心のデボーション048

デボーション1
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† 心のデボーション 00471

「人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし」 ヨハネ15:13 大正文語訳聖書

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」 新共同聖書

 「友のために」

「友のために自分の命を捨てる」は「命を投げ出す」ことではなく、本当の自分を差し出すことである。

自分のいのちを捨ててはいけない。

友にできることは、互いの為に自分を生きることである。

(†心のデボーション00471)

† 心のデボーション 00472

「汝ら感謝しつつ目を覺して祈を常にせよ」 コロサイ4:2 大正文語訳聖書

「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」 新共同訳聖書

 「変わらないものはそのままに」

不平不満は肉体的にも精神的にも人を疲れさせる。人生は、そう思い通りにいくものではない。変えられないものを変えようとして、それが変わらないので不満がつのる。

変わらないもの、解決できないものは、そっとしておく。変わらないことをそのままに、変えられることから変えていく方が、感謝をもって祈れる。

(†心のデボーション00472)

† 心のデボーション 00473

「公平の權衡と天秤とはヱホバのものなり 嚢にある法馬もことごとく彼の造りしものなり」 箴言16:11 明治元訳聖書

「公正な天秤、公正な秤は主のもの。袋のおもり石も主の造られたもの」 新共同訳聖書

 「二種類のおもり石」

ものごとを正しくはかれる秤がある。

私はたいていの場合、自分の内にそれがあると思い込んでいる。しかし、はかるものによって「おもり石」を変えるなど朝飯前だ。私が時として、秤によらずにものごとを判断する、あれもまた「正しい秤」とは思えない。

「公正な天秤、公正な秤は主のもの」、「袋のおもり石も主の造られたもの」とは「神の御言葉」に違いない。

だが、人の手には常に二種類の「おもり石」があり、はかり比べてみないと気がすまないのはなぜか?

(†心のデボーション00473)

† 心のデボーション 00474

「おのが恥を湧き出す海のあらき波、さまよふ星なり。彼らの爲に暗き闇、とこしへに蓄へ置かれたり」 ユダ1:13 大正文語訳聖書

「自分たちの恥の泡を吹き出す海の荒波、さ迷う星です。彼らには、深い暗闇が永遠に用意されています」 フランシスコ会訳聖書

 「さまよう星」

教会には、時に「にせ兄弟」が入り込む。ユダは彼らを「さまよう星」と呼ぶ。「さまよう星」とは、流星のように一瞬光を放って闇に消えていく星のことで、「導きの星」ではない。問題は、それが一瞬であれ、高い所で光を投げかけ、明るく輝くことだ。「さまよう星」を見つけるのは難しくない。分裂と破壊のきざしを見たら、それが「さまよう星」である。

(†心のデボーション00474)

† 心のデボーション 00475

「誘惑に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實に心は熱すれども肉體よわきなり」 マタイ26:41 大正文語訳聖書

「誘惑に陥らないよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」 新共同訳聖書

 「誘惑の時」

「ある事は私共誘惑の時に為さねばならぬ、又ある事は平和無事の時に為さるべきである」(アケンピス「基督のまねび」)

私たちは危険が迫っているときにも、平穏無事の日のように過ごしたがる。そうすれば、危険も近づかないと思うのだろうか?

誘惑の時に為すべきことがあり、平和無事の時に為すべきことがある。

(†心のデボーション00475)

† 心のデボーション 00476

「我の觀る所によれば不義を耕へし惡を播く者はその穫る所も亦是のごとし」 ヨブ4:8 明治元訳聖書

「わたしの見てきたところでは、災いを耕し、労苦を蒔く者が、災と労苦を収穫することになっている」 新共同訳聖書

 「不幸を耕す」

テマン人エリファスはヨブが「不幸を耕し、害毒を蒔いている」と責める。だからヨブは「災とと苦労を刈り取るのだ」と決めつける。(ヨブ4:8)

不幸を深堀りすることは誤りではない。ただ、そこにどのような「種」を蒔くかである。よき種は「不幸」に根を張り、芽を出し、よき実を結ぶ。

「涙とともに播くものは歡喜とともに穫らん その人は種をたづさへ涙をながしていでゆけど禾束をたづさへ喜びてかへりきたらん」 詩篇126:5~6 明治元訳聖書

(†心のデボーション00476)

† 心のデボーション 00477

「ねがはくは惡きものの曲事をたちて義しきものを堅くしたまへ ただしき神は人のこころと腎とをさぐり知たまふ」 詩篇7:9 明治元訳聖書

「どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます」 新改訳聖書

 「思いを調べよ」

思いを調べよ。自身の内に入り、神がなさるように、つぶさに吟味してみる。一つの思いから、いくつもの知られない「思い」が出てくる。私はあなたに会いたかったのだ。

(†心のデボーション00477)

† 心のデボーション 00478

「惰者は寒ければとて耕さず この故に収穫のときにおよびて求るとも得るところなし」 箴言20:4 明治元訳聖書

「怠け者は冬になっても耕さず、刈り入れ時に求めるが何もない」 新共同訳聖書

 「怠け者」

パレスティナでは秋の雨期に畑を耕し種をまく。この人は秋が過ぎ冬になっても、まだ耕そうとせず、種も蒔かない。そのくせ刈り入れ時になると何かできてはいないかと畑を探す。怠け者なのだ。

彼は今日は風が強いから種まきはできぬと言い、雲があるから明日にしようと「時」を先送りにする。(伝道11:4)怠け者にはいつももっともな言い訳がある。

(†心のデボーション00478)

† 心のデボーション 00479

「惰者(おこたるもの)よ蟻にゆき其爲すところを觀て智慧をえよ」 箴言6:6 明治元訳聖書

「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」 新共同訳聖書

 「蟻の知恵」

働きアリの世界では、よく働くアリの陰で、ウロウロと周囲を適当に動いているだけの連中がいる。そこで、そういう不真面目なアリを除いてやると、今までよく働いていたアリの中からウロウロするのが出てくるという。アリの世界では、ウロウロするのも、何かの意味があるに違いない。でも、逆に、よく働くアリを除いてしまうと、ウロウロしていた連中から急に働き出すのが出て来るのだそうである。

人の場合も、そうなればよいが・・。

(†心のデボーション00479)

† 心のデボーション 00480

「生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし」 マタイ10:39 大正文語訳聖書

「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」 新共同訳聖書

 「愛の原則」

怒りや憎しみに決断はいらない。しかし、愛するには決断を必要とする。愛せないのは性格の問題ではなく、愛し愛される術の問題でもない。その第一歩は、ある人のために尽くそうと決心することであろう。自分のいのちを失えばそれを得るというのが愛の原則です。こんなに尽くしているのに愛が報われないと嘆くのは、まだ自分を失っていないのかもしれない。今は報われなくても、あなたはもう「それ」を自分のものにしている。

(†心のデボーション00480)

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