心のデボーション338

デボーション1
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心のデボーション3371

「神の子イエス、キリストの福音の始」 マルコ1:1 大正文語訳聖書

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」 口語訳聖書

 「福音の言葉」

イエスの福音を聞く者は、ただちに福音を語る者になる。「福音εὐαγγέλιον」そのものが言葉を生み出してくれる。私はただ、内から生まれる言葉をお伝えするにすぎない。

(心のデボーション3371)

心のデボーション3372

「ヱホバよわれを憐みたまへ われ萎みおとろふなり ヱホバよ我を醫したまへ わが骨わななきふるふ」 詩篇6:2  明治元訳聖書

「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。」 口語訳聖書

 「さらす」

自分をさらけ出す分だけ相手と親しくなれるという説がある。心を開くというのは、相手に自分の弱みをさらけ出すことだという。しかし心配なのは、さらけ出したものを相手がうけとってくれるかどうかである。相手にその力がないのに、むやみと自分をさらせば、親しくなるどころか二人とも崩れてしまいかねない。では、相手にどれほどの力があるかは、さらけ出してみるしかない。互いに傷ついたり、いやされたりしながら学ぶのである。

(心のデボーション3372)

心のデボーション3373

「神の僕またイエス・キリストの使徒パウロ――我が使徒となれるは、永遠の生命の望に基きて神の選民の信仰を堅うし、また彼らを敬虔にかなふ眞理を知る知識に至らしめん爲なり。」 テトス1:1 大正文語訳聖書

「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、」 口語訳聖書

 「敬虔な信仰」

「信心にかなう真理の知識(ἐπίγνωσιν ἀληθείας τῆς κατ᾽ εὐσέβειαν)を彼らに得させるため」。(テトス1:1  口語訳聖書) 「敬虔にふさわしい真理の知識」(新改訳聖書)、「信心に一致する真理の認識」(新共同訳聖書)、「敬虔にふさわしい真理の認識」(聖書協会共同訳聖書)、「信心にふさわしい真理の知識」(フランシスコ改訳聖書)。「真理の知識」は「敬虔な信仰」と深く結びついている。(テトス1:1)

(心のデボーション3373)

心のデボーション3374

「凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。」 Ⅰコリント13:7  大正文語訳聖書

「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 口語訳聖書

 「おおう」

愛はすべてを耐え忍ぶ。「耐え忍ぶστέγω」は「おおう」を意味する言葉である。人が失敗して攻撃される時、愛は口をおおって沈黙を守る。ただ語らないばかりでなく、相手に「おおいかぶさって」その人を隠す。その人の弱さをかばうよりも、弱さを含んだその人をそのまま抱える。「耐える力」がないのは、愛を我慢と誤解しているからかもしれない。愛はあきらめて我慢することではなく、相手の全存在に共に耐える力である。

(心のデボーション3374)

心のデボーション3375

「我らはバプテスマによりて彼とともに葬られ、その死に合せられたり。これキリスト父の榮光によりて死人の中より甦へらせられ給ひしごとく、我らも新しき生命に歩まんためなり。」 ロマ6:4  大正文語訳聖書

「すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」 口語訳聖書

 「霊的いのち」

「霊的いのち」とは、キリストの「新しいいのちに生きるκαινότητι ζωῆς」ことである。(ロマ6:4)「新しいいのち」とは「よみがえりのいのち」である。この祝福はイエスを信じる者すべてに等しく与えられる。

(心のデボーション3375)

心のデボーション3376

「天よきけ地よ耳をかたぶけよ ヱホバの語りたまふ言あり 曰く われ子をやしなひ育てしにかれらは我にそむけり」 イザヤ1:2  明治元訳聖書

「天よ、聞け、地よ、耳を傾けよ、主が次のように語られたから、「わたしは子を養い育てた、しかし彼らはわたしにそむいた。」 口語訳聖書

 「天よ、聞け、地よ、耳を傾けよ」

「天よ、聞け、地よ、耳を傾けよἄκουε οὐρανέ καὶ ἐνωτίζου γῆ」。「天」も「地」も神のことばに、聞き(ἀκούω聞き従い)、耳を傾けよ(ἐνωτίζομαι傾聴せよgive ear)。神の人も「わたしは子を養い育てた、しかし彼らはわたしにそむいた。」と言われる神のことばをわがこととして、耳を傾けなければならない。(イザヤ1:2)

(心のデボーション3376)

心のデボーション3377

「汝その隣人に對して虚妄の證據をたつるなかれ」 出エジプト20:17 明治元訳聖書

「あなたは隣人について、偽証してはならない。」 口語訳聖書

 「虚妄」

「偽証ψευδομαρτυρέω」は「嘘の証言をする」の意。明治元訳聖書は「虚妄の證據をたつる」と訳した。「虚妄」は「でたらめな証言」である。隣人に対して、根拠に欠けた中身のない虚言を申し立ててはならない。(出エジプト20:17)

(心のデボーション3377)

心のデボーション3378

「心の悖れる者はおのれの途に飽かん 善人もまた自己に飽かん」 箴言14:14  明治元訳聖書

「心のもとれる者はそのしわざの実を刈り取り、善良な人もまたその行いの実を刈り取る。」 口語訳聖書

 「心の悖れる者」

「こころのもとれる者τῶν ἑαυτοῦ ὁδῶν πλησθήσεταιLXX」は「自分の旅路に飽き足りた(満ち足りた)者」の意である。「心の悖れる者πλήθω」の「悖」は「理にさからう、そむく」の意である。自分にそむいた「歪んだ自己満足」の結ぶ実は「空しさ」である。その実による楽しみは一時の見せかけの満足にすぎない。(箴言14:14)

(心のデボーション3378)

心のデボーション3379

「幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん」 マタイ5:9 大正文語訳聖書

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」 新改訳聖書

 「平和の調停者」

「平和ならしむる者εἰρηνοποιός」はラテン語pacifici「平和をもたらす者、調停者」の意である。ラゲ訳「和睦せしむる人」、永井直治訳「平和を爲す者」。平和は自然に生じない。造り、生ぜしめる人の存在なくしてはもたらされない。「ああ美しきかな、善き事を告ぐる者の足よ」ロマ10:15 大正文語訳聖書

(心のデボーション3379)

心のデボーション3380

「事の全體の皈する所を聽べし 云く 神を畏れその誡命を守れ 是は諸の人の本分たり」 伝道12:13  明治元訳聖書

「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」 口語訳聖書

 「タンタロスの責め」

フランス語supplice de Tantale(タンタロスの責め)タは、目の前に欲しいものがあるのに与えられない、の意である。タンタロスは不死のいのちが与えられたが、犯した罪のために、沼の上に枝を伸ばす果樹に吊り下げられるという罰を受けた。喉の渇きに水は胸まであるのに飲もうとすると水が引いて川底まで乾き、果樹の実を食べようとすると風が吹いて枝を巻き上げてしまう。不死のいのちのためにタンタロスの苦しみは終わることがない。

(心のデボーション3380)

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