心のデボーション095

デボーション1
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† 心のデボーション 00941

「なんぢわが眼をひらき なんぢの法のうちなる奇しきことを我にみせたまへ」 詩篇119:18 明治元訳聖書

「わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちのくすしき事を見させてください」 口語訳聖書

 「くすしきこと」

日常はシンプルなものである。退屈している人には大した意味も感じられないかもしれない。しかし、日常はとめどなく深い生の意味を教えてくれる。

人生が生きるに価するかどうかではなく、日常に含まれている生の意味にふれるかどうかである。日常に向かって開かれた目がなければ、人は「御教えのうちにある奇しいこと」を本当に見ることはできない。

(†心のデボーション00941)

† 心のデボーション 00942

「視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと稱(とな)へられん』之を釋(と)けば、神われらと偕に在すといふ意(こころ)なり」 マタイ1:23 大正文語訳聖書

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」 新共同訳聖書

 「インマヌエルの信仰」

神我らと共にいます。我ら神の内にいます。神我らの内にいます。それぞれ「インマヌエルの信仰」である。

(†心のデボーション00942)

† 心のデボーション 00943

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「天と地」

「ヱホバ如此いひたまふ 天はわが位地はわが足臺なり なんぢら我がために如何なる家をたてんとするか 又いかなる處かわが休憩の場とならん」 イザヤ66:1 明治元訳聖書

「天」は「神の御座」(マタイ5:34)であり、「地」はその「足台」である。神は天にいまし、地に足を置かれる。

(†心のデボーション00943)

† 心のデボーション 00944

「懶惰は人を酣寐せしむ 懈怠人は饑べし」 箴言19:15 明治元訳聖書

「怠りは人を熟睡させる、なまけ者は飢える」 口語訳聖書

 「無気力」

人は無気力と不安からも眠りに逃げ込むことがある。明日こそは頑張ろうと思うのだが、朝になると理由もなく不安になり、床から出られない。彼は「怠け者」ではない。実は無力感にとらわれているのである。なすべきことがないのではなく、なすべきことがあるのに、そこから退却しているのである。不規則な生活を修復できれば、気力も戻ってくる。

(†心のデボーション00944)

† 心のデボーション 00945

「それヱホバはその愛する者をいましめたまふ あたかも父のその愛する子を譴むるが如し」 箴言3:12 明治元訳聖書

「父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる」 新改訳聖書

 「過剰な愛を受けた子」

Hatred arises when love becomes deep.(愛多ければ、憎しみ至る)

過剰な愛を受けた子どもは人から憎しみを受けやすいという。人の心の哀しみを理解できないままに育ってしまうからであろう。愛が過剰であるかどうかは、その子どもの友人たちとの付き合いを見れば分かる。

If love is strong, hatred can be born.(愛が強ければ、憎しみも生まれる)

(†心のデボーション00945)

† 心のデボーション 00946

「キリストの言をして豐に汝らの衷に住ましめ、凡ての知慧によりて、詩と讃美と靈の歌とをもて、互に教へ互に訓戒し、恩惠に感じて心のうちに神を讃美せよ」 コロサイ3:16 大正文語訳聖書

「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい」 口語訳聖書

 「ここだな」

新渡戸稲造先生は、忍耐、親切、勇気といったことばを大切にした。思うようにいかないとき、「忍耐とはここだな」というふうに考える。すると、不思議なほどに気持ちが落ち着いたということである。「キリストのことばを内に住まわせる」とは、そういうことではないか。

「豊かに」とは「予想を超えた豊かさで」という意味である。キリストのことばに「ここだな」と思いを寄せる豊かさである。

(†心のデボーション00946)

† 心のデボーション 00947

「かくて七日の後洪水地に臨めり」 創世記7:10 明治元訳聖書

「こうして七日の後、洪水が地に起った」 口語訳聖書

 「聖書にある洪水」

記録的豪雨を英語で「Biblical floods(聖書にある洪水)」と呼ぶことがある。これまで経験したことのない未曾有の天候はいつも人を驚かす。時に自然の猛威は人の心を神に向かわせる。

(†心のデボーション00947)

† 心のデボーション 00948

「汝のために指路號を置き汝のために柱をたてよ汝のゆける道なる大路に心をとめよイスラエルの童女よ歸れこの汝の邑々にかへれよ」 エレミヤ31:21 明治元訳聖書

「みずからのために道しるべを置き、みずからのために標柱を立てよ。大路に、あなたの通って行った道に心を留めよ。イスラエルのおとめよ、帰れ、これらの、あなたの町々に帰れ」 口語訳聖書

 「カーナビの案内」

2015年10月3日、ブラジルでカーナビを頼りに観光地に向かおうとした夫婦が、スラム街にある通りに迷い込み、妻が殺害される事件が起きた。そこは麻薬密売組織が横行する危険な地域だった。カーナビは便利な機械だが、危険な道案内人になることもある。

自分のために「正しい道しるべ」を立てたい。

(†心のデボーション00948)

† 心のデボーション 00949

「我に大なる憂あることと心に絶えざる痛あることとを、我が良心も聖靈によりて證す」 ロマ9:2 大正文語訳聖書

「すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある」 口語訳聖書

 「行為障害」   

WHOの診断ガイドライン「ICD-10」によれば「行為障害」は、「反社会的、攻撃的、反抗的な行動を、何度も繰り返すことが6ヵ月以上持続する障害」とされる。

行為障害と診断された子どもに薬物治療を施すと落ち着きを取り戻す場合があるとされるが、その副作用など未確認であることから個人、学校、家庭の環境統合を中心に夫婦間衝突や母親の抑うつなど、家庭内の衝突にカウンセリングなどの治療がすすめられている。

心の病を薬物によって治すことは簡単なことではない。

(†心のデボーション00949)

† 心のデボーション 00950

「マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女なり。汝の言のごとく、我に成れかし』」 ルカ1:38 大正文語訳聖書

「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうそ、あなたのおことばどおりこの身になりますように』」 新改訳聖書

 「あなたのおことばどおりに」

ヨセフは眠りよりさめ、「主の使の命ぜし如くして」妻マリヤを迎え入れる。その信仰は、先に妻マリヤの示した「汝の言のごとく、我に成れかし」(ルカ1:38)と同列のものである。

夫と妻が一つの信仰に結ばれることは聖霊の働きによる。

(†心のデボーション00950)

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