心のデボーション017

デボーション1
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† 心のデボーション 00161

「惡者はその惡のうちにて亡され義者はその死ぬる時にも望あり」 箴言14:32 明治元訳聖書

「悪者は自分の悪によって打倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある」 新改訳聖書

 「死ぬる時にも望あり」

正しい者は「自分の死の中にも逃れ場」がある。「逃れ場」は「避け所」(新共同訳聖書)とも訳される。

「逃れ場」は誤って罪を犯した者が血の復讐から逃れるために設けられた所で、四十八の「逃れの町」が設けられた。(民数記35:6~34) どの町からも一日の道のりで、逃亡者はいずれかの「逃れの町」にその日のうちに避難することができた。

「死をもたらす者」は速やかに来ていのちを求める。しかし、正しき者には今も「逃れ場」がある。神の逃れの町に至る道を知りたい。

(†心のデボーション00161)

† 心のデボーション 00162

「視よわれなんぢを煉たり されど白銀の如くせずして患難(なやみ)の爐(ろ)をもてこころみたり」 イザヤ48:10

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた」 新改訳聖書

 「悩みの炉」

「白銀」は「銀」のこと。神はイスラエルを練られたが、「銀」のように貴き輝きではなかった。そこで神は「患難(なやみ)の爐(ろ)」でイスラエルをこころみた。

神は先の「白銀の爐」で練ってみたが無駄だった。それでも神はさらに厳しい「患難(なやみ)の爐(ろ)」で練られた。銀が含まれていることを御存じなのだ。

試みが重なるところになお希望あり。

(†心のデボーション00162)

† 心のデボーション 00163

「視よわれなんぢを煉たり されど白銀の如くせずして患難(なやみ)の爐(ろ)をもてこころみたり」 イザヤ48:10

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた」 新改訳聖書

 「炉の底に微量の銀あり」

一つの良い作品のためには、いくつもの失敗作を壊さなければならない。乗り越え難い壁に向かって、工夫しては失敗し、また、新しい工夫をする。何かを作り続けるということは、目の前に越え難い壁を置くことである。

「患難(なやみ)の爐(ろ)」の底に微量の銀が残る。それでよい。

(†心のデボーション00163)

† 心のデボーション 00164

「小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり」 ルカ16:10 大正文語訳聖書

「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実であり、ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である」 フランシスコ会訳聖書

 「大きいは小さい」

大きな仕事は小さなことを続けること。ごく小さなことに耐えられる大きさ。

(†心のデボーション00164)

† 心のデボーション 00165

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

 「斧ははや樹の根に置かる」

「私」という樹は「私」以外の実を結ばない。「私」でないものをつける樹は茂っていても切り倒すしかない。人生が「斧」をふるうだろう。

私は「私」について考えるとき、「斧は既に木の根元に置かれている」という緊張感を拭うことができない。

(†心のデボーション00165)

† 心のデボーション 00166

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

 「青い実」

若い柿の木は春に沢山の花を咲かせるが、地面がうまるくらいに青い実を落とす。自身の幹を太らせるのに夢中で実を多くはつけない。実を豊かにつけるのは老木である。

老木になってもなお幹の太さを気にして、青い実を大量に落とすようなら、「伐られて火に投げ入れらる」も仕方がない。

(†心のデボーション00166)

† 心のデボーション 00167

「貧者をあはれむ者はヱホバに貸すなり その施濟はヱホバ償ひたまはん」 箴言19:17 明治元訳聖書

「貧しい人に憐れみを施す者は、主に貸す人。彼が立て替えたものを、主が返してくださる」 フランシスコ会訳聖書

 「神の振込」

フランシスコ会訳は「貧しい人に憐れみを施す者は、主に貸す人。彼が立て替えたものを、主が返してくださる」と訳す。

貧者への施しは、彼に代わっての「立て替え」である。決済は神がなさる。立て替えをしのぐ返済が振り込まれるのが通常である。ただ、時々通帳を調べないと振込に気づかないことが多い。

(†心のデボーション00167)

† 心のデボーション 00168

「おのれの家をくるしむるものは風をえて所有とせん」 箴言11:29 明治元訳聖書

「自分の家族を煩わせる者は風を相続し、愚か者は心に知恵のある者のしもべとなる」 新改訳聖書

 「二つの風」

「家族を煩わす者」は「風を所有とする」(口語訳聖書)、「風を相続し」(新改訳聖書)、「風を嗣業とする」(新共同訳聖書)、「風を手にし」(バルバロ訳聖書)、「風を受け継ぐ」(フランシスコ会訳聖書)。

この「風」は「シロッコ Siricco」(アラビア語「ハムシン」)と呼ばれる砂漠の熱気と砂塵を運び、一夜にして作物を枯死させる烈風である。

しかし、夕方に海から吹く冷風は湿気を含み霜を結んで野菜の成長を助ける。神の「霊」は「風」と訳される。

「家を煩わす者」は恐ろしい「シロッコ」をもたらすが、風向きが変われば恵みの「風」になる。彼は二つの風を所有している。

(†心のデボーション00168)

† 心のデボーション 00169

「そは智慧を獲(う)るは銀を獲るに愈(まさ)りその利は精金よりも善ければなり」 箴言3:14 明治元訳聖書

「知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる」 新共同訳聖書

 「智慧の儲け」

「智慧」の「儲け」は「銀の儲けにまさり」(新改訳聖書)、「その途(みち)は樂しき途なり」(箴言3:17)という。儲け過ぎて困ることはない。ただ、退蔵された智慧はもはや銀ではない。

(†心のデボーション00169)

† 心のデボーション 00170

「かくて三日の朝にいたりて雷と電および密雲山の上にあり又喇叭の聲ありて甚だ高かり營にある民みな震ふ」 出エジプト19:16 明治元訳聖書

「三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた」 新共同訳聖書

 「時ならぬ雷」

三月の啓蟄のころに鳴る雷を「虫出雷(むしだしかみなり)」という。春になっても外に這い出そうとしない虫が、時ならぬ雷に驚いて穴から出てくるという。

居心地がよくて穴から出ようとしない虫には「時ならぬ雷」が有効かもしれない。

時々、「主の山の上」に「時ならぬ雷」が鳴るのを聞く。

(†心のデボーション00170)

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