心のデボーション082

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† 心のデボーション 00811

「また天より聲あり、曰く『これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり』」 マタイ3:17 大正文語訳聖書

「そのとき、天から、「これはわが愛する子、わが心にかなう者である」という声がした」 フランシスコ会訳聖書

 「気質」

「気質 temperament」はラテン語「四体液を適当な割合で混ぜること」に由来し、古代ギリシアのヒポクラテスが「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類を人間の身体の構成要素として定められ、その配合のぐわいによって健康状態、気質などが決められるものと考えられた。

聖書は気質は神が人の心に刻まれたもので、その一人一人を神は愛される。

(†心のデボーション00811)

† 心のデボーション 00812

「汝の神ヱホバを憶えよ其はヱホバ汝に資財を得の力をたまふなればなり斯したまふは汝の先祖等に誓し契約を今日の如く行はんとてなり」 申命記8:18 明治元訳聖書

「あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである」 新改訳聖書

 「主を心に据える」

富を築き上げたら、忘れてならないのは「主を心に据える」ことである。成功した自分を賛美する人は、他人にも賛美してほしい。その高ぶりが滅びの種とならないだろうか。

自分には富と言えるほどのものは与えられていない、だから、賛美するものもない、というのもやはり高慢である。

「主を心に据える」人は、貧しさの中にも神からの富があることを知っている。

成功から学ぶのは、貧しさに耐えるよりもずっ難しい。

(†心のデボーション00812)

† 心のデボーション 00813

「その母マリヤ、ヨセフと許嫁(いいなづけ)したるのみにて、未だ偕にならざりしに、聖靈によりて孕(みごも)り、その孕(みごも)りたること顯れたり」マタイ1:18 大正文語訳聖書

「イエス・キリスト誕生の次第は次のとおりである。イエスの母マリアはヨセフと婚約していたが、同居する前に、聖霊によって身籠っていることが分かった」 フランシスコ会訳聖書

 「神の霊」

「主ヱホバ是らの骨に斯言たまふ視よ我汝らの中に氣息を入しめて汝等を生しめん」 エゼキエル37:5

「我わが靈を汝らの中におきて汝らを生しめ汝らをその地に安んぜしめん汝等すなはち我ヱホバがこれを言ひ之を爲たることを知にいたるべし」 エゼキエル37:14 明治元訳聖書

人を造り、いのちを賦与するのは神の霊である。

(†心のデボーション00813)

† 心のデボーション 00814

「われ人にもちゐる索すなはち愛のつなをもて彼等をひけり」 ホセア11:4 明治元訳聖書

「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた」 新改訳聖書

 「子は鎹(かすがい)」

「子は鎹(かすがい)」という。「鎹(かすがい)」は、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む両端の曲がった大釘で、「子は縁つなぎ」という言葉もある。

これとは別に「子は三界の首枷」とも言われる。「三界」は「過去・現在・未来」で「子のために三界の自由を奪われる」の意味である。

英語にも「Children suck the mother when they are young and the father when they are old.(子供が幼いときは母親の乳を吸い、長ずると父親のすねをかじる)」という言葉がある。

親と子は太く強い縄で結ばれている。

(†心のデボーション00814)

† 心のデボーション 00815

「故なくして傷をうくる者は誰ぞ」 箴言23:29 明治元訳聖書

「ゆえなく、傷を受ける者はだれか」 新改訳聖書

 「ゆえなき傷」

人は自分に不都合なことは無いことのように避けて通る。真実に直面しなければ自身は傷つかずにすむが、その分、人を傷つけることになる。

(†心のデボーション00815)

† 心のデボーション 00816

「智慧ある者の舌は人をいやす」 箴言12:18 明治元訳聖書

「しかし知恵のある人の舌は人をいやす」 新改訳聖書

 「可愛い子」

子どもは可愛がられて育つがよい。しかし、可愛がられるだけの子どもは不幸である。必ずしも自分は相手から受け入れられないことに少しず傷つくのがよい。そうでないと、一挙に、それもつまらない理由で大きく傷ついてしまう。

(†心のデボーション00816)

† 心のデボーション 00817

「キリストの愛われらに迫れり。我ら思ふに、一人すべての人に代りて死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり」 Ⅱコリント5:14 大正文語訳聖書

「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人が死んだことになります」 新共同訳聖書

 「ガラス張り」

教会はガラス張りであるべきだという意見がある。神と人の間には隠すものがあってはならない。しかし、それを人と人の関係に持ち込むのは危険である。

他人であれ、自分であれ、ありのままを見るにはある覚悟を必要とする。

ありのままに生きる人は、どこまで自分を開き、どこで自分を閉ざすがを知っている。

これ以上は、たとえ夫婦の関係であっても踏み込めないという時点でこそ、愛がお互いを支える。この愛を知らずして、神の前に立つことはできまい。

(†心のデボーション00817)

† 心のデボーション 00818

「わが目はかれらのすべての途をみる。みな我にかくるるところなし」 エレミヤ16:17 明治元訳聖書

「わたしの目は彼らのすべての行いを見ているからだ。彼らはわたしの前から隠れることはできない。また、彼らの咎もわたしの目の前から隠されはしない」 新改訳聖書

 「密かな計画」

ヨセフは事を密かに運ぼうとする。しかし、神の目は人の密かな計画を御覧になる。

「われ今より新たなる事なんじが未だ知らざりし秘め事をなんじに示さん」イザヤ48:6 明治元訳聖書

密かな計画は、神が「未だ知らざりし秘め事」を示されるまでは、進めてはいけない。

(†心のデボーション00818)

† 心のデボーション 00819

「賢き婦はその夫の冠弁なり」 箴言12:4 明治元訳聖書

「賢い妻はその夫の冠である」 口語訳聖書

 「おしどり塚」

鎌倉時代のころ宇都宮を流れていた給食川(あさりがわ)で一人の猟師が一羽の雄のおしどりを射とめ、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には昨日のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられていた。胸を突かれた猟師は猟師は発心し弓を捨て、仏門に入ったという。(鎌倉時代に無住法師により書かれた「沙石集(しゃせきしゅう)」に紹介された物語とされ宇都宮市に指定史跡「おしどり塚」がある)

給食川(あさりがわ)は現在では姿をけしたくらいの小川である。何故、雌のおしどりは夫の首を抱えて飛び立たなかったのだろう。

(†心のデボーション00819)

† 心のデボーション 00820

「エサウ父のヤコブを祝したる其祝の爲にヤコブを惡めり即ちエサウ心に謂けるは父の喪の日近ければ其時我弟ヤコブを殺さんと」 創世記27:41 明治元訳聖書

「エソウは、父ヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。それでエソウは心の中で言った。『父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう』」 新改訳聖書

 「恨み」

エソウは「父の喪の日も近い。そのとき、弟ヤコブを殺そう」と密かに恐ろしい計画を抱く。父の死を悼むより、恨みを晴らすことが優先される。

ある人を恨むと、悲しみが見えなくなる。エソウは弟ヤコブばかりでなく「ヤコブを祝福した父」をも恨んでいたのかもしれない。恨みは些細なことから発生し、関係のない人を巻き込み、そして、延々と続く。

(†心のデボーション00820)

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