心のデボーション083

デボーション1
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† 心のデボーション 00821

「われら互に相愛すべきは汝らが初より聞きし音信なり」 Ⅰヨハネ3:11 大正文語訳聖書

「なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです」 新共同訳聖書

 「互いに愛し合う」

バーバード大学の心理学教授ローセンタールの調査によれば、他人の感情を読み取る能力の高い人は情緒的に落ち着いており、相手の心理的要求を読み取ることに優れ、他人から愛され傾向にあるという。共感センスが高いことが対人関係に重要な能力であることがわかる。

愛することの出来る人とは、愛された人のことである。

(†心のデボーション00821)

† 心のデボーション 00822

「夫ヨセフは正しき人にして、之を公然(おおやけ)にするを好まず、私(ひそか)に離縁せんと思ふ」マタイ1:19 大正文語訳聖書

「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」 新共同訳聖書

 「ヨセフの苦悩」

ヨセフはマリヤを力で征服しようとしない。女性としてのマリヤを、男性としての自分と同一の位置に置く。ヨセフの苦悩はそこから生じたものである。

男性は常に男性的論理から女性を征服し、支配しようとする。しかし、それは決して真の男性的な行為とは言えない。

(†心のデボーション00822)

† 心のデボーション 00823

「心に喜樂あれば顔色よろこばし 心に憂苦あれば氣ふさぐ」 箴言15:13 明治元訳聖書

「心が楽しいと、顔色も晴れやかになり、心に憂いがあると、気も沈む」 フランシスコ会訳聖書

 「不機嫌の虫」

「苦虫を嚙み潰す」というが「苦虫」というのを見たことはない。どうやら誰の口にもいて、うっかりすると噛んでしまう虫のようだ。「不機嫌の虫」かもしれない。

(†心のデボーション00823)

† 心のデボーション 00824

「ああわがたましひよ 汝なんぞうなたるるや 何ぞわがうちに思ひみだるるや なんぢ神をまちのぞめ われ尚わがかほの助なるわが神をほめたたふべければなり」 詩篇42:11 明治元訳聖書

「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ。なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう。『御顔こそ、わたしの救い』と。わたしの神よ」 新共同訳聖書

 「甘え」

自分の家ではどんなことをしても許されると思い込んで無茶苦茶をやる人は、外の世界に甘えることが下手だと言う。ほど良い甘えができないのかもしれない。

この問題は神の愛を見出すまで続く。

(†心のデボーション00824)

† 心のデボーション 00825

「非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず」 Ⅰコリント13:5 大正文語訳聖書

「礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない」 新共同訳聖書

 「見えない侵入者」

楽しい会話の途中で、相手に電話が入る。相手が「見えない侵入者」と話し始め、一同沈黙となる。ややあって、再び話が始まるが、流れに戻すのに苦労する。

どこからでも割り込んでくる見えない侵入者がいる。しかし、自分がかけるときには、電話の先でどんな暴力的な割り込みをしているのか気にならないところもある。現代は被害者と加害者の顔が見えにくいのかもしれない。愛は相手と顔と顔を合わせることを強く望む。

(†心のデボーション00825)

† 心のデボーション 00826

「ひるは日なんぢをうたず夜は月なんぢを傷じ」 詩篇121:6 明治元訳聖書

「昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない」 新共同訳聖書

 「太陽の一撃」

アラビア語で日射病を「ダラバ・シャムス ضربة الشمس」といい、「太陽の一撃」の意味だそうである。これにやられると砂漠に慣れた屈強の男でもひっくり返ってしまうという。

「昼、太陽はあなたを撃つことがなく」は神が「あなたを覆う陰」となられるからである。(詩篇121:5)

(†心のデボーション00826)

† 心のデボーション 00827

「ユダの家ののがれて遺れる者はふたたび下に根をはり上は果を結ぶべし」 イザヤ37:31 明治元訳聖書

「ユダの家の中で難を免れ、残った者たちは再び根を下ろし、上には実を結ぶ」 新共同訳聖書

 「下に根をはり」

「下に根をはり」のヘブライ語 マッタハには「深く根を下ろす、沈潜する」の意味がある。

残された民は地に根をはり、神のことばに沈潜し、その年は「落穂から生じた穀物」を食べ、二年目には「自然に生じたもの」を食べ、三年目には「種を蒔いて刈り入れ、その実を食べる」と約束される。(イザヤ37:30~31)

祝福は年毎に増し加えられる。

(†心のデボーション00827)

† 心のデボーション 00828

「汝心に汝の兄弟を惡むべからず必ず汝の鄰人を勸戒むべし彼の故によりて罪を身にうくる勿れ」 レビ19:17 明治元訳聖書

「あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない」 口語訳聖書

 「受け入れたくない自分」

人は「受け入れたくない自分」は他人に押しつけようとする。「受け入れられない人」とは「認めたくない自分」である。「受け入れたくない自分」を受け入れると、「受け入れられない人」を認めることができるようだ。

(†心のデボーション00828)

† 心のデボーション 00829

「怒をやめ忿恚をすてよ 心をなやむるなかれ これ惡をおこなふ方にうつらん」 詩篇37:8 明治元訳聖書

「怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない」 新共同訳聖書

 「見えない袋」

詩人で作家のロバート・ブライによれば、子どもは親の目から見て気に入らないところを感じると、両親の愛を失わないために背後に引きずっている「見えない袋」に両親の嫌がる部分をなげ込むのだという。子どもは袋に投げ込まれた「怒り」「憎しみ」「悔しさ」を引きずっていくが、それがひょいと顔をだすと、凄まじいエネルギーを出す。

「見えない袋」の中身はどのように取り出せばよいのか? それが中年以後の問題になる。

(†心のデボーション00829)

† 心のデボーション 00830

「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書

「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

 「楽しいなー」

重い病の母親から遠い親戚にあずけられていた幼子が、鬼ごっこ遊びに夢中になって走りながら「楽しいなー」と叫んだ。母親から無理やり引き離された孤独と母親のただならぬ病の気配への不安の中で、子どもらの遊びにすべてを忘れて思わず口にする言葉だった。

イエスはそのような私たちの切ない「幸い」にも、やはり「あなたがたは幸いだ」と言ってくださるだろう。

(†心のデボーション00830)

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