心のデボーション341

デボーション1
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心のデボーション3401

「キリスト・イエスの囚人たるパウロ及び兄弟テモテ、書を我らが愛する同勞者ピレモン」 ピレモン1:1  大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者ピレモン、」 口語訳聖書

 「イエス・キリストの囚人」

パウロは好んで「キリスト・イエスの囚人パウロπαῦλος δέσμιος χριστοῦ ἰησοῦ」と名乗った。(ピレモン1:1,9  エペソ3:1; 4:1) 「囚人δέσμιος」は「縛る、鎖につなぐ」の意。「鎖でイエス・キリストに繋がれた囚人」というのである。「だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。」(Ⅰテモテ1:8 口語訳聖書)

(心のデボーション3401)

心のデボーション3402

「ヱホバとその能力とをたづねよ恒にその聖顔をたづねよ」 Ⅰ歴代16:11  明治元訳聖書

「主とそのみ力とを求めよ。つねにそのみ顔をたずねよ。」 口語訳聖書

 「思い起こす」

いやなことは思い出すたびに、ますます、いやになる。記憶は思い起こされるたびに、その内容が強化されるようだ。それならば、恵みも思い起こすことによって、深化されるのではないか。ダビデは主の恵みを「呼び求め、人に知らせ、歌い、思いを潜め、誇り、喜び、尋ね、慕い求めよ」と命じる。恵みが思い起こされるたびに、いやな体験は忘れられていくかもしれない。

(心のデボーション3402)

心のデボーション3403

「そはキリストの苦難われらに溢るる如く、我らの慰安も亦キリストによりて溢るればなり」 Ⅱコリント1:5  大正文語訳聖書

「それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。」 口語訳聖書

 「多すぎて有り余る」

「満ちあふれるπερισσεύω」は「有り余る」、「多すぎて余る」の意である。「キリストの苦難」は「多すぎて有り余るπερισσεύω」が、「受ける恵み」も「多すぎて有り余るπερισσεύω」。(ロマ5:20 Ⅱコリント1:5)

(心のデボーション3403)

心のデボーション3404

「非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず、」 Ⅰコリント13:5  大正文語訳聖書

「不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」 口語訳聖書

 「愛の不安」

相手から求められればどんな事でもできるのに、相手に「どうしてほしいの?」と聞かれると途方に暮れてしまうことがある。あてにされなくなった自分など何の価値もなく、そんな自分は見捨てられるのではないかという不安があって、相手に尽くすことしか考えられないのかもしれない。愛は自分の「利益」など考えない。ただ、自分が自分自身としてあり、相手が相手としてあることをなによりも喜ぶ。

(心のデボーション3404)

心のデボーション3405

「こころよき言は蜂蜜のごとくにして 霊魂に甘く骨に良薬となる」 箴言16:24  明治元訳聖書

「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。」 口語訳聖書

 「心地よい言葉」

「心地よい言葉」は蜜のように「魂に甘く、からだを健やかにする」。「ここちよい言葉」とはただの「甘い言葉」ではなく「親切なことば」(新共同訳聖書他)の意である。それは魂を喜ばせ、体(骨)を強くする。

(心のデボーション3405)

心のデボーション3406

「人これによりて箴言と譬喩と智慧ある者の言とその隠語とを悟らん」 箴言1:6  明治元訳聖書

「人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。」 口語訳聖書

 「隠語」

知恵は「譬喩と智慧ある者の言とその隠語」を悟る。「隠語חִידָה」は「謎、難問」で「解くことを求められるもの、隠れた秘密の知恵」の意である。LXXσκοτεινὸν λόγονは「隠された(秘密の)言葉」。(箴言1:6)

(心のデボーション3406)

心のデボーション3407

「すでにかれをすてたりわが視るところは人に異なり人は外の貌(かたち)を見ヱホバは心をみるなり」 Ⅰサムエル16:7 明治元訳聖書

「しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。」 口語訳聖書 

 「異常なおしゃべり」

友人とのおしゃべりは楽しいものである。しかし、相手に一言も発言させず、憑かれたようにしゃべりまくるのは少々問題である。それは能弁というよりも、心のどこかに不安があって、必死になってしゃべり続けないと自分が消えてしまうかのような恐怖心を感じているのかもしれない。強迫的なおしゃべりの底にある不安や寂しさに聞くことである。人が神の前で沈黙できるのはそのようなときである。

(心のデボーション3407)

心のデボーション3408

「讃べきかなヱホバは堅固なる城のなかにて奇しまるるばかりの仁慈をわれに顯したまへり」 詩篇31:21  明治元訳聖書

「主はほむべきかな、包囲された町のようにわたしが囲まれたとき、主は驚くばかりに、いつくしみをわたしに示された。」 口語訳聖書

 「驚くばかりの恵み」

主は堅固な城の中に私を匿い、「奇(あや)しまるるばかりの仁慈」をあらわされる。主の慈しみは常に「驚くばかりの(あやしいまでの)不思議」である。

(心のデボーション3408)

心のデボーション3409

「我がために、人なんぢらを罵り、また責め、詐りて各樣の惡しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。」 マタイ5:11  大正文語訳聖書

「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。」 口語訳聖書

 「反対者」

どの信仰にも反対者はいる。反対者のいない信仰には賛成者もいない。反対者をどう位置づけるかによってその信仰の真偽が問われる。

(心のデボーション3409)

心のデボーション3410

「わが霊魂はつねに危険ををかす されど我なんぢの法をわすれず」 詩篇119:109  明治元訳聖書

「わたしのいのちは常に危険にさらされています。しかし、わたしはあなたのおきてを忘れません。」 口語訳聖書

 「霊魂の危うさ」

詩人は「わが霊魂(ψυχήLXX)はつねに危険ををかす」と告白するが、すべての「霊魂はつねに危険ををかす」と知るべきである。霊魂にその危険があるなら理性は言わずもがなであろう。それゆえに人は神のみことば(おきて)を忘れる(離れる)ことはできないのである。(詩篇119:109)

(心のデボーション3410)

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