心のデボーション337

デボーション1
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心のデボーション3361

「神の子イエス、キリストの福音の始」 マルコ1:1 大正文語訳聖書

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」 口語訳聖書

 「嘉信」

「福音εὐαγγέλιον」は「εὔ  善い+ ἀγγέλιον < ἀγγέλλω 報告する、音信」で、「よきおとずれ、喜ばしい音信、うれしい知らせ、よろこばしい便り、嘉信」である。詳訳聖書は「イエス・キリストについてのすばらしい知らせ<福音>の〔諸事実の〕はじまり」と訳す。

福音は我らから多くのものを奪うであろう。しかし、たとえ全世界が私から去ったとしても、福音によって始まるいのちの素晴らしさに比べれば何ほどのこともない。(マルコ9:36; 10:29-30)

(心のデボーション3361)

心のデボーション3362

「心に喜樂あれば顔色よろこばし 心に憂苦あれば氣ふさぐ」 箴言15:13  明治元訳聖書

「心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ。」 口語訳聖書

 「否定的な感情」

ちよっと気分を害した時に鏡を見ると面白い発見がある。不機嫌な時の顔は、自分が想像する以上に暗いものである。怒りや悲しみなどの否定的な感情を心にためこむと、どうしても顔に出る。本人は気づかなくても、他人にはよくわかる。肯定的な感情を取り戻すには小さなことを喜ぶことだ。それが顔色をよくし、心のエネルギーを活発に流れさせる。自分が今どんな気分でいるか、時々鏡で確認するとよいかもしれない。

(心のデボーション3362)

心のデボーション3363

「神の僕またイエス・キリストの使徒パウロ――我が使徒となれるは、永遠の生命の望に基きて神の選民の信仰を堅うし、また彼らを敬虔にかなふ眞理を知る知識に至らしめん爲なり。」 テトス1:1 大正文語訳聖書

「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、」 口語訳聖書

 「信仰の支え」

「神に選ばれた者たちの信仰を強めκατὰ πίστιν ἐκλεκτῶν θεοῦ」。「信仰を強め」は「信仰を助け」(新共同訳聖書)、「信仰に導き」(フランシスコ改訳聖書)、「信仰を励ます<促進する>ため」(祥訳聖書)などの訳がある。漢訳聖書 新約全書美華書店1863年は「俾建神之選民之信」とし、信仰を「建てしめ」とする。パウロは人々の信仰を励まし、促進し、導き、建てしめる為に神の使徒と召された。信仰は多くの支えと祈りにより全うされる。(テトス1:1)

(心のデボーション3363)

心のデボーション3364

「銀を好む者は銀に飽こと無し 豊富ならんことを好む者は得るところ有らず 是また空なり」 伝道5:10  明治元訳聖書

「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。」 口語訳聖書

 「金銭を愛する人」

「金銭を愛する人ἀγαπῶν ἀργύριονLXX(銀を愛する者)伝道5:10」は、すべては金銭でかたがつくと考えるようだ。そして、金銭は所有すればするほど、不足を感じるのである。「金銭を愛する人」が金持ちとはかぎらない。貧しくても「金銭を愛する人」はいて、金持ちと同じくらい不足を感じている。多くの場合、不満は「貧しさ」からではなく「金銭を愛する」ことからくる。人生には金銭によらないゆとり(豊かさ)もある。それを見出すには、金銭でものごとの重みをはかるのを止めることである。

(心のデボーション3364)

心のデボーション3365

「汝の目は正く視 汝の眼瞼は汝の前を眞直に視るべし」 箴言4:25  明治元訳聖書

「あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。」 口語訳聖書

 「まっすぐ」

「まっすぐに正面を、あなたの前を、見よ」。(箴言4:25) 問題が発生したときは、ものごとを「まっすぐに」見ることだ。問題の正面をずらさないこと、自分の前に置かれていることから目をそらさないこと。そうすれば「道を踏み外す」危険から守られる。(箴言4:26,27)

(心のデボーション3365)

心のデボーション3366

「ニコデモ言ふ『人はや老いぬれば、爭で生るる事を得んや、再び母の胎に入りて生るることを得んや』」 ヨハネ3:4  大正文語訳聖書

「ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。」 口語訳聖書

 「はや老いぬれば」

人は、年を重ねたから老いるのではない。「はや老いぬればγέρων ὤν」と自ら呟くとき、老いは来たり、「いかで生まるることをえんや」と項垂れるのである。年若くても、「はや老いぬれば」と口にする者にしばしば出会う。(ヨハネ3:4)

(心のデボーション3366)

心のデボーション3367

「ヱホバかくいふ汝ら公道と公義を行ひ物を奪はるる人をその暴虐者の手より救ひ異邦人と孤子と嫠婦をなやまし虐ぐる勿れまた此處に無辜の血を流す勿れ」 エレミヤ22:3  明治元訳聖書

「主はこう言われる、公平と正義を行い、物を奪われた人を、しえたげる者の手から救い、異邦の人、孤児、寡婦を悩まし、しえたげてはならない。またこの所に、罪なき者の血を流してはならない。」 口語訳聖書

 「つつかれ順序」

ニワトリが仲間をつっつくのにもルールがあるそうである。つつかれ順序というものがあって、順位の高いものが低いものをつっつくという。いったん、その順位が決まると、めったなことでは崩れないそうである。しかし、ニワトリの世界では、それが嫌なら群れを離れればよいそうである。つつかれ順序はそれで無効になる。子どものいじめは、いつその順序が逆転するかもしれず、たとえ群れを離れても解放されないことが少なくない。いじめは自然が教えてくれる解決よりも、厄介である。

(心のデボーション3367)

心のデボーション3368

「救をほどこし給ふイスラエルの神よ まことに汝はかくれています神なり」 イザヤ45:15  明治元訳聖書

「イスラエルの神、救主よ、まことに、あなたはご自分を隠しておられる神である。σὺ γὰρ εἶ θεός καὶ οὐκ ᾔδειμεν ὁ θεὸς τοῦ Ισραηλ σωτήρLXX」 口語訳聖書

 「隠される神」

神は「自分を隠しておられる神εἶ θεός καὶ οὐκ ᾔδειμεν」である。(イザヤ45:15 口語訳聖書) 「救い」も神の内に隠され、人はそのすべてを知らない。「救い」には、まだ人の知らない祝福が隠されている。それらは隠されたまま人に与えられているのである。

(心のデボーション3368)

心のデボーション3369

「幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん」 マタイ5:9 大正文語訳聖書

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」 新改訳聖書

 「積極的平和主義」

「平和ならしむる者οἱ εἰρηνοποιοί」が、安倍政権下における「積極的平和主義」の形で、議論の的になっている。

政治学者ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)によって提唱された「積極的平和」(positive peace)は、安倍首相によって「proactive contribution to peace」と呼ばれている。日本国民はpositiveとproactiveの違いを正確に理解する必要がある。それはまた、マタイ5:9との違いを正確に理解する必要があるということでもある。

(心のデボーション3369)

心のデボーション3370

「僻めるこころは我よりはなれん 惡きものを知ることをこのまず」 詩篇101:4  明治元訳聖書

「ひがんだ心はわたしを離れるでしょう。わたしは悪い事を知りません。」 口語訳聖書

 「ひがみ」

「ひがんだ心σκαμβή」は「曲がった心」の意。「ひがみ」は一種の「曲がり」である。正しい判断を損なわせる。詩人は「曲がったこと」を目の前に置かず、曲がったことを憎み、曲がった心を近づけない。(詩篇101:3-4)

(心のデボーション3370)

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