心のデボーション340

デボーション1
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心のデボーション3391

「温かき口唇をもちて惡き心あるは銀の滓をきせたる瓦片のごとし」 箴言26:23  明治元訳聖書

「くちびるはなめらかであっても、心の悪いのは/上ぐすりをかけた土の器のようだ。」 口語訳聖書

 「温かき唇」

「温かき口唇」。新改訳聖書は「燃える唇」と訳す。「燃える、熱い」は「なめらかな」の意である。「心の悪しき者」の「なめらかな唇」は「上ぐすりをかけた土の器」のようで、うわべは美しいが、体裁のよいことばで身を飾るにすぎない。

(心のデボーション3391)

心のデボーション3392

「シオンの女よ歡喜の聲を擧よ イスラエルよ樂み呼はれ エルサレムの女よ心のかぎり喜び樂め」 ゼパニヤ3:14  明治元訳聖書

「シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。」 口語訳聖書

 「成長した娘」

父親にとって成長した娘のあつかいには少々戸惑いを感じるものだ。会社では女性社員と上手にやれるのに、娘となるとうまくいかない。そこで、若い女性にモテそうな、いかにも軽いテレビの某俳優をまねたりすると、ろこつに嫌われる。娘との間に会社や世間での顔を持ち込まないことだ。娘は一人の人間としての父親に出会いたいのである。そのところがわかれば、娘とのやりとりは結構楽しいものになるだろう。

(心のデボーション3392)

心のデボーション3393

「それ神の言には能はぬ所なし」 ルカ1:37  大正文語訳聖書

「神には、なんでもできないことはありません」 口語訳聖書

 「御言葉に」

「神には、なんでもできないことはありませんὅτι οὐκ ἀδυνατήσει παρὰ τοῦ θεοῦ πᾶν ῥῆμα.」。永井直治訳聖書「そは神に添はばすべての詞、能はざることなければなり」。神のすべての御言葉に為し能わぬところはない。

(心のデボーション3393)

心のデボーション3394

「人の心は尚其疾を忍ぶべし されど心の傷める時は誰かこれに耐んや」 箴言18:14  明治元訳聖書

「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。」 口語訳聖書

 「自己嫌悪」

自己嫌悪という感情はひどく心を傷つける。自分のすべてが卑しく、醜いものに見え、心はひしがれる。嫌悪すべきものを否定してはいけない。それも又自分であると認め、他人に隠さないこと。惨めさを一緒に味わい、耐えてくれる人こそが友である。本当に嫌悪すべきは、ありのままの自分を隠そうとする心の貧しさである。人は心の友を失うと、自己嫌悪の罠に堕ちやすくなる。

(心のデボーション3394)

心のデボーション3395

「幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり」 マタイ5:10 大正文語訳聖書

「義のために迫害される人は幸いである、天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

「福なるかな義の為に迫害を忍ぶ人、天國は彼等の有なればなり」 ラゲ訳聖書

 「迫害を忍ぶ人」

「義のために責められたる者οἱ δεδιωγμένοι ἕνεκεν δικαιοσύνης」。ラゲ訳聖書は「義の為に迫害を忍ぶ人」と訳す。「忍」という漢字は「刃」+「心」で、「ねばりつよく鍛えられた刀の刃のような心」の意味である。その心はねばりつよく、折れない。

(心のデボーション3395)

心のデボーション3396

「恒に畏るる人は幸福なり その心を剛愎にする者は災禍に陷るべし」 箴言28:14  明治元訳聖書

「常に主を恐れる人はさいわいである、心をかたくなにする者は災に陥る。μακάριος ἀνήρ ὃς καταπτήσσει πάντα δι᾽ εὐλάβειαν ὁ δὲ σκληρὸς τὴν καρδίαν ἐμπεσεῖται κακοῖς」 口語訳聖書

 「主を畏れる」

「恐れる人ἀνήρ ὃς καταπτήσσει」は「身をかがめる人、うずくまる人」の意。口語訳聖書は「主」を加え、「常に主を恐れる人」と訳す。「常に〔主への〕畏れを抱く人(主に身をかがめ、うずくまる)は幸い」である。その人は神を見る。(箴言28:14)

(心のデボーション3396)

心のデボーション3397

「其時モーセはヨセフの骨を携ふ是はヨセフ神かならず汝らを眷みたまふべければ汝らわが骨を此より携へ出づべしといひてイスラエルの子孫を固く誓せたればなり」 出エジプト13:19  明治元訳聖書

「そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。」 口語訳聖書

 「神の訪問」

「神は必ずあなたがたを顧みられる」は、直訳では「神は必ずあなたがたを訪れてくださる」となる。神はサラを「顧みて」約束されたとおりに男の子を授けられる。神は約束を果たすためにサラを「訪れて」くださったのである。私たちは「神よ、私に心をとめ、私を顧みてください」と祈る時、神に「私を訪れてください」と願うのである。祈りながら「神の訪問」を少しも期待していないのは、真の祈りではない。

(心のデボーション3397)

心のデボーション3398

「ヱホバかれに地の高處を乗とほらせ田園の產物を食はせ石の中より蜜を吸しめ磐の中より油を吸しめ」 申命32:13  明治元訳聖書

「主は彼に地の高き所を乗り通らせ、田畑の産物を食わせ、岩の中から蜜を吸わせ、堅い岩から油を吸わせ、」 口語訳聖書

 「ありえない所から」

主は「地の高き所」を通過する時にも「田畑の産物」を与え、「岩の中」から「蜜」を、「堅い岩」に「油」を備えられる。神の恵みはありえないところからやって来る。

(心のデボーション3398)

心のデボーション3399

「弱き者には弱き者となれり、これ弱き者を得んためなり。我すべての人には凡ての人の状に從へり、これ如何にもして幾許かの人を救はんためなり。」 Ⅰコリント9:22  大正文語訳聖書

「弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。」 口語訳聖書

 「対者同格」

パウロは相手がユダヤ人であれば自分もユダヤ人のごとくに、弱い人であれば自分も弱い人になろうとする。人の心を獲得するには、対者同格になる必要がある。自分より強い人に合わせるよりも、弱い人に対して自分も弱い者なる方がはるかに難しい。それには、自分の弱さと出会い、それを充分に受容する必要がある。人との出会いは、自分との出会である。

(心のデボーション3399)

心のデボーション3400

「心のうちの隱れたる人、すなはち柔和、恬靜なる靈の朽ちぬ物を飾とすべし、是こそは神の前にて價貴きものなれ。」 Ⅰペテロ3:4  大正文語訳聖書

「かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。」 口語訳聖書

 「修行」

「誰もがしなくてはならない修行でないものは、人の見る所でなすべきではない。全く私的の事はひそかに行う方が安全である」(トマス・アケンピス『キリストにならいて』より) 心の修業はその人の人格を深める。

(心のデボーション3400)

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