† 心のデボーション 00351
「兄弟よ、われは既に捉へたりと思はず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向ひて勵み」 ピリピ3:13 大正文語訳聖書
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」 新改訳聖書
「この一事」
意味もないことをいつまでもやり続けている。そんな自分を嫌悪しながらも、疲れ果てるまで続けてしまう。人生では、意味のないことに自分を解放することも大切だ。しかし、問題は「この一事」を見失っているために、何をしても意味が感じられず、時間を浪費しているだけではないかと焦ることである。
「この一事」をつかめば、意味のないことなど一つもない。意味のないことをやり続けることにも意味はある。
(†心のデボーション00351)
† 心のデボーション 00352
「困苦にあひたりしは我によきことなり 此によりて我なんぢの律法をまなびえたり」 詩篇119:71 明治元訳聖書
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」 新改訳聖書
「鼻のない小象」
人々から「バハティ」と呼ばれる鼻のない小象がいた。「バハティ」はスワシリ語で「幸運」の意味である。なぜ不幸な小象を「幸運」と呼ぶのだろうか。
鼻のない小象「バハティ」は、何とかして仲間と生きていこうとする。それには短い鼻を受け入れ、自分の生き方を工夫しなければならなかった。鼻のない小象が「バハティ(幸運)」と呼ばれたのはそのためではないだろうか。
(バハティの母はエバーグリーン。1997年11月TBS「神々の詩」で紹介され感動をよんだ。撮影は4年間に及んだが、その後バハティの姿は発見されていない。)
(†心のデボーション00352)
† 心のデボーション 00353
「怒を遅くする者は勇士に愈り おのれの心を治むる者は城を攻取る者に愈る」 箴言16:32 明治元訳聖書
「怒りを遅くする者は勇者に勝り、自分の心を治める者は町を征服する者に勝る」 フランシスコ会訳聖書
「怒り」
めったなことに怒らないのが真の勇者である。しかし、めったなことでは怒らない人が瑣末なことで怒ることがあり、また、むやみやたらと怒る人がここぞというとき怒らないことがある。
ヤコブ1:19~21
(†心のデボーション00353)
† 心のデボーション 00354
「若われ子に別るべくあらば別れん」 創世記43:14 明治元訳聖書
「私も、失うときには、失うのだ」 新改訳聖書
「失うときには、失う」
ヤコブは息子ベニヤミンを失うかも知れないことに心を痛める。
人はその人生の後半では多くのものを失う。それは覚悟しよう。人生に何一つ失いたくないと考えるのは間違いだ。しかし、せめて一時に二つ以上を失わないように願う。
(†心のデボーション00354)
† 心のデボーション 00355
「わが盾をとるものは心のなほきものをすくふ神なり」 詩篇7:10 明治元訳聖書
「わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる」 口語訳聖書
「粘土の盾」
ヨブは「あなたがたの盾は粘土の盾だ」(ヨブ13:12)という。神の言葉も整えられなければ「粘土の盾」である。敵の刃を受ければ一撃で砕けてしまう。
御言葉を整えて、飛び来る矢を防ぐ盾とせよ。
(†心のデボーション00355)
† 心のデボーション 00356
「また今われ汝らに乞 この日より以前すなはちヱホバの殿にて石の上に石の置れざりし時を憶念べし 」 ハガイ2:15 明治元訳聖書
「今日この日から以後、よく心に留めよ。主の神殿の意思を積み重ねる前に、お前たちはどんな状態であったか」 新共同訳聖書
「この日から以後」
ダリヨスの即位第二年にハガイは中断されていた神殿工事を再開する。再建された神殿はソロモンの建てた神殿に比べてみすぼらしいものだった。それを見て、昔の栄光を知る老人たちは失望して泣いた。
しかし、ハガイは「あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ」と励ます。廃墟に立ち、一つの石を基として据える、その時から、決定的な変化がはじまる。献身の貧しさを嘆くのは不信仰というものである。
(†心のデボーション00356)
† 心のデボーション 00357
「いまはその面くろきが上に黑く 街衢にあるとも人にしられず その皮は骨にひたと貼き 乾きて枯木のごとくなれり」 哀歌4:8 明治元訳聖書
「しかし、彼らの顔は、すすよりも黒くなり、道ばたでも見分けがつかない。彼らの皮膚は干からびて骨につき、かわいて枯れ木のようになった」 新改訳聖書
「ランゲル氏割線」
かつて娘の肌は「雪よりも白く」「紅真珠よりも赤く」「サファイアのよう」だった。しかし、老いてその顔は黒くなり、皮膚は干からびて「枯れ木」のようになった。
婦人がもっとも恐れるのは、年と共にあらわれる「しわ」である。
人間の身体には「ランゲル氏割線」とよばれるラインがあることが知られている。細胞分裂から生じた細胞膜の跡で、一定の皮膚割線の「走行」をつくる。これが「しわ」である。
外科医は手術の際、ランゲルラインに沿ってメスを入れる。そうすれば傷口がきれいで、手術跡も目立たないという。マッサージ師はランゲルライン(皮膚のしわ)に沿ってリズミカルにマッサージをしたりオイルを塗る。
「しわ」は身体の「方向」を教えてくれる。その方向に沿って手当すれば回復は早い。「取る」よりも大切にすべきものである。
(†心のデボーション00357)
† 心のデボーション 00358
「されば、はや二人にはあらず、一體なり。この故に神の合せ給ひし者は、人これを離すべからず』」 マタイ19:6 大正文語訳聖書
「したがって、彼らはもはや二人ではなく、一体である。それ故、神が合わせたものを、人間が離してはならない」 フランシスコ会訳聖書
「あなたのいるところに」
ローマ時代の結婚式は新郎新婦が神殿で結婚誓約を交わして終了した。誓約のことばは「あなたがいるところに、私はおります」というものだった。
「あなたのいるところに、私はおります」と言える限り、二人はどのような人生にも耐え、その場を恵みに変えることができる。
(†心のデボーション00358)
† 心のデボーション 00359
「唯ルカのみ我とともに居るなり。汝マルコを連れて共に來れ、彼は職のために我に益あればなり」 Ⅱテモテ4:11 大正文語訳聖書
「マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです」 新改訳聖書
「苦しみの布置」
マルコはパウロの伝道旅行に随行し、何らかの理由で途中離脱している。厳しい宣教から逃げ出したのかもしれない。パウロの信頼を失ったマルコを導いたのはバルナバだった。マルコは失意の中でバルナバという人生の師に出会い、「役に立つ男」に変わる。
失意の時には、心に「老賢者」を迎え、教えを乞うことだ。この出会いのために、人生には苦しみが布置されているのかもしれない
(†心のデボーション00359)
† 心のデボーション 00360
「この希望は我らの靈魂の錨のごとく安全にして動かず、かつ幔の内に入る」 ヘブル6:19 大正文語訳聖書
「わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです」 新共同訳聖書
「クロス・アンキー」
錨の形をした十字架をクロス・アンキー Cross arthry と呼ぶ。(Anchored cross Mariner’s crossとも)
錨が船を安全な所につなぎとめることから「希望」のシンボルとなった。
十字架の希望は、私を「安定した錨」のように私を神につなぎとめる。
海を見下ろす丘の上に立つ教会 Notredame de la Garde にはクロス・アンキーが立てられているという。
(†心のデボーション00360)
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