心のデボーション115

デボーション1
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† 心のデボーション 01141

「王、民の祭司長・學者ら」 マタイ2:4 大正文語訳聖書

「ヘロデ王は司祭長たちと民間の律法学士たち」 バルバロ訳聖書

 「橋を架ける人」

神と人の間に「橋」を架けるのは聖なる働きである。しかし、問題は「橋を架ける人」が橋の入口に立ち、ある者を通し、ある者の通過を拒むようになったことである。橋を架ける者は橋の門番になってはならない。橋は渡すために造られるのであって、拒むためにつくられるのではない。

(†心のデボーション01141)

† 心のデボーション 01142

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「創造の賛美」

詩篇は神の創造を賛美する。

神は天と地を創造された。もろもろの天は神に属し、神は地とそこに満ちるもろもろの富を創られた。(詩篇89:11 104:24)「天はよろこび地はたのしみ海とそのなかに盈るものとはなりどよむ」(詩篇96:11)

天と地は「ヱホバをほめ蒼海とその中にうごくあらゆるものとはヱホバを讃まつる」(詩篇69:34)

「わがたすけは天地をつくりたまへるヱホバよりきたる」(詩篇121:2 明治元訳聖書)

(†心のデボーション01142)

† 心のデボーション 01143

「又かれらの中の或者に效ひて呟くな、呟きしもの亡す者に亡されたり」 Ⅰコリント10:10 大正文語訳聖書

「彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました」 新共同訳聖書

 「つぶやき」

不平を言う人が幸せであるはずはない。それにもかかわらず、幸せに見える人に不平が多いのはなぜだろうか。懸命に生きている人は不平を言わない。自分でどうすることもできないことは、そのまま受け入れることに懸命で、不平を言うひまがないのだ。荒野でイスラエルの民を脅かした「滅ぼす者」とは敵の事ではなく、彼等の心にある「つぶやき」だった。

(†心のデボーション01143)

† 心のデボーション 01144

「王、民の祭司長・學者らを皆あつめて、キリストの何處(いづこ)に生(うま)るべきを問ひ質(ただ)す」マタイ2:4 大正文語訳聖書

「ヘロデ王は司祭長たちと民間の律法学士たちを呼び寄せて、キリストはどこに生まれるはずなのかと尋ねた」バルバロ訳聖書

 「文献の富に酔う」

ヘロデは「民の祭司長たちや律法学者たち」を皆集める。

柳田國男氏に次のような文がある。

「明治の末頃に、私はある一つの大きな文庫の管理者となり、昔からよく謂う汗牛充棟の見本を体験した。一言でいえは文献の富に酔うたのである。本さえ熱心に読んでおれば、しまいには御国の昔の事はみなわかるだろうというような、まちがった夢を見たのも実は私であった。ところが実際は見当がつかなければ文の林には入って行けない。何を知りたいのかの筋が立たぬ限り、書物は我々の相談相手にはなってくれない。そうしてこの研究の発足点となったのは、やはり芥子粒ほどの民間の伝承と、是を不思議としてわけを問わずには居られなかった、子ども見たような私の好奇心とであった」(柳田國男『妹の力』)

「祭司長、律法学者」もまた「文献の富に酔う」人々であった。そして、現代、人はインターネットという「文献の富に酔う」時代に入った。しかし、「見当がつかなければ文の林には入って行けない。何を知りたいのかの筋が立たぬ限り、書物(インターネット)は我々の相談相手にはなってくれない」のである。

(†心のデボーション01144)

† 心のデボーション 01145

「汝腰に帶して起ちわが汝に命ずるすべての事を彼等につげよその面を畏るる勿れ否らざれば我かれらの前に汝を辱かしめん」 エレミヤ1:17 明治元訳聖書

「さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く」 新改訳聖書

 「腰に帯を締め」

「腰に帯を締め」は力士が格闘に向かうのに帯を締めるという意味である。日本的には「まわしを締めて」というところだろうか。預言者は神のことばを語るのに、人の顔におびえない覚悟が求められた。ことばを語るという行為は格闘技のようなものだ。語る前に神と四つに組むことができなければならない。だから神の言葉を持ち運ぶ人は悲惨な状況にもたじろがない。その帯は「解けない」からである。(イザヤ5:27)

(†心のデボーション01145)

† 心のデボーション 01146

「元始に神天地を創造たまへり」 創世記1:1 明治元訳聖書

「初めに、神は天地を創造された」 新共同訳聖書

 「知恵の根源」

「すべての知恵は主から出で、永遠に主とともにある。
誰が、海の砂、雨の滴、永遠の日々を数えることができようか。
誰が、天の高さ、地の広さ、淵の深さを測り知ることができようか。
知恵は万物に先立って造られ、洞察する知性は永遠から存在する。
知恵の泉は、いと高き所におられる神の言葉、知恵の歩みは永遠の掟である。
誰に、知恵の根源は示されたであろうか」 シラ書1:1~6

主はその賜物に応じてすべての人に知恵を与えられる。(シラ書1:10)

自らの道をまっすぐにし、「主に希望せよ」。(シラ書2:6)

「創造」は「知恵の根源」である。

(†心のデボーション01146)

† 心のデボーション 01147

「わが恃みしところ わが糧をくらひしところのわが親しき友さへも我にそむきてその踵をあげたり」 詩篇41:9 明治元訳聖書

「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた」 新改訳聖書

 「有効な距離」

友には「有効な距離」がある。これを無視して接近すると親しい友であっても壊れてしまう。「親しさ」がその危険を隠してしまうので「破壊」は唐突に起こったように思えるかもしれない。しかし、原因は「有効な距離」を踏み越えていることに気づかなかったことにある。

(†心のデボーション01147)

† 心のデボーション 01148

「智慧ある者は之を聞て學にすすみ 哲者は智略をうべし」 箴言1:5 明治元訳聖書

「知恵のある人もそれを聞いて知識を深め、賢い人も指導の道を知るだろう」 バルバロ訳聖書

 「聞く耳」

「知恵のある者」は「聞く耳」をもつ人である。彼はいのちの秘密をもとめて止まず、求めて得た知恵を隠すことなく他に分かち喜ぶ。(マタイ11:15)

(†心のデボーション01148)

† 心のデボーション 01149

「なんぢ誰にむかひて言語を出ししや なんぢより出しは誰が靈なるや」 ヨブ26:4 明治元訳聖書

「あなたはだれの助けによって言葉をだしたのか。あなたから出たのはだれの霊なのか」 口語訳聖書

 「霊的立場」

「霊的」という言葉はいろいろの信仰の説明に用いられる。「霊的な」という言葉が何を意味するかを曖昧にしたままで互いに分かったつもりになってしまうこともある。

あえて、曖昧にしておきたくて用いているのかもしれない。しかし、それではすまなくなってしまうことが信仰にはあるものだ。互いの「霊的立場の違い」を明らかにすることも大切である。

(†心のデボーション01149)

† 心のデボーション 01150

「智慧ある者は之を聞て學にすすみ 哲者は智略をうべし」 箴言1:5 明治元訳聖書

「知恵のある人もそれを聞いて知識を深め、賢い人も指導の道を知るだろう」 バルバロ訳聖書

 「知恵のある者」

「知恵のある者 חָכָם ハカム」は物事を鋭く観察する分別にみちた「賢さ」をもつ。些細なことがらも見落とすことがなく、その本質を見抜く。

(†心のデボーション01150)

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