心のデボーション056

デボーション1
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† 心のデボーション 00551

「愛を追求むる者は人の過失をおほふ 人の事を言ひふるる者は朋友をあひ離れしむ」 箴言17:9 明治元訳聖書

「愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる」 口語訳聖書

 「許し」

どんな人にも、これだけは絶対に許せないということが一つや二つはあるものだ。それを許そうとすると、ますますつらくなる。まず必要なのは、許すことではなく許されることである。これだけは許せないという思いを許していただかなければならない。

「罪の赦し」は、神に属する。これだけは絶対に許せないという思いが神の許しを拒む。

(†心のデボーション00551)

† 心のデボーション 00552

「なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん」 マタイ6:6 大正文語訳聖書

「あなたは祈るとき、奥のへやに入って戸をしめ、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行ないをごらんになるあなたの父は、報いてくださるであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「隠れた部屋」

「人間」が現われると「神」は隠れ、「神」が現われると「人間」は隠れる。隠れた部屋では神と人間が共に現われる。

(†心のデボーション00552)

† 心のデボーション 00553

「ひとりの嬰兒われらのために生れたり 我儕はひとりの子をあたへられたり 政事はその肩にあり その名は奇妙また議士 また大能の神とこしへのちち 平和の君ととなへられん」 イザヤ9:6 明治元訳聖書

「ひとりのみどり児が、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」 新改訳聖書

 「不思議な助言者」

嬰児イエスは「不思議な助言者」と呼ばれる。英語訳はWanderfull Caunseler である。

「不思議」はヘブライ語で「奇しい、驚くべき」の意味である。イエスは私たちの考えも及ばない驚くべき助言をくださるワンダフル・カウンセラー Wanderfull Caunselerである。

(†心のデボーション00553)

† 心のデボーション 00554

「わが盾をとるものは心のなほきものをすくふ神なり」 詩篇7:10 明治元訳聖書

「私の盾は神にあり,神は心の直ぐな人を救われる」 新改訳聖書

 「心の直ぐな人」

相手と打ち解けた話ができないと悩む人は自分をさらけ出すのが怖いのかもしれない。自分が感じていることをそのまま言葉にしたら相手に嫌われると考えたりする。

だが、それとは反対に、自分をさらけ出すと人は近づいてくるものだ。自分をさらけ出して相手に嫌われたら、さらけ出す自分を間違えたか、相手が本当の関係を望んでいないかだ。「心が直ぐな人」とは自分を素直に表現できる人のことである。

(†心のデボーション00554)

† 心のデボーション 00555

「夫愚なる者は憤恨のために身を殺し 癡き者は嫉媢のために己を死しむ」 ヨブ5:2 明治元訳聖書

「愚かな者は怒って自ら滅び,無知な者はねたんで死に至る」 新共同訳聖書

 「嫉妬」

嫉妬は愛への不安がおこす妄想である。自分だけを見よと要求し、それによって相手を独占しようとする。それが愛だという誤解がある。嫉妬を向けられる側もつらいが、嫉妬をする人はもっと苦しむ。

嫉妬を責めるだけでは解決しない。まず、愛の不安を解消することだ。自分を磨き、本当の魅力に生きることができれば嫉妬はなくなる。嫉妬は人を不幸にするばかりか、相手や自分を殺してしまう。

(†心のデボーション00555)

† 心のデボーション 00556

「誰かその食ふところその歓樂を極むるところに於て我にまさる者あらん」 伝道2:25 明治元訳聖書

「実に、神を離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか」 新改訳聖書

 「空店の恵比寿様」

相手もいないのに一人で悦にいっている人を「空店の恵比寿様」という。空店で棚には何も並べていないのに、一人恵比寿顔で座っている。憎めないがちょっとさみしい。

(†心のデボーション00556)

† 心のデボーション 00557

 「わが家かく神とともにあるにあらずや神萬具備りて鞏固なる永久の契約を我になしたまへり吾が救と喜を皆いかで生ぜしめたまはざらんや」 Ⅱサムエル23:5 明治元訳聖書

 「まことに神は、私の救いと願いとを、すべて育ててくださる」 新改訳聖書

  「小さな夢」

簡単には実現しないのが夢だが、少し努力すれば実現する夢も大切にしたい。「夢」にも成長と成熟がある。神は私の小さな夢を養われる。

(†心のデボーション00557)

† 心のデボーション 00558

「サルモンはラハブによってボアズをもうけ」 マタイ1:5 大正文語訳聖書

「妻を得るものは美物(よきもの)を得るなり 且ヱホバより恩寵をあたへらる」 箴言18:22 明治元訳聖書

モンテーニュによると、コンラート3世(Konrad III 1093年~1152年)がバヴァリア公ゲルフェンを攻囲したときに、いかなる降伏の申出も受け付けようとしなかった。ただ、公と一緒に囲まれている貴婦人たちが、はだしのまま、身に持てるだけのものを持って城を出ることを許した。すると彼女らは自分らの肩に夫や子どもや公自身をも担いで出よとした。皇帝はその勇気を深く嘉して、その後はずっと公にいだいていた激しい敵意を和らげ、寛大に扱ったという。(モンテーニュ「エセー」)

妻はいざというとき、夫や子どもを担いで窮地を脱する。ラハブはそういう女性の一人だった。

(†心のデボーション00558)

† 心のデボーション 00559

「又二人ともに寝れば温暖なり一人ならば爭で温暖ならんや」 伝道4:11 明治元訳聖書

「また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう」 新改訳聖書

 「カルネアデスの板」

「カルネアデスの板(Plank of Carneades)」は、古代ギリシャの哲学者カルネアデスが出したといわれる問題である。

一隻の船が難破し、乗組員はみな海に投げ出された。一人の男が命からがら、流れてきた板切れにすがりついた。その板は一人がやっとで、二人を支える力はない。そこに、友人の男が浮かび上がり板につかまろうとした。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪には問われなかった。

人生は、この種の苦悩に満ちている。私なら、友人と抱き合って言葉を交わす。海では体が冷えてしまったら、せっかくの板にしがみつくこともできなくなる。人生の最後に与えられたぬくもりをどうして捨てることができようか。

(†心のデボーション00559)

† 心のデボーション 00560

「ヱホバ神土の塵を以て人を造り生氣を其鼻に嘘入たまへり人即ち生靈となりぬ」 創世記2:7 明治元訳聖書

「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」 新改訳聖書

 「息を吹き込む」

神は地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれ、そこで、人は、生きものとなった。

私は今日という一日にいのちの息を吹き込みたい。そうすると、私の一日は「生きもの」となる気がする。

(†心のデボーション00560)

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