心のデボーション067

デボーション1
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† 心のデボーション 00661

「目くばせする者はねじれごとをたくらみ、くちびるをすぼめている者は悪を成し遂げた者だ」 箴言16:30新改訳聖書

「目くばせする者はねじれごとをたくらみ、くちびるをすぼめている者は悪を成し遂げた者だ」 新改訳聖書

 「ねじれごと」

箴言は、いかにも意味ありげな「目くばせ」には「ねじれごと」が企てられていると告げる。

その「目くばせ」を受ける者は「くちびるをすぼめて」それに合意する。こうして「ねじれごと」に参加するのである。

「ねじれごと」は「狂った弓」(詩篇78:57 口語訳聖書)のようで、どこに飛ぶかわからない。

(†心のデボーション00661)

† 心のデボーション 00662

「然ば汝らが己の神を棄ること無らんために」 ヨシュア24:27 明治元訳聖書

「あなたがたが自分の神を否むことがないように」 新改訳聖書

 「自分自身を捨てる」

「なんじら我を捨てたるにあらず、おのれみずからを捨てたるなりと、主いいたもう」 Ⅱエズラ1:28 日本聖公会訳

人は神を捨てるのではない、自分自身を捨てるのである。だが、人は神を捨てることはできない。したがって、人は自分自身を捨てることもできない。

(†心のデボーション00662)

† 心のデボーション 00663

「彼ら我民の女の傷を淺く醫し平康からざる時に平康平康といへり」 エレミヤ8:11 明治元訳聖書

「彼らは娘なるわたしの民の傷に安易な手あてをを施し、平和がないのに『平和、平和』と言う」 フランシスコ会訳聖書

 「浅く癒す」

人は浅く癒されたがる。安からざるときに「安し、安し」と告げてもらいたがる。受けた傷の深さを知るのが怖いのだ。

偽預言者は真実を告げたりはしない。彼は「安易な手当」をし、「安し、安し」と言いながら去っていく。だが、彼は本物ではない。

深く癒されるには、真実を知ることを恐れてはいけない。

(†心のデボーション00663)

† 心のデボーション 00664

「聖言うちひらくれば光をはなちて 愚かなるものをさとからしむ」 詩篇119:130 明治元訳聖書

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」 新改訳聖書

 「偶然整う」

いくつかの偶然に導かれて道が開けることがある。「偶然が整う」と道が現れるのだろうか、それとも「偶然の成熟」が道なのか?

(†心のデボーション00664)

† 心のデボーション 00665

「凡(おほよ)そ活ける者の中に列(つら)なる者は望あり 其は生ける犬は死せる獅子に愈ればなり」 伝道9:4 明治元訳聖書

「すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである」 新改訳聖書

 「生ける者」

「生ける者」に連なる者には望みがある。

連なるために「生ける者」を探すよりも、自身が「生ける者」であればよい。それが「連なる」ということである。

(†心のデボーション00665)

† 心のデボーション 00666

「なんぢの聖言はわれを活ししがゆゑに 今もなほわが艱難のときの安慰なり」 詩篇119:50 明治元訳聖書

「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします」 新改訳聖書

 「艱難のときの安慰」

難問を解くには「考え過ぎない」がよいようだ。考えないのではなく、考えた後に、思考を放棄する。思考を神の中に入れることのようだ。

すると思わぬ言葉が泡のように浮かび上がる。だが、「泡」はすぐに弾けるので、すばやく捕らえる必要がある。

(†心のデボーション00666)

† 心のデボーション 00667

「たれかおのれの過失をしりえんや ねがはくは我をかくれたる愆より解放ちたまへ」 詩篇19:12 明治元訳聖書

「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください」 新改訳聖書

 「小さい過失」

「小さい過失を避けない人は、次第に大きな過失に陥ってしまう」(アケンピス「基督のまねび」内村達三郎訳)

「大きな過失」を調べると「小さな過失」にたどり着くことがある。それは「避けるに値しない」という意味でにおいて「大きな過失」を生み出す種である。

(†心のデボーション00667)

† 心のデボーション 00668

「なんぢが地にまく種に主は雨をあたへ また地になりいづる糧をたまふ その土產こえて豐かならん」 イザヤ30:23 明治元訳聖書

「主は、あなたが地に蒔く種に雨を与えられる。地の産み出す穀物は豊かに実る」 新共同訳聖書

 「おのれ生え」

畑に出来すぎたナスを放置すると、翌年、そこから勝手にナスの芽が出て、結構収穫ができたりする。種もまかずにとれる便利な野菜だが、これを「おのれ生え」という。

心にときどき浮かぶ思わぬ言葉に驚くが、そういう言葉は、「おのれ生え」が多いようだ。そのときは収穫もしなかったが種として蒔かれ勝手に実をつけたのだ。

(†心のデボーション00668)

† 心のデボーション 00669

「ヱホバの言はきよきことばなり 地にまうけたる爐にてねり七次きよめたる白銀のごとし」 詩篇12:6 明治元訳聖書

「主の言葉は清く、地に流し込まれる溶けた銀、七たび精錬された銀のようだ」 フランシスコ会訳聖書

 「私という鋳型」

フランシスコ会訳は、「主の言葉は清く、地に流し込まれる溶けた銀」と訳す。

神のみことばは、天から「私」という鋳型に流し込まれ、その輝きを増す。神のみことばを自分の内で練るという作業が人を作る。いのちの炉を熱くしなければ、御言葉は不純物を含んで、つまらない塊になってしまう。

(†心のデボーション00669)

† 心のデボーション 00670

「ソロモン、レハベアムを生み、レハベアム、アビヤを生み、アビヤ、アサを生み」 マタイ1:7 大正文語訳聖書

「ソロモンにレハブアムが生まれ、レハブアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ」 新共同訳聖書

 「民が増すように」

ソロモンの子レハベアムは「民が増すように」との意味の名前である。ソロモンは父ダビデのつくったイスラエル王国の繁栄を願って息子にその名を与えたが、レハベアムの時代にヤラベアムの反乱によりイスラエルは北ユダ王国と南イスラエル王国に分裂する。

ユダヤ人にとって「神の祝福」とは「民の繁栄」と結びつくものであった。しかし、民族の祝福は神を恐れる一人の民に基づくのである。

(†心のデボーション00670)

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