせよ、我には關係なし、神は人の外面を取り給はず――實にかの名ある者どもは我に何をも加へず、」 ガラテヤ2:6  大正文語訳聖書

「そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。」 口語訳聖書

 「分け隔て」

「神は人を分け隔てなさらないπρόσωπον [ὁ] θεὸς ἀνθρώπου οὐ λαμβάνει」は直訳で「神は人の顔を受けとらない」である。「分け隔て」には、「顔」の問題が深くかかわる。しかし、それを「しょせん顔の問題に過ぎない」と考えると差別は永久になくならない。それが問題とするのは「顔」ではなく、「心」だからである。この問題に対して聖書はただ、「神は人を分け隔てなさいません」と告げる。信仰の問題なのである。

(心のデボーション3417)

心のデボーション3418

「ベテレヘム、エフラタ汝はユダの郡中にて小き者なり 然れどもイスラエルの君となる者汝の中より我ために出べし その出る事は古昔より永遠の日よりなり」 ミカ5:2  明治元訳聖書

「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」 口語訳聖書

 「ユダの地、ベツレヘム」

「ユダの地ベツレヘム・エフラタ」は「ユダの氏族のうちで小さい者ὀλιγοστὸς」と呼ばれて軽く見られた。ὀλιγοστὸςは「ほんの僅かな、とるに足りない、小さいものの中でさらに小さい」の意である。しかし、「ὀλιγοστὸςのベツレヘム」に主イエスは誕生された。(マタイ2:1-6)「小さい者ὀλιγοστὸς」を嘆くな。主は「小さい者ὀλιγοστὸς」に偉大なことをなされる。

(心のデボーション3418)

心のデボーション3419

「喜びよろこべ、天にて汝らの報は大なり。汝等より前にありし預言者たちをも、斯く責めたりき」 マタイ5:12 大正文語訳聖書

「喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 口語訳聖書

 「出来事のうちに働く神」

ユダヤ人は「見えるもの」に神を見出す。「出来事のうちに働く神」こそがすべてである。ニーチェは『偶像の黄昏』にフローベルの「腰を掛けないでいると、考えることも書くこともできないものです」を「じっと座っている根気は、ほかでもない、聖霊にそむく罪である」と退け、「歩きながら獲得した思想にだけ価値があるのだ」と結ぶ。しかし、「腰を掛けて考える」ことを軽視すまい。それがなければ「歩きながら獲得する思想」も来ない。「腰を掛けたまま、一歩も歩こうとしない」のが問題なのだ。

(心のデボーション3419)

心のデボーション3420

「惡人はその面を厚くし 義者はその道を謹む」 箴言21:29  明治元訳聖書

「悪しき者はあつかましくし、正しい人はその道をつつしむ。」 口語訳聖書

 「時の到るまで」

「彼は時の到るまでその語を隱し、多くの人の口その悟を明かにせん。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:24 聖公会訳聖書)智慧ある人は、語るべき時がくるまで、口をつつしむ。人々はその「思慮深さ」に神を敬う。彼はまことに神の人である。

(心のデボーション3420)

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