心のデボーション051

デボーション1
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† 心のデボーション 00501

「其罪はヨアブの首と其父の全家に歸せよねがはくはヨアブの家には白濁を疾ものか癩病人か杖に倚ものか劍に仆るものか食物に乏しき者か絶ゆることあらざれと」 Ⅱサムエル3:29 明治元訳聖書

「糸巻きをつかむ者」 新改訳聖書

 「糸巻きをつかむ者」

アブネルの側についてダビデを裏切ったヨアブの家に、「漏出を病む者、らい病人、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者」が絶えないようにと言われている。

「糸巻き」は女性の仕事とされていたところから、「糸巻きをつかむ者」は女性の仕事しかできない男、すなわち「戦うことのできない軟弱な者」の意味である。

しかし、男の手に剣が握られているからといって必ずしも「戦う者」ではない。武器を手にすることだけが「男らしさ」でもない。

(†心のデボーション00501)

† 心のデボーション 00502

「世の人に臨むところの事はまた獣にも臨む この二者に臨むところの事は同一にして是も死ば彼も死るなり 皆同一の呼吸に依れり 人は獣にまさる所なし皆空なり」 伝道3:19 明治元訳聖書

「人の子らの運命は獣の運命と同じであって、人も死ぬし、獣も死ぬ。ともに同じ息吹を持っている。人は獣以上に優れているものを何も持っていない」 フランシスコ会訳聖書

 「知者の死」

伝道の書によれば、人間は獣と同じ息吹をもっていて、獣と同じように死ぬ。しかし人間の死は獣の死よりも悩みが多い。伝道者は「人は獣以上に優れているものを何も持っていない」というが、悩みもなく死に赴く獣のほうが優れていると言えないか。

知者のように生き、獣のように静かに死にたいものだが、それは愚かな願いかもしれない。

(†心のデボーション00502)

† 心のデボーション 00503

「幸福ある日には樂め 禍患ある日には考へよ 神はこの二者をあひ交錯(まじへ)て降したまふ 是は人をしてその後の事を知ることなからしめんためなり」 伝道7:14 明治元訳聖書

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」 新改訳聖書

 「あれも、これも」

神は一つのことだけをなさらない。「あれも、これも」なさる。「後の事」を誰が知ろう。後の日に、我々は神が「あれも、これも」なし給うたと知るのである。

(†心のデボーション00503)

† 心のデボーション 00504

「虚しき言語あに終極あらんや 汝なにに勵されて應答をなすや」 ヨブ16:3 明治元訳聖書

「むなしいことばに終わりがあろうか。あなたは何に興奮して答えるのか」 新改訳聖書

 「空き樽」

内容のないことを声高にしゃべるのを、「空き樽は音か高い」という。「空き樽」は叩くと高い音を出すのだ。中の空洞がよく音を響かせるのである。心に空洞ができると、むきになってしゃべりたくなる。

(†心のデボーション00504)

† 心のデボーション 00505

「命令の目的は清き心と善き良心と僞りなき信仰とより出づる愛にあり」 Ⅰテモテ1:5 大正文語訳聖書

「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています」 新改訳聖書

  ピンク色の嘘」

どなたかが、「クリスチャンは真っ赤な嘘はつかないがピンクの嘘をつく」といった。「ピンクの嘘」は真っ赤な嘘の薄まったものではなく、赤とは違うピンクの嘘かもしれない。

そして、それとは違う「ピンク色の嘘」というのもありそうだ。男なら一度はついたことがありそうな嘘である。

(†心のデボーション00505)

† 心のデボーション 00506

「人の是非をいふものの言はたはぶれのごとしといへども反つて腹の奧にいる」 箴言18:8 明治元訳聖書

「陰口をきく者の言葉は、おいしい食べ物のようなもの、腹の底にまで下って行く」 フランシスコ会訳聖書

 「陰口」

陰口は「おいしい食べ物」のようで、いくらでもいける。「腹の底」まで入り、「心の深み」にまでしみこむ。(バルバロ訳聖書) やがて陰口は消化されて肉となり、その人となりをつくる。

(†心のデボーション00506)

† 心のデボーション 00507

「わが愛する兄弟よ、汝らは之を知る。されば、おのおの聽くことを速かにし、語ることを遲くし、怒ることを遲くせよ」 ヤコブ1:19 大正文語訳聖書

「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」 新共同訳聖書

 「聞くに早く」

聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅くという。だが、私はことごとく逆だ。聞くに遅く、語るに早く、怒るは語るよりもっと早い。最初の「聞くに早く」ができれば、後の二つもついてくるだろうか。

(†心のデボーション00507)

† 心のデボーション 00508

「世は去り世は來る 地は永久に長存なり」 伝道1:4 明治元訳聖書

「一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない」 新改訳聖書

 「世は去り世は來る」

一つの時代が去るということは、それとは別の一つが来たということである。

去った時代への思いは、来るものをとらえることによって意味あるものとなる。次に来るものを捉え損なうと、一つの時代はいつになっても去らない。

(†心のデボーション00508)

† 心のデボーション 00509

「茲に我身を轉して日の下に行はるる諸の虐遇を視たり 嗚呼虐げらる者の涙ながる 之を慰むる者あらざるなり また虐ぐる者の手には權力あり 彼等はこれを慰むる者あらざるなり」 伝道4:1 明治元訳聖書

「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はない」 新共同訳聖書

 「虐げ」

太陽の下に行われる虐げのすべてを見よ。

虐げられる者は泣き、彼を慰め者はいない。

虐げる者の手にある力を見よ。だが、彼を慰める者も又いないので、彼はいつになっても満たされることがない。

慰めなきことが何故続くのか。

(†心のデボーション00509)

† 心のデボーション 00510

「貧くして賢き童子(わらべ)は 老て愚にして諌(いさめ)を納れざる王に愈(まさ)る」 伝道4:13 明治元訳聖書

「貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる」 新改訳聖書

 「ルーズソックス」

1994年の頃、少女のダボダボソックスを「ルーズソックス」と呼んだ。何事も力を抜いて、楽に生きようとする若者には、「ルーズ」こそが好ましいのかもしれない。

「ルーズ loose」には「放たれた、自由」の意味もある。若者はどこから脱出し、どこに放たれたいのだろうか。「だらしなファッション」から、次に何が生まれて来るのか心配ではある。だが、それは「もう忠言を受けつけない年とった愚かな王」の繰り言かもしれない。

(†心のデボーション00510)

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