心のデボーション024

デボーション1
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† 心のデボーション 00231

「彼らは國々の民を山に招き其處にて義の犠牲を献げん又海の中に盈(みて)る物を得て食ひ沙の中に蔵(かく)れたる物を得て食はん」 申命記33:19 明治元訳聖書

「彼らは海の富と、砂に隠された宝とを、吸い取るからである。」 新改訳聖書

 「海の富と、砂に隠された宝」

「海の中」にも「沙の中」にも「食らう」ものが満ち蔵(かく)れている。その豊かさは計り知れない。魂が飢えたら、海や沙に蔵(かく)れたものを「得て食らう(吸い取る)」。

(†心のデボーション00231)

† 心のデボーション 00232

「我は我が蒙りたる默示の鴻大(こうだい)なるによりて高ぶることのなからん爲に、肉體に一つの刺を與へらる、即ち高ぶることなからん爲に我を撃つサタンの使なり」 Ⅱコリント12:7 大正文語訳聖書

「また、あの啓示された事があまりにすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」 新共同訳聖書

 「鰻攫 うなぎつかみ」

「鰻攫 うなぎつかみ」という名の植物がある(タデ科の一年草 学名 Persicaria sagittata var.sibirica f.aestiva)。水辺や湿地に群生して生え、8月から10月ごろ、枝先に下の方が白色で上が紅色の小さな花をつける。茎にたくさんの細かい棘があり、これを使えばウナギでもつかめるということからこの名がある。

棘も役に立つ。これで「默示の鴻大(こうだい)なる」をつかみたい。

(†心のデボーション00232)

† 心のデボーション 00233

「われはいにしへの日をおもひいで 汝のおこなひたまひし一切のことを考へ なんぢの手のみわざをおもふ」 詩篇143:5 明治元訳聖書

「わたしはいにしえの日々を思い起こし、あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し、御手の業を思いめぐらします」 新共同訳聖書

 「置き去りにした経験」

人には幾つかの置き去りにした経験がある。いつかそれは、甦ってくる。神のなされた一切のことを考え、しめくくるためである。

「置き去り」にされたものは、経験されることをいつまでも待つ。

(†心のデボーション00233)

† 心のデボーション 00234

「之を聞きて、言ひたまふ『健かなる者は醫者を要せず、ただ、病める者これを要す』」 マタイ9:12 大正文語訳聖書

「然るにイエス聞きて彼らに曰へり、丈夫なる者は醫士の要あらず、されど惱ある者は[その要]あり」 永井直治訳聖書

 「医者にところを得させよ」

「医者にところを得させよ。そは主彼を造りたまいたればなり。彼をなんじより去らしむな、なんじ彼を要すべし。成功、医者の手中にあるときあり。彼らもまた主に祈り、人の寿命を長くせんため、診断といやしとに、成功せしめたまわんことを願うなり。おのが造り主のみ前に罪を犯す者を、医者の手に陥らしめよ」 ベン=シラの知恵38:12~15

「医者のおるべき所」とは本来のあるべき所、すなわち「神の彼を造られ、置かれたところ」である。彼はその診断、治療を祈りの中におこない、病を癒し人の寿命を長くする。

我らはそのような「医者」を要し、その手中におる者は「成功」する。

彼は「罪を犯す者」を正しく診断し、治療し、癒す。

(†心のデボーション00234)

† 心のデボーション 00235

「われ默して唖となり善言すらことばにいださず わが憂なほおこれり」 詩篇39:2 大正文語訳聖書

私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった」 新改訳聖書

 「沈黙を守る力」

作者は病の床で、胸につかえる思いを抱えていた。それを口に出してしまえば罪を犯すことになる。それで「沈黙」を守り「唖」になった。だが、沈黙は心の痛みを激しくし、怒りにもなった。

人には神にうちあけられない思いがある。不条理か? 神の沈黙か? 虚しさか?

だが、「沈黙」は神から来る。沈黙を守る力は神から私に下されたものである。

(†心のデボーション00235)

† 心のデボーション 00236

「ああ神よなんぢはわが神なり われ切になんぢをたづねもとむ 水なき燥きおとろへたる地にあるごとくわが霊魂はかわきて汝をのぞみ わが肉體はなんぢを戀したふ」 詩篇63:1 大正文語訳聖書

「私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです」 新改訳

 「愛情乞食」

人から愛をもらいたがるのを「愛情乞食」と言う。

むやみに愛を与えたがる人の中にも愛情乞食はいる。与える目的が、愛をもらうためなのだ。これを「隠れ愛情乞食」と言う。

乞食の本質は相手にこびることにある。しかし、相手にまったくこびることをせずに愛を引き出す手もある。それを「高等隠れ愛情乞食」と言う。

みんな神に渇いているのだ。

(†心のデボーション00236)

† 心のデボーション 00237

「又二人ともに寝(い)ぬれば温暖(あたた)かなり一人ならば爭で温暖(あたた)かならんや」 伝道者4:11 明治元訳聖書

「ふたりがいっしょにいると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう」 新改訳聖書

 「ふたりがいっしょに」

一つの仕事が終わって、さて次を考えてみると、自分に何も残っていないことに気づくことがある。

振り返ってみれば、いつも一人で重荷を背負って頑張ってきた気がする。

「ふたりがいっしょにいると暖かい」と伝道者は言う。人のぬくもりを感じられれば人生に幻滅したりしない。分かち合う相手があってこそ、一つの仕事を終わって、ほっとし、次の自分を捜すことができる。

(†心のデボーション00237)

† 心のデボーション 00238

「我らの見しところ聞きし所を汝らに告ぐ、これ汝等をも我らの交際に與らしめん爲なり。我らは父および其の子イエス・キリストの交際に與るなり」 Ⅰヨハネ1:3 大正文語訳聖書

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです」 新改訳聖書

 「交わりの傷」

人は交わりに渇き、交わりを切望し、そして、交わりに傷つく。誰もが「私のどこが悪かったのか」と自問する。

「交わり」とは、一つのものを共に受け、共に与え、共に生きること。互いは一つの源に結ばれ、パートナーになる。

その源の「一つ」を欠いたまま、ただ慰めを求めるので、人は交わりに傷つくのかもしれない。

(†心のデボーション00238)

† 心のデボーション 00239

「神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念を賦けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲を始より終まで知明むることを得ざるなり」 伝道3:11 明治元訳聖書

「神のなさることは、すべて時になって美しい」 新改訳聖書

 「面白いか?」

望むことをしているから楽しく感じるとは限らない。考えられる限りの楽しいことをしているのに、一向に楽しさが感じられないこともある。

何であれ、それが心にしみてくるまで、手に取り、眺めてみなければ、面白さも楽しさもやって来ない。すべての営みには時があり、時に叶えば喜びも悲しみも、建設も破壊も、生も死も美しいと伝道者は語る。

そこに神との出会いがある。

(†心のデボーション00239)

† 心のデボーション 00240

「視よ、エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在す」 ルカ2:25 大正文語訳聖書

「この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた」 新改訳聖書       

 「敬虔な人」

シメオンは「敬虔な人」と呼ばれている。聖書の「敬虔」は「よく捕まえる」という意味がある。

シメオンは自分の生きた時代を「用心深く見つめ」、そこに働く神のしるしを「よく捕まえ」た。

シメオンはそこから、人々に幼子イエスを「救い主」と告げることができる人だった。

神の前に「つつしみ深くある人」は、時代のしるしをとらえ、人々に慰めのことばを語り、大胆に行動する人である。

(†心のデボーション00240)

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