心のデボーション046

デボーション1
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† 心のデボーション 00451

「パウロこの幻影を見たれば、我らは神のマケドニヤ人に福音を宣傳へしむる爲に、我らを召し給ふことと思ひ定めて、直ちにマケドニヤに赴かんとせり」 使徒16:10 大正文語訳聖書

「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニヤへ向けて出発することにした。マケドニヤ人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」 新共同訳聖書

 「思い定める」

パウロはアジアでの働きを聖霊によって禁じられ、ビテニヤでも宣教が許さなかった。そして、トロアスでマケドニア人の幻を見てマケドニア宣教を確信する。(使徒16:6~10)

「思い定め(確信し)」は「一つに結び合わせる」という言葉から来る。いくつかの行き詰まりを「一つに結び合わせる」ことによって神のみ旨が明らかにされている。失望は祈りと「一つに結び合わされる」と希望になる。

(†心のデボーション00451)

† 心のデボーション 00452 

「彼らは晝も暗黑に遇ひ 卓午にも夜の如くに摸り惑はん」 ヨブ5:14 明治元訳聖書

「彼らは昼間にやみに会い、真昼に、夜のように手さぐりする」 新改訳聖書

 「真昼の手探り」

夜の闇の中では昼間のように自由に振舞うが、朝が来ると闇に囲まれ一歩も動けないことがある。人は闇の中よりも、昼間の光の下で闇に会い、手探りする。闇の中に光が、光の中に闇があるとでも言うのか。

(†心のデボーション00452)

† 心のデボーション 00453 

「されば神の御意に從ひて苦難を受くる者は、善を行ひて己が靈魂を眞實なる造物主にゆだね奉るべし」 Ⅰペテロ4:19 大正文語訳聖書

「だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい」 新共同訳聖書

 「創造主」

自分の魂を神にゆだねる人は、今この一瞬に、心を開き集中しようとする。今の一瞬に何がおきているとしても、神が創造され、賜物として自分に与えられたと信じる。神に自分の魂をゆだねる人は、人に心を開き、自分自身を与える。そして、人の魂にふれ、お互いを知るその一瞬を経験する。

魂は互いに、神の布置された世界で出会う。今の一瞬に開かれた出会いを引き寄せる。

(†心のデボーション00453)

† 心のデボーション 00454

「また我をほろびの阱より泥のなかよりとりいだしてわが足を磐のうへにおきわが歩をかたくしたまへり」 詩篇40:2 明治元訳聖書

「滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ、わたしの足を岩の上に立たせ、しっかりと歩ませ」 新共同訳聖書

 「めまい」

めまいは気持ちの悪い感覚である。自分の足場が突然消失し、支えていたものが根底から揺らぐ。自分の方向を定めることのできない不気味さに襲われる。

ダビデは人生で、底知れない泥沼に足をとられた時、切なる思いで神を待ち望んだ。(詩篇40:1)

立場の喪失というめまいは、人が神を見失うところから始まる。揺らいでいるのは周囲ではなく、自分自身なのだ。

(†心のデボーション00454)

† 心のデボーション 00455

「貧者はつねに忘らるるにあらず苦しむものの望はとこしへに滅ぶるにあらず」 詩篇9:18 明治元訳聖書

「貧しい者は永遠に忘れられず、苦しむ者の希望はいつまでもむなしくなることはない」 フランシスコ会訳聖書

 「貧しき者の希望」

「心の貧しい人々は幸いである」(マタイ5:3)。神は「心の貧しき者」を忘れ給わない。「貧しき者の希望」は滅びることがない。

「貧しき者」は希望を忘れた者のことではない。希望のために自らを貧しくする者のことである。

(†心のデボーション00455)

† 心のデボーション 00456

「わが父母われをすつるともヱホバわれを迎へたまはん」 詩篇27:10 大正文語訳聖書

「私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる」 新改訳聖書

 「赤い文字の手紙」

以前は手紙の宛名を赤い字で書くのは「絶交」のしるしとされた。中国では「お前を殺す」という手紙を送るとき宛名と本文を赤い字で書いたという。受け取るのも、出すのも嫌な手紙である。

どんなに嫌でも、赤い字の封筒を受けたったことのない人はいない。

しかし、詩人は「たとえ、私の父、私の母が私を見捨てる時にも、主は私を見捨てられない」と語る。

(†心のデボーション00456)

† 心のデボーション 00457

「若われ子に別るべくあらば別れん」 創世記43:14 大正文語訳聖書

「私も、失うときには、失うのだ」 新改訳聖書

 「失うとき」

得るためには失わなければならない。あなたは失った量だけ得るだろう。それがあなたに来るために去ったのだ。なんとしても失うまいとすれば、失うばかりでなく得ることもない。

(†心のデボーション00457)

† 心のデボーション 00458

「心に喜樂あれば顔色よろこばし 心に憂苦あれば氣ふさぐ」 箴言15:13 明治元訳聖書

「心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぶ」 新改訳聖書

 「気質」

「気質、気性」を意味する temper という言葉は「正しく混和する、和らげる、抑制する」を意味するラテン語 temperare から来ているという。「気質 temperment」はもともと「天候」を意味するラテン語に由来し、天気次第で変化する一面もある。物事への対応の仕方は、その人の気質に応じて晴れとも雨天ともなる。

「気質」は正しくまじりあえば、ほどよく和らげ、抑制してくれる。

時々、自分の気性に悩ませられるのは、気質が偏って混じりあったからか、それとも自分の気質と正しくまじりあっていないからか。

(†心のデボーション00458)

† 心のデボーション 00459

「ヱホバは磐にましましてその御行爲は完くその道はみな正しまた眞實ある神にましまして惡きところ無し只正くして直くいます」 申命記32:4 明治元訳聖書

「主は岩。その業は完全で、その道はことごとく正しい。真実の神で、偽りがなく、正しく、まっすぐな方」 フランシスコ会訳聖書

 「本当のこと」

本当のことを知りたいだろうか? 「本当のこと」は時に無情である。それでも、本当のことによるものこそが力である。

本当のことを隠したままで充足することはできない。

本当のことに耐える力がないままに、不用意にそれを開くべきではない。しかし、本当のことに耐える力はそれを開くまでは隠されている。

(†心のデボーション00459)

† 心のデボーション 00460

「之をなんぢらの子等に敎へ家に坐する時も路を歩む時も寝る時も興る時もこれを語り」 申命記11:19 明治元訳聖書

「子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ」 新共同訳聖書

 「トーラーと仕事と良い性格」

子どもに幸せを与えることはできない。しかし、幸せになるのに必要なものを与えることはできる。ユダヤ人は、それを「トーラーと仕事と良い性格」と考える。この三つがバランスをとれれば幸せが実現できるという。

しかし、日本ではこの三つは、親が子どもに与えることのできないものになってきてはいないだろうか。その理由は、大人自身がそれらをもって幸せな人生を生きることができていないからに違いない。

(†心のデボーション00460)

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