心のデボーション063

デボーション1
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† 心のデボーション 00621

「永久に在す神は住所なり下には永遠の腕あり敵人を汝の前より驅はらひて言たまふ滅ぼせよと」 申命33:27 明治元訳聖書

 「いにしえの神は、避け所、とこしえの腕は、あなたの支え、あなたの前から敵を追い出し、『滅ぼし尽くせ』と命じられた」 フランシスコ会訳聖書

  「永遠のみ腕」

神は私の住まい(避け所)、下には「永遠の腕」あり。神の腕が私の営みを下支えされる。

今はなお侘しい仮住まいだが、「永遠のみ腕」その下にあり。

(†心のデボーション00621)

† 心のデボーション 00622

「わが救とわが榮とは神にあり わがちからの磐わがさけどころは神にあり」 詩篇62:7 明治元訳聖書

「わが救いとわが誉とは神にある。神はわが力の岩、わが避け所である」 口語訳聖書

 「誉れの座を求めず」

「最高の地位を主に求めるな。誉れの座を王に求めるな」 シラ書7:4 フランシスコ会訳聖書

すでにこの身は神のうちにあるならば、なにゆえ神に「いと高き地位」を求めるだろうか? ましてや、王に「名誉の座」を要求するだろうか?

(†心のデボーション00622)

† 心のデボーション 00623

「ヱルサレムの女子等よ我なんぢらに獐と野の鹿とをさし誓ひて請ふ 愛のおのづから起るときまでは殊更に喚起し且つ醒すなかれ」 雅歌2:7 明治元訳聖書

「エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは」 新改訳聖書

 「スタインボック」

スタインボックは小さなカモシカで、ハンターが銃を構えた瞬間、大きな紫色の目を開いてこちらを見つめるという。あまりの可愛さにハンターは一瞬引き金をためらう、その間に飛び去ってしまうのだそうである。

あなたのほほえみは、スタインボックのように私を優しい気持ちに変える。無理に愛を「掘り起こしたり、かきたてたり」する必要はない。そっと見守れば、もうすぐスタインボックは目覚める。

(†心のデボーション00623)

† 心のデボーション 00624

「みよ子輩はヱホバのあたへたまふ嗣業にして 胎の實はその報のたまものなり」 詩篇127:3 明治元訳聖書

「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である」 新改訳聖書

 「アロン・マザー」

象はメスが集団で子どもを育てるという。アロン・マザー(Alone mother)は若いメス象で群れの小象を世話しながら、出産・子育てを見習う「代理母」である。そのため、もし母親象に万一のことがあっても小象は生きていける。

子どもを虐待してしまう人は、子どもの頃「よきアロン・マザー」にも恵まれなかったのかもしれない。

(†心のデボーション00624)

† 心のデボーション 00625

「なんぢの友と汝の父の友とを棄るなかれ なんぢ患難にあふ日に兄弟の家にいることなかれ 親しき隣は疏き兄弟に愈れり」 箴言27:10 明治元訳聖書

「あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる」 新共同訳聖書

 「遠くの水」

この箴言は「遠くの親戚より、近くの他人」ということわざと同じである。箴言は「艱難に会う時、兄弟の家に行くな」とも語る。この「兄弟」は、「遠くにいる兄弟」のことで、それでは火急の時、助けを求めても間に合わない。問題は、兄弟か友人かではなく、いざという時、頼りになる人が近くにいるかどうかである。

遠くの水で、近くの火を消すことはできない。

(†心のデボーション00625)

† 心のデボーション 00626

「蜜をおほく食ふは善らず 人おのれの榮譽をもとむるは榮譽にあらず」 箴言25:27 明治元訳聖書

「蜜を多く食べるのはよくない、ほめる言葉は控え目にするがよい」 口語訳聖書

 「褒める」

人を褒めるのは意外と難しい。歯の浮くようなお世辞は通じないし、心にもないことを口にする自分が卑しく恥かしい。本気で控え目に褒めることだ。

(†心のデボーション00626)

† 心のデボーション 00627

「婦その乳兒をわすれて己がはらの子をあはれまざることあらんや 縦ひかれら忘るることありとも我はなんぢを忘るることなし」 イザヤ49:15 明治元訳聖書

「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」 新共同訳聖書

 「心を失わず」

たとえ、母が私を忘れることがあっても、神は私を忘れられない。

「忘」は「心」を「亡(失なう)」こと。神は私に向かって心を失われない。それで、私は私の心を失わない。

(†心のデボーション00627)

† 心のデボーション 00628

「膏と香とは人の心をよろこばすなり 心よりして勸言を與ふる友の美しきもまた斯のごとし」 箴言27:9 明治元訳聖書

「香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける」 新改訳聖書

 「古き友」

「古くからの友を見捨てるな。新しい友は、彼とは比べものにならない。新しい友は、新しいぶどう酒。それが、古くなったら、お前は喜んで飲むだろう」 シラ書9:10 フランシスコ会訳聖書

新しい友は仕込んで間もない若い葡萄酒のようで自己主張が強く、酸味が強くて飲みにくい。しかし、古い友はほどよく発酵した葡萄酒のようで、深い味わいがあるという。

友よ、しばし待て。

我眠りて目覚め、角さりて、まろやかになるやもしれぬ。

(†心のデボーション00628)

† 心のデボーション 00629

「アブラム乃ちヱホバの自己に言たまひし言に從て出たり」 創世記12:4 明治元訳聖書

「アブラハムは、主の言葉に従って旅立った」 新共同訳聖書

 「行先」

アブラハムは行先を知らないで出発した。

「行先」はその都度の自分として現れる。「新しい自分」が「行先」である。

(†心のデボーション00629)

† 心のデボーション 00630

「さらば汝の神ヱホバ我らの行むべき途となすべき事を示したまはん」 エレミヤ42:3 明治元訳聖書

「あなたの神、主が、わたしたちが歩むべき道となすべきことを、わたしたちに告げてくださいますように」 フランシスコ会訳聖書

  「歩むべき道」

誰でも一度は、仕事が自分に向いていないのではと疑う時があるのではないだろうか。打ち込める仕事に出会うためというよりも、仕事になじめないという理由だけで次々と職を変える人もいる。そうなると自分が何をしたいのかがますますわからなくなる。自分が何をしたいのかは、はじめはぼんやりとしかわからないもので、漠然としていても、それを具体的な行動に置き換えていくうちに、それが自分の「歩むべき道」だとわかることも少なくない。

(†心のデボーション00630)

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